第16話 それは愛よ
悠也と咲茉が過去にタイムリープしてから、気づけば一週間が過ぎていた。
それだけの時間が経っていれば、少しずつだが悠也も新しい生活に慣れつつあった。
新しいというよりも……どちらかと言えば懐かしさを感じる昔の生活に慣れたというのが正しいかもしれない。
朝起きれば家には当然のように家族が居て、母の作る温かい食事を一緒に家族で食べ、あり余った時間を自由に過ごす。
社会人だった時は思い出すこともなかったが、昔の自分にもこんな穏やかな日常があったのだと悠也は懐かしむばかりだった。
たとえ高校に入学する前の限りある少ない休みでも、悠也には休みがあるだけで十分だった。
自由過ぎてやることがない、なんて思えることが嬉しくてしかたない。
しかし、そうは思っても悠也は学校がないからと言って自堕落な生活をする気などなかった。
過去に戻ってきた翌日から、悠也は新しく始めた日課を行うようになっていた。
「ただいま、母さん」
早朝。全身から汗を流したジャージ姿の悠也が帰宅すると、キッチンで朝食の準備をしていた母親の悠奈に帰宅したことを告げる。
その声に悠奈が振り返ると、息子の帰宅に眉を寄せていた。
「もう帰ってきたの来たの?」
「もうって……俺が走りに家出てから30分くらい経ってるよ」
「あら? もうそんなに?」
壁に掛けられた時計を見た悠奈が驚いたと目を大きくする。
時計の針は、7時前を指していた。
「やっぱり朝は時間経つの早いわねぇ~、そろそろ達也さん起こさないと」
子供の時は当たり前だと思っていたが、こうして毎朝早起きして朝食の準備などをしている母親には感謝しかない。
悠也も一人暮らしを始めてからは嫌というほど親のありがたみを痛感した。
寝てる子供と父親よりも早く起き、家事などをしてから自分達を起こしていた母親には本当に頭が上がらない。
それを当然のように思っていた過去の自分を悠也は無性に殴りたくなった。
「朝は母さんも忙しいだろうし、父さんは俺が起こしてくるよ?」
少しでも母の負担を減らそうと、悠也が提案する。
しかし彼の提案に、なぜか悠奈はムッと表情を不満で歪めていた。
「それは駄目よ。達也さんを起こすのは私の役目。夫が朝起きて最初に見るのは愛する妻の私なんだから」
「……お熱いことで」
自分の子供に向かって恥ずかしげもなく言い切る母親に、悠也は苦笑するしかなかった。
もう両親が結婚してから十年以上も経っているはずなのに、まるで新婚のような関係が今も続いているのだから悠也も呆れを通り越して尊敬さえしてしまう。
昔は年甲斐もなくイチャつく両親を恥ずかしいと思うだけだったが、今はその関係が悠也はとても羨ましく思えた。
自分も、この両親みたいな関係を咲茉と続けてみたいと。
「とにかく達也さんは私が起こしてくるから、悠也は早くシャワー浴びてきなさい。汗臭いと咲茉ちゃんに嫌われるわよ」
「言われなくても浴びてくるよ」
昔はうるさいと思うだけだった母親の小言も、今では言ってもらえるだけ悠也は嬉しかった。
一人暮らしで自由な生活が良いとよく言うが、家に誰もいない寂しさのある生活を思い返せば、こうして親から口うるさく言われるのも不思議と悪い気分にはならなかった。
「飲み物飲んだらさっさと浴びてくる」
首に掛けたタオルで汗を拭いながら、冷蔵庫から買い置きしていた2Lのスポーツ飲料を取り出して勢いよく喉へと流し込む。
身体から失われた水分が戻っていくような心地よさが堪らなく気持ち良い。
まるで冷えたビールでも飲んだ気分だった。もうしばらく酒も飲めないことが残念だと思うと、悠也の潤った喉から勝手に深い息が出ていった。
「それにしても変わったわねぇ〜」
「……ん? なにが?」
なにがなく悠也が訊き返すと、悠奈はしみじみと答えていた。
「ちょっと前まで寝坊助だった悠也が朝早く起きてランニングするなんて思わなかったわ。どうせ三日坊主だと思ってたのに、ランニング始めてからもう一週間も続けてるから偉いわぁ」
もう悠也が日々の日課して早朝のランニングを始めてから一週間が経っている。
確かに悠也が子供だった頃は、よく夜更かしして睡眠時間が少なく朝が起きられないなんてことが多かった。
そんな息子が早朝のランニングなんて続くはずがないと母親が思うのは当然のことだろう。
実際、母の悠奈からすれば少し前まで時間ギリギリまで寝てることがほとんどだった息子が突然早起きできるようになっていれば、驚くに決まっていた。
「折角なら少しくらい身体鍛えておこうって思っただけだよ。もう朝早く起きるのも慣れたし」
しかし、それもまだ悠也が子供だった頃の話だ。
外見は子供でも、その中身は25歳の大人である。起きようと思えば朝早くに起きることなど造作もない。
とは言っても、だからと言って悠也も決して朝起きるのが辛くないわけではない。朝の布団の中は魔法が掛かってると思うほど魅力的で、二度寝してしまいそうにだってなる。
単に悠也が起きられるのは、社会人だった頃に植え付けられた社畜の精神が今も彼の中に根付いているだけの話だった。
アラームが鳴れば仕事だと思って飛び起きてしまうのは彼自身も今では悪癖だと自覚しているが、こうして朝早くから時間を有効活用できるならとりあえずは良しと勝手に納得している。
「それにしたって変わり過ぎよ。あのだらしなかった息子は一体どこに行っちゃったのかしら」
「めっちゃ言うじゃん……息子が自立するのは嬉しくないの?」
「子供の成長は嬉しくとも悲しくもあるのが複雑な親心なのよ」
そう話す悠奈の表情は、その言葉の通り、嬉しさ半分悲しさ半分と言った複雑な表情だった。
悠也も親の心情を察することはできた。子供が手元から離れていくのは、親ならば悲しみもする。
社会人になって悠也が実家を出る時の母親の悲しみ方は、それはもう酷かった。泣き喚く母を父親と二人で慰めるのに必死だった。
昔から子離れできない母親に苦笑しつつ、悠也は肩を竦めた。
「もう今日から高校生になるんだし、いつまでもお母さんに甘えてられないよ」
「それはそうだけど……はぁ、これも息子に春が来たおかげなのね」
また余計なことを口走る母に、悠也は溜息を吐きたくなった。
「またその話かよ」
「だって悠也が身体鍛えるようになったのも、まだ学校も始まってないのに部屋で勉強してるのも全部咲茉ちゃんのためでしょ?」
「うっ……」
事実だから悠也に言い返す言葉もなかった。
数日前に家族に色々と話してしまった自分を殴りたくなる。
咲茉と交際することは、付き合うことなった翌日に二人は互いの家族に話していた。
その時の悠奈の喜びようは見てるのも恥ずかしくなるくらいの歓喜で荒れ狂っていた。
それを悠也が後悔しても、今更だった。
なぜ馬鹿正直に自分は咲茉のために努力することを両親に恥ずかしげもなく話してしまったのか。
きっと咲茉と交際できることが嬉しくてハイテンションになっていたからだろう。そう自分を納得させるしかなかった。
「愛する咲茉ちゃんのために悠也が男になっていくのね……寂しくて泣いちゃいそうだわ」
「親が子供に愛とか語るなよ」
「ふふっ、好きの先は勝手に愛になるものなのよ」
「なに言ってんだか、子供の恋愛に愛なんてないあるかよ」
母親の言葉に内心で納得してしまう悠也だったが、素直に頷くわけにもいかず、わざと子供らしい反応を演じて見せる。
まだ15歳の子供が愛なんてものを理解できるはずがないのだから。
「なに言ってるのよ。今の悠也見てれば分かるわ。悠也が咲茉ちゃんを見てる時の顔って妙に大人びてるんだから」
母から確信を突かれて、悠也が言葉に詰まる。
反応に困る悠也に、悠奈は優しい笑みを浮かべていた。
「あの時の顔、達也さんとそっくりだったわ。本当に咲茉ちゃんが好きなんだってなんとなく分かるのよ。きっと、それは愛よ」
「だから子供に馬鹿なこと言うなよ。シャワー浴びてくる」
「ふふっ、早く行ってきなさい。ご飯の準備しておくわ」
「……早く出てくるよ」
足早にキッチンから去っていく悠也を悠奈が見送る。
やはり見違えるほど息子は変わった。今の会話も、いつもなら鬱陶しそうに反論してくるはずが、やけに素直だった。
そんな息子に少しだけ違和感を悠奈は感じるが、それもまた成長なのだと苦笑いすると、いそいそと朝食の準備を続けていた。
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