第53話 いつまでも弱い女の子じゃない
今にも大声を出そうとしている悠也を、咲茉は悔しそうに見つめていた。
また、悠也に守られている。
なにもできることもなく、ただ彼の背中に隠れて、その行く末を見ていることしかできない。
きっと悠也にとって、それが当たり前のことだと思っているのだろう。
唐突に言い寄ってきた彼等から好きな女の子を守るために、できる限りの最善を選んで行動している。
彼が大声を出す意図は、咲茉もすぐに察していた。
子供の自分達が大声で助けを呼べば、間違いなく周りにいる大人達が駆けつけて来る。たとえ見ず知らずの人間でも、こんな大勢の人間がいる海で子供が助けを求めれば、必ず誰かが来ると確信して。
雪菜から武術を学んでいる悠也なら、問題なく対処もできるはずなのに。特に多人数を相手にした場合を想定した対処法を教わっている彼なら、追い払うこともできるはずなのに……それをあえてしない彼の意図も、すぐに咲茉は分かってしまった。
もし乱暴な手段を選べば、大事になると悠也も分かっているのだろう。警察など着てしまったら色々な面倒事になって、この後の時間が潰れてしまう。
どれだけ警察に拘束されるかも分からない。もしかすれば長時間の拘束も考えられる。そうなれば、確実に今日1日が終わってしまう。
楽しかった今日が、楽しくない形で終わるかもしれない。その可能性が少しでもあると考えて、悠也が一番穏便に終わる形になるように行動している。
その行動の全てが、咲茉のことを想っての選択であると。
まだ今日を終わらせない。まだまだ海に来た咲茉に、楽しい時間を過ごしてもらいたい。
「……」
その想いを肌に感じて、思わず咲茉が歯を噛み締めてしまった。
ここまで考えてくれる彼の気遣いが嬉しくて堪らないに、それがどうしようもなく悔しくて。
なにもできないまま、守られている自分がとてつもなく情けなくて。
突然彼等に声を掛けられた時は、驚きのあまり反応できなかったが……あらためて彼等の体格の良い身体を前にすると、どうしても勝手に足が竦む。
以前よりは和らいでいるが、今でも知らない男と対峙するだけで恐ろしいと感じてしまう自分が情けなくて、泣きたくなる。
特に筋肉質の男を見ると、より一層恐ろしいと感じてしまう。薄れた記憶の中に隠れている“あの男”を彷彿をさせる彼等を見るだけで、力では絶対に勝てないと心に染みついた恐怖心が、この身体を硬直させる。
自分がこうなってしまった“原因”を考えれば、それも当然の反応であるが……どうしても咲茉には悔しくてしかたなかった。
変わると決めた。今までの自分から変わろうと決意したのだから、いつまでも守られるだけの女でいるのだけは、嫌だった。
こんな時がいつ来ても大丈夫なように、雪菜から護身術を学ぼうとした。どれだけ雪菜の鍛錬が辛くても、耐えることができたのは、この決意があったからだ。
そして身体を鍛えて、心も強い女で在ろうと決めた。
それも大好きな母から、つい先程言われたばかりだった。
怯えないで。嫌だとハッキリ言える子になりなさいと。
たとえ怖くても、私の心と身体は誰にも渡さない。私に触れられる人間は、私の愛してる人にしか触らせないと心に決めて、勇気を出す。
この肌に触れるのも、好きな人達だけ。この心に入れるのは、愛してる人だけ。
そう思えば、自然と勇気が出てくると――大好きな母が教えてくれた。
その小さな勇気が、怯える身体を奮い立たせられるからと。
だから、いつまでも他人に頼るだけの女になりたくない。
大好きな悠也に、親友達に、大人達に守られるだけの女になりたくない。
その思いが、自然と咲茉の身体を動かしていた。
「――悠也」
大声を出そうとしていた悠也の腕を、そっと咲茉の手が掴む。
その思いもしなかった彼女の行動に、思わず大きく息を吐き出した悠也が怪訝に眉を寄せていた。
「……どうした?」
こんな時にどうしたのかと、悠也が咲茉に顔を向ける。
そんな彼に、咲茉は意を決した表情を向けると――
「おい、急になにを……?」
突然、驚く悠也の腕をゆっくりと引いて、咲茉が男達の前に歩き出していた。
「おっ? やっぱりそこのガキより、彼女も俺達と遊ぶ方が良かったって感じ~?」
「はっ、普通ならそうなるよな」
悠也を差し置いて、前に出た咲茉に男達が嬉しそうな笑みを浮かべる。
やはり同年代の子供よりも、大人の自分達を選んだのかと。
僅かに俯いている咲茉をジッと見つめて、もう少しであの身体を好きに使えると思うだけで胸の高鳴りが抑えきれない。
そんな彼等の邪な視線に悠也が目を吊り上げるが、それでも咲茉が彼等の前から引くことはなかった。
「……良いからこっちに来い」
これ以上、彼等に咲茉を見せたくない。その一心で見かねた悠也が、俯く咲茉の腕を掴んで引く。
しかし悠也が腕を掴んでも、なぜかその場から咲茉が動こうとしなかった。
「……咲茉?」
これには悠也も、思わず彼女の名前を呼んでしまうほど驚くしかなかった。
咲茉の行動に意図が全く見当もつかず、ただ困惑してしまう。
「へぇ~? 君ってエマちゃんっていうの~? めっちゃ可愛い名前じゃん?」
「ほら、エマちゃん。そんなガキなんてほっといて俺達と遊ぼうよ」
運良く知ることができた咲茉の名前を呼んで、男達が嬉しそうに咲茉に近づく。
思わず呼んでしまった咲茉の名前を知られて、悠也の顔が歪む。
そして男達の手が、咲茉に伸ばされた時だった。
彼等の行動に気づいた悠也が動くよりも早く――突然、咲茉が迫る彼等の手を弾いていた。
「……あ?」
パチンと音を立てて、咲茉が振った手に伸ばした手を弾かれた男が困惑する。
それが彼女から向けられた明確な拒否の意思であると男達が理解するのに、時間は掛からなかった。
「……咲茉?」
彼等と同じく、咲茉の行動に悠也も困惑するしかなかった。
わざわざ彼等の前に出てまで拒絶した彼女の行動が、理解できなくて。
どうして悠也を差し置いて、こんなことをしているのか見当もつかなくて。
その困惑に悠也が唖然としていると、おもむろに俯いていた咲茉が顔を上げていた。
その目に、明確な怒りに込めて、彼女の表情が歪んでいた。
「私に触ろうとしないで。私に触って良いのは、私が大好きな人達だけ。私はアンタ達と遊びたいとも思わないし、カッコイイだなんて微塵も思ってないの。だから私に構わないでさっさとどっか行って、私達の前から居なくなって」
淡々と告げる咲茉の姿に、悠也は声も出せないほど驚いてしまった。
知らない男を前に、ここまで堂々と咲茉が拒絶の意思を見せるとは思わなかった。
悠也や家族以外の男に、必ずと言って良いほど怯えている様子を見せていた彼女が毅然な態度を見せている。
身体の震えもない。まっすぐ見つめる彼女の目から伝わるのは、嫌悪の感情だけだった。
「咲茉……?」
今まで見たこともない彼女の姿に悠也が心の底から驚いていると、咲茉と対峙していた男達が揃って不快な表情を浮かべていた。
「……なにそれ? どう見てもそこのガキより俺達の方がカッコイイでしょ?」
「大人の俺達の方が金だってあるし、そこら辺の奴等より俺達の方が良い身体してるの見て分かんないの? 俺達みたいな良い男の方がエマちゃんも一緒に居て楽しいでしょ?」
一目で見て分かる貧弱な咲茉に拒絶されて、彼等も黙ったままでいるはずもなかった。
自分達の方が悠也よりも勝っている。そう彼等が告げても、咲茉の態度は変わらなかった。
「身体? ふざけたこと言わないで、そういうところで女によく見られようとしてるアンタ達みたいな男の人……死ぬほど嫌いなの私の態度見て分からないの? お金で釣ろうとしてるのも気持ち悪いし、その鍛えましたって見せつけてる筋肉もアンタ達を知らない私からしたら気持ち悪くてしかたないの……そういうの、知ってる子に見せてあげれば?」
男達を睨みながら、咲茉が拒絶する。
その最後は、どこか小馬鹿にしたように告げながら。
そこまで言って怯える様子も見せない彼女に、男達の表情が少しずつ怒りに歪んでいった。
身体が良いだけの高校生の小娘からここまで舐められた口を叩かれて、大人の彼等が黙っているわけもなかった。
「良い身体してるから優しくしてやってたってのに……さっきから舐めた口叩いてんじゃねぇぞ。クソ女」
「ほら、そういうところがホント気持ち悪い。女なら誰でも良いって態度がキモイって言ってるの」
「もしかしてエマちゃんって~、舐めたこと言っても彼氏が守ってくれるとか思っちゃってる頭お花畑の馬鹿? 俺達に力で敵うとか思ってるの?」
「敵う敵わないとか馬鹿な話をしてるんじゃないの。私が嫌か嫌じゃないかって話をしてるの。話をそういうところに逸らしてるアンタ達、相当馬鹿っぽい」
低い声で脅されても、咲茉は態度を変えなかった。
一貫して毅然とした態度を見せる彼女に、男達が更に怒りを露わにする。
「力で敵わないからって男に従う女だと思わないで。腕を振り上げたら女が怯えて言うこと聞くってその考えが気持ち悪いの」
「このガキ……そこまで舐めてんなら、試してみるか?」
淡々と冷たい声を発する咲茉に、男のひとりが拳を見せつける。
しかし咲茉は、その姿に失笑していた。
「やりたいならやれば良いでしょ。そうやって好き勝手にした分だけ、ちゃんと自分にしっぺ返しが来るから。それとさっきも悠也が言ってたけど……こんな場所で子供の私に手を出して、タダで済むと思ってるの?」
「なんだ? こういう時は自分じゃなくて周りを頼るのかよ?」
自分では何もできないと答えた咲茉に、男達が小馬鹿にした笑いを漏らす。
しかし咲茉はあっけらかんと答えていた。
「頼るに決まっているでしょ? だって荒事にでもなって面倒なことになったら遊ぶ時間減るし、って言うか……アンタ達に割く時間がもったいない」
「このクソアマがっ……!?」
「クソアマで結構。アンタ達にどう思われても知ったことじゃないの。だから私は子供らしく、ちゃーんと大人を頼るから」
終始小馬鹿にした態度を見せる咲茉が、大きく息を吸う。
その行動に、悠也が自分のしようとしていたことを彼女に察知されていたと理解する。
そしてどうして彼女がここまで大胆な行動をしているのかも分からないまま、悠也が困惑していると――
「……私も、いつまでも弱い女の子じゃない」
そう咲茉が呟いた声が聞こえて。
「誰かぁぁぁぁぁ! 助けてくださぁぁぁい! 怖い男の人達に連れ去られそうになってまぁぁすッ‼」
次の瞬間、彼女の大声が周囲に響いた。
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