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第62話 しゃこしゃこ~!


 寝起きでありのままを受け入れていたが、冷静に考えてみると彼女の提案は少しだけ奇妙だった。


 単に甘やかしてくれるだけなら、恋人同士の今でも問題ないはずだ。それなのに、どうしてわざわざ先取りして彼女がお嫁さんという発想に至ったのだろうか?


「なんでまたお嫁さんなんだ?」


 起きた悠也が自室を出ると、おもむろに後ろをついてくる咲茉に気になった疑問を投げかけていた。


「だってゆーや、お嫁さんが良いって言ってたでしょ~」

「……ん?」


 自室のある2階から1階に降りながら、咲茉から返ってきた言葉に悠也が眉を僅かに寄せる。


 彼女の言い方は、まるで悠也が望んだかのような口ぶりだった。


「ほら、前に乃亜ちゃんに訊かれたでしょ? メイドさんとお嫁さん、どっちが良いって話してたの覚えてない?」


 そう言われれば、少し前にそんな話があった気がする。


「私も悠也の誕生日にね、どんな風に悠也を甘やかしてあげようかな~って悩んでたから聞けて良かったよ~」

「別にいつも通りで良かったんじゃ……」

「それはダメ~、大事な悠也の誕生日は特別にしないとダメ。これからずっと悠也の誕生日は私が特別にしてあげるって決めたんだから」


 そこまで特別にこだわるなら、咲茉の頑固も理解できなくもなかった。


 これから何度も訪れる悠也の誕生日を、自分で特別な日にしてあげたい。


 他の誰でもなく、誰よりも悠也のことが大好きな自分こそが、彼を幸せにしたい。


 その確固たる意思を表すかのように、咲茉が誇らしそうに胸を張っていた。


「今年は私とゆーやが恋人同士になれた大切な1年だもん。いつもたくさんゆーやに甘えてる分、今日は私が甘やかしちゃうからね。だから私がゆーやの誕生日を祝う今年のテーマは“ご奉仕”って決めたの」


 そんな子供みたいな彼女の発想が可愛くて、つい悠也が微笑んでしまうが……


「ご奉仕って……お前なぁ」


 ご奉仕と聞くと、違う意味に聞こえる悠也がつい苦笑してしまう。


 男なら、嫌でもその手の意味にも聞こえるのだからタチが悪い。


 本来なら相手に尽くしてくれる意味なのに、どうしてエロ方面に聞こえるのか。


 それが脳裏を過ぎって、自分自身に対して悠也が深い溜息を漏らしてしまった。


「だって今日は悠也のお嫁さんだもん! 大好きな旦那様を甘やかすのは、お嫁さんの大事な役目なんだから~! 悠奈お母さんもそう言ってたし!」


 だからずっと後ろをついてくるのかと、悠也は密かに納得した。


 2階から1階に降りて、顔を洗うために洗面台に移動しても咲茉がついてくる。


 顔を洗う前に悠也がタオルを手に取ろうとしても、いつの間にか咲茉の手には、すでにタオルが握られていた。


「あの……そのタオル、もらえると嬉しいんだけど」

「大丈夫、ゆーやが洗い終わるまで待ってるから」


 なにが大丈夫なのか全く理解できなかったが、悠也の手間を少しでも煩わせないようにしたいらしい。


 そこまでするかと思う悠也だったが、咲茉の気遣いを無下にする気もなかった。


 渋々と、悠也が洗面台で顔を洗う。背後から感じる視線が気になって仕方ないが、気にしたところで何も変わらない。


 もしかしたら今日1日、こんな調子が続くのかと思うと嬉しさ半分、呆れ半分な気持ちになってしまう。


 しかしそれだけ咲茉が甘やかしたいというなら、素直に受け入れるべきなのだろう。


「ん……咲茉、タオル」


 顔を洗い終えた悠也が現実を受け入れて、そっと咲茉に手を差し出す。


 しかし彼女に手を差し出しても、タオルが来ることはなく。


 それに怪訝に悠也が顔を顰めていると――


「はぁーい、ぎゅって目閉じててね~」


 なにを思ったのか、咲茉が持っているタオルで悠也の顔を拭いていた。


「ちょ……!」

「もぅ、動かないの。動いたら拭けないでしょ~」

「それくらい自分でやれるって」

「や! 私がするの!」


 抵抗する悠也の頭を強引に掴んだ咲茉が、持っているタオルで彼の顔を拭く。


 夏休みから鍛え始めたおかげなのか、少しだけ力が強くなっている気がする。


 無理矢理引き剥がす気もなかったが、ここまで強引だと悠也も苦笑いを漏らすしかなかった。


「よし! これでキレイになった! いつ見ても子供のゆーやの顔は可愛いね~!」


 悠也の顔を拭いて満足した咲茉の手が、愛おしそうに彼の頬に触れる。


 そして優しく一度だけ撫でると彼女は嬉しそうに微笑んで、その手を放していた。


「ゆーや? 歯磨き、する?」

「そりゃするけど……」


 朝起きて顔を洗ったら、当然歯磨きはする。


 悠也がそう思った瞬間、ハッとして反射的に咲茉から一歩後ずさった。


「咲茉、お前まさか……!」

「ゆーやのハブラシ、そこだよね?」


 洗面台に置かれている悠也のハブラシを指差して、咲茉が微笑む。


 その反応を見れば、彼女が何を考えてるか察するのも簡単だった。


「いやいやいや、流石に自分でやるって!」


 流石の悠也も、こればかりは断固として拒否した。


 中身が大人の自分が、咲茉に歯磨きをしてもらう。そこまで特殊な性癖を持った覚えはなかった。


「む~! 私にお世話されるの嫌なの?」

「そういうことじゃなくてな? もう俺も子供じゃないんだし、それぐらい――」

「ゆーや、私のお世話されるの……嫌なんだ」

「ぬっ……!?」


 先程までの笑顔が消え去り、一瞬で咲茉が落ち込む。


 肩を落として、しょぼんと目を伏せる彼女を前に、悠也が嫌だと言えるはずなく。


 己の羞恥心と咲茉の我儘、どちらを悠也が優先させるかなど決まっていた。


「…………はい。これ、俺のハブラシと歯磨き粉」

「えへへ、やった。ちゃーんと綺麗に磨いてあげるからね」


 悠也がハブラシと歯磨き粉を渡すと、また一瞬で咲茉の表情が笑顔に包まれた。


 軽い足取りで、咲茉が悠也の隣で洗面台の前に立つ。そして持っているハブラシを濡らして、歯磨き粉を付ける。


 その姿を眺めながら、悠也は引き攣った笑みを浮かべて口を開いていた。


「一応、訊くんだけどさ」

「ん? なぁに?」

「もし俺が乃亜にお嫁さんじゃなくて、メイドが良いって言ってたらどうなってたんだ?」

「ん? 悠也が好きなら普通に着たよ?」

「いや、着るってなにをだよ?」

「そんなのメイド服に決まってるよ~」


 嫌がる素振りも一切見せない咲茉に、つい悠也が頭を抱える。


「そんなもん着るな。まったく……てか咲茉、メイド服なんて持ってないだろ?」

「なんか乃亜ちゃん、持ってるらしいよ? 聞いたら貸してくれるって言ってた」

「ウソだろ……!? なんで!?」

「一回着てみたかったんだって、いつか私達にも着せるつもりで色んなサイズ買ってたみたい」

「……マジでアイツって頭良いくせにホント馬鹿な時あるよな」


 どうして使うかも分からない衣装に平然と金を出せるのか?


 馬鹿な一面を時折見せる乃亜には呆れるばかりだったが、金持ちの考えはよく分からない。というよりも、乃亜の考えが分からない。


 彼女が何を考えて生きているか、考えても無駄な労力だった。


「まぁ悠也がお嫁さん派だったから着ることなかったけどね~、ちょっとだけ着たかったかも。そういう服、着たことなかったし」


 アニメや漫画などのサブカルが好きな咲茉なら、そんな気持ちになってもおかしくない。


「絶対に着ても他人に見せるなよ、マジで」

「あんな恥ずかしい服、着てもゆーやと乃亜ちゃん達にしか見せないよ~」


 メイド服を着る羞恥心は、キチンと咲茉にもあったらしい。


 その安心感に悠也がホッと胸を撫で下ろしていると――


「はぁーい、ゆーや。口開けて~」


 気づくと、咲茉がハブラシを悠也の口に近づけていた。


「咲茉、やっぱりお前がやらないとダメ?」

「……やっぱり、私にされるの嫌なんだ」

「あぁぁ! 俺、めっちゃ咲茉に歯磨きされたいって思ってたんだよなぁ!」

「ほんと! なら私、頑張っちゃう!」


 こうなったら覚悟を決めるしかない。


 意を決して、悠也が大きく口を開ける。


 咲茉に、というか他人に向けて口を開くのが、恥ずかしくて仕方ない。


 そう思う悠也だったが、その心情を咲茉が察することもなく。


「キレイキレイ~!」


 咲茉の持っているハブラシが、悠也の口に入り込む。


 そして始まる、彼女の優しい歯磨き。


 口内をシャコシャコと音を立てて歯磨きが始まるのだが、悠也は知らなかった。


 自分ではなく、他人に歯磨きをされる感覚の違いに。


「しゃこしゃこ~! しゃこしゃこ~!」

「ぐっ……!」


 口の中を好きな人に好き勝手にされている。それが悠也の背筋に、ぞわっとした感覚が走り抜けた。


「ゆーや、動いたら危ないよ。じっとしててね~」


 気づくこともなく、咲茉が笑みを浮かべる。


 その笑顔を目の前に、悠也は耐えることを決意した。


 身体中の鳥肌が立つ、身体がムズムズとしてしまう。


 全身に駆け抜けるぞわっとした心地良い感覚に苦しみながら、悠也は耐え続けた。


 これは、ご奉仕じゃなくて子守りでは?


 そんな疑問を抱きながら、悠也は笑顔の咲茉に頬を引き攣らせるしかなかった。

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