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第63話 旅行に行ったよ?


「お水で口の中キレイにしてね〜。うん、ちゃんとできてえらいえらい〜」


 まさかこの歳になって、口をすすぐだけで褒められるとは思わなかった。


 咲茉の手に握られたハブラシよって口の中を思う存分に洗い尽くされた後、悠也が口を水ですすいで吐き出す度に褒められる。


 ご丁寧に頭を撫でられる始末だった。


「最後にお口拭いて〜。はい、これで歯磨き終わり~」


 最後に悠也の濡れた口元をタオルで拭き取ると、咲茉が幸せそうに微笑む。


「じゃあ、次は朝ごはん〜。ちゃーんと準備してるからキッチン行くよ〜」


 そして悠也をキッチンに向かわせるべく、咲茉が彼の背中を優しく押して促していた。


「おいおい、ちゃんと行くから急かすなって」

「全然急かしてないよ。あっ、もしかしてトイレ行きたかった?」

「いや、別にトイレはまだ行かないけど」

「なら朝ごはん一緒に食べよ〜」


 心なしか、いつもより口の中が清々しいと思う悠也が口元を撫でながら、咲茉に促されるままキッチンに向かっていく。


「ゆーやの歯磨き、楽しかったなぁ。あと2回もできるって考えたら嬉しくて勝手に頬が緩んじゃう」


 背後から聞こえた咲茉の声に、思わず歩いている悠也の表情が強張った。


 朝だけかと思っていたが、どうやら昼と夜の歯磨きまで咲茉がするつもりらしい。


 この様子を見る限り、きっと歯磨きだけでは済まないだろう。


 普段から悠也のお世話をしたいと言っていた咲茉が、今日だけはいつも以上に甘やかすと言っている。


 さっきの歯磨きに関しては甘やかすというよりも、アレはどう見ても赤ちゃんの子守りとしか思えないところではあったが……この調子だと先が思いやられる。


「咲茉? ちなみに、朝ごはんは――」

「それは見てからのお楽しみ! 私が作った朝ごはんは、ちゃーんと私が食べさせてあげるんだから〜!」


 嫌な予感というのは、決まって当たるものだ。


 歯磨きから始まり、食事のお世話。ここまで来ると悠也も察せた。


 おそらく咲茉は、本当に悠也の身の回り、その全てのお世話をするつもりなのだと。


 はたして歯磨きと食事以外、彼女は何をするつもりなのだろうか?


 改めて振り返っても、そのふたつ以外に彼女から世話をされることが思いつかず、悠也が困惑してしまう。


 そこまでしなくても――と正直言いたいところだったが、それをすると間違いなく咲茉を悲しませることになる。


「あっさごはん〜、あっさごはん~、ゆーやと一緒に朝ごはん〜」


 また背後から聞こえてくる上機嫌な咲茉の声を聞いてしまえば、やはり悠也が拒否できるはずもなかった。


「ゆーやの誕生日は〜! わったしが特別にする〜!」


 程度はさておき、咲茉が悠也の誕生日を特別な日にしたいという気持ちは伝わってくる。


 その思いに答えるためならば、改めて悠也も覚悟を決めるしかなかった。


 もう今日の全ては、咲茉の思うまま好きにさせようと。


 その所為で自分が妙な性癖に目覚めても構わない。それが咲茉によって生まれたモノなら喜んで受け入れる。たとえそれが、異端の更に奥深い深淵の底にある赤ちゃんプレイだとしても――潔く己に芽生えた新たな可能性を受け入れよう。


 むしろ咲茉によって植え付けられた性癖なら、悠也も本望だった。


 その覚悟を改めて、悠也は咲茉に促されるままキッチンへと足を運ぶと――


「……めっちゃ良い匂いする」


 鼻腔を通り抜ける香ばしい匂いが、キッチンに充満していた。


「ちょうどさっきまで鮭焼いてたからね~、良い匂いするでしょ~?」

「鮭? わざわざ焼いたの?」

「うん! だって朝ごはんの定番だし~!」


 当然だと答える咲茉に、悠也が目を大きくする。


「別に朝飯なんて適当で良かったのに……そうめんとか食パンでも焼けば良かっただろ?」

「だーめ。適当な朝ご飯なんて私が許しません。今日は特別な日で、ゆーやの誕生日だもん。ゆーやが今日食べるモノは、私が全部決めてるんだから」


 だからこそ、朝食の準備をした。そう語る咲茉に、悠也は呆気に取られてしまった。


 なにげなくキッチンを見れば、コンロに鍋が置かれていて湯気が立っている。鮭を焼いていたなら、おそらく鍋の中は味噌汁だろう。


 更にキッチンに置いている皿には、目玉焼きが乗せられていた。よく見ればベーコンも一緒に焼いてある。


 そして小鉢に入った漬物を見て、悠也は唖然と固まるしかなかった。


「これを……全部、咲茉が?」

「むふふー! 私もこれくらいの料理はひとりでできる女の子になってるんだよ!」


 誰かの手を借りずに、咲茉が全て準備した。


 たとえ難しくない料理でも、作るだけで手間は掛かる。


 大して汚れてないキッチンを見れば、それだけで彼女の手際の良さが容易に伺えた。


「ほらほら、早く座って座って」

「おい、急かすなって」


 驚いている悠也を急かすように、咲茉が半ば強引に食卓テーブルの椅子に座らせる。


「すぐ準備するから待っててね~」


 そして悠也を席に着かせると、咲茉は満面な笑みを浮かべて早々と準備を始めていた。


 味噌汁の入った鍋に火を点けて、コンロのグリルから焼いていた鮭を菜箸で事前に用意していた食器に移していく。


 更にあらかじめ擦っていたのか、大根おろしを焼き鮭に添える。そして盛り付けを終えると、咲茉は悠也の前に嬉しそうに並べていた。


「……めっちゃ美味そう」

「ほんと!? 良かったぁ~!」


 悠也の呟きに頬を緩ませても、咲茉の手は止まらなかった。


 続けて、皿に盛り付けていた目玉焼きベーコンと漬物が入った小鉢を悠也の前に並べる。


 小さな皿に味付け海苔を数枚乗せて、テーブルに並べていく。醤油などの調味料も一切忘れることもなく並べていく。


 そんな手際の良い動きをしていると、いつの間にか味噌汁の鍋が沸騰していた。鍋が沸騰したと分かるなり、咲茉が火を消す。


「うん。お味噌汁、良い感じ」

「……」


 そして沸騰した味噌汁を汁椀に注いでいく彼女の後ろ姿を、悠也は呆然と見つめていた。


 普段と少し違った奥様コーデの所為なのか、本当に彼女の姿がお嫁さんにしか見えなくて。


 朝食を準備する手際の良さも相まって、より一層に彼女が嫁にしか見えなくなってくる。


「…………」


 そんな彼女に、ただ悠也は見惚れることしかできなかった。


 いつも母親と楽しそうに料理をしている咲茉もずっと見ていられたが、今の彼女も見ているだけで飽きる気がしない。


 こんな彼女の姿を、いつか見たいと思っていた。


 家族の為に料理を作って、朝食の良い匂いに包まれながら準備をする。


 タイムリープする前、まだ彼女と再会することもなかった頃、何度も夢に思い描いていた光景だった。


 もしかしたら突然消えてしまった咲茉と実は両想いで、こんな未来があったかもしれないと考えて、そんな妄想を何度も繰り返していた時期もあった。


 今まさに、その光景が目の前にある。


 タイムリープして来てからずっと咲茉と一緒だったのに、こんな光景を見ているだけで目の奥が熱くなってくるのは……どうしてだろうか?


「炊いたばかりのご飯も置いて、これで準備おっけー」

「……」

「ゆーや? どうしたの?」

「いや、なんでもない。ご飯準備してる咲茉、ほんと可愛いなって」

「またそんな嬉しいこと言って~」


 はにかむ咲茉に泣きそうだったことを悟られないように、悠也が笑って誤魔化す。


 こんなに幸せそうな彼女の前で、絶対に泣くわけにはいかない。


 今日は咲茉が誕生日を祝ってくれる日なのだ。変に泣いて雰囲気を壊すことだけは悠也も避けたかった。


「……あれ? 母さんは?」


 その時、気を紛らわしたかった悠也が周囲を見渡すと、その異変に気付いた。


 キッチンから覗けるリビングを見ても、いつも居るはずの母が居ない。


 むしろ考えてみれば、咲茉がひとりで朝食の準備をしていること自体がおかしかった。こういう時、母の悠奈なら率先して彼女を手伝うに決まっていた。


「お母さん? あれ、聞いてない?」

「なんか言ってたか?」

「お母さん達、一泊二日の旅行に行ったよ?」

「は……?」

「なんか達也お父さんが今月有給消化しないといけないからって、ちょうど良いから旅行行って来るって言ってた」


 耳を疑う話に悠也が唖然としていると、咲茉が追い打ちを掛ける。


 そんな話、一度も悠也は聞いていなかった。


「俺、聞いてないんだけど……てか息子の誕生日に旅行なんか行くなよ」

「あぁ~。そう言えば、私がゆーやの誕生日だからお世話するって話した時に言ってた。なら私達は邪魔だと思うから悠也は私に任せて、久しぶりに夫婦で旅行してくるって」


 母親から普段どう見られているか、垣間見える発言だった。


 別に咲茉が居なくても旅行くらい好きに行っても問題ない。


 むしろ一人暮らしを経験している悠也からすれば、ひとりでも家事くらい問題なくできる自信がある。今の咲茉と比べれば雲泥の差になってしまうが……


「ってことは今日……母さん達、帰って来ないの?」

「うん。だから今日はずっと私が一緒だよ……夕方はちょっと色々とあるけど」

「今、最後なんか言った?」

「なんでもないよ、ちょっとした独り言だから」


 気になることを言っていた気がするが、悠也も問い詰めるつもりもなかった。


 ともかく、今日は親が居ない。それだけ分かれば十分だった。


 ずっと今日は咲茉と2人っきり。だからと言って、彼女に変なことをするつもりもない。


 いつも通り、彼女と過ごすだけだった。


「って話ばっかりしてたら朝ご飯冷めちゃう! 早く食べよ?」


 確かに咲茉の言う通り、いつまでも話しているわけにもいかない。


 咲茉が折角作ってくれた朝食を冷めた状態で食べるなど、悠也が許せるはずがない。


「じゃあ、僭越ながら私がお手伝いしちゃいます」


 いそいそと悠也の隣に座る咲茉が箸を握る。


 そして満面な笑みを浮かべると、


「私がぜーんぶ食べさせてあげるね?」


 そう言って、悠也の肩に咲茉が寄り添っていた。

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