第44話 いつだって、見守ってる
つい訊いてしまったが……振り返ると今まで、一度も咲茉は訊いたこともなかった。
自身の母親達の、男に関する困ったことを。
その手の話題は、自然と咲茉も控えていた。
そもそも咲茉自身が男を恐れるようになった理由を考えれば、世間話の話題に出すはずもなかった。
タイムリープしてからも、そんな話を彼女がするはずもなく。
タイムリープする前も。当時まだ子供だった咲茉は、男絡みに困っても両親に相談すらしなかった。
所詮は、ただのナンパだと。見知らぬ男に声を掛けられて怖い思いをしても、そんな些細なことで大好きな両親達を心配させたくない一心で黙っていた。
こんなことは、どこにでもある話だと自分に言い聞かせて。
それが原因で“あんなこと”になったのだから……本当に、笑えない話だった。
もっと早く相談していれば、訪れる未来も変わっていたかもしれないのに。
もう随分と昔のように思える、少しずつ薄れている消え去りたい記憶が脳裏を過ぎって、つい咲茉の表情が僅かに歪んでしまう。
そんな時だった。
彼女の耳に、母親達の呆れた話し声が聞こえた。
「ほんと。今も昔も、ああいうロクでもない男達は絶えない生き物ね」
「そうね~。あんな風に声掛けられたのも随分と久々だったわ」
沙智の呆れ声に、悠奈が苦笑交じりに答える。
そして互いに失笑する母親達の姿に、ふと乃亜が首を傾げていた。
「久々ですか~? 意外ですね~、お二人とも綺麗で可愛いのに~?」
「あら、こんなおばさんに嬉しいこと言ってくれるわね。乃亜ちゃん」
なにげない乃亜の言葉に、悠奈が嬉しそうに微笑む。
そんな彼女に、乃亜はキョトンと呆けた顔を見せていた。
「……おばさん? まだ30代なのに?」
確か乃亜が知る限り、悠奈の年齢は30代半ばであった。
それを“おばさん”と呼ぶのは人それぞれだが、今も目の前にいる悠奈と沙智は……とても“おばさん”とは呼べなかった。
「アラフォーの母親なんてもうおばさんよ~」
「なにを言ってますやら~。まだまだ若いじゃないですか~」
「ふふっ、お世辞でも嬉しいわぁ」
「お世辞じゃないですよ~。ナンパされるってことは、それだけ2人が魅力的に見えるってことですし~」
偽りのない本心を告げる乃亜だったが、悠奈は真に受けることもなく嬉しそうに笑って見せる。
その時、なぜか沙智が深い溜息を漏らしていた。
「あんな面倒なのも、あと数年もすれば無くなると思うと清々するわ。流石に40代にもなれば私達に声掛ける男もいないでしょ?」
「僕から見れば、いつでも君は素敵な人だと思ってるよ?」
「……子供の前でそういうこと言うんじゃないわよ」
恥ずかしげもなく口走った新一郎の肩を、沙智が叩く。
ほんのりと頬を赤くした彼女に叩かれても、新一郎は嬉しそうに笑うだけだった。
「まったく、あなたは……」
そんな彼の反応に、思わず沙智が口ごもってしまう。
しかし黙るのは嫌だと思い、強引に彼女は話を変えることにした。
「もう私も悠奈のお守りはごめんよ。早く解放されたいくらいなんだから」
「あら? そんなに私って沙智に迷惑掛けてたかしら?」
「……冗談でしょ?」
そして返ってきた悠奈の声に、沙智の目が大きくなった。
「アンタ、昔からどれだけモテてたと思ってるのよ」
「……そうだったかしら?」
「高校の頃、死ぬほど告白されてた人間の言葉とは思えないわ。大学生の時だって声掛けられまくってたのに……本当に昔からアンタって達也さんしか目に入ってなかったのね」
「愛しの達也さん以外の男の人なんて興味ないわ~。そういう沙智だってモテてたじゃない?」
「アンタに比べたら楽だったわよ。まったくこの子は……」
呆けた顔の悠奈と肩を落とす沙智の会話を肴に、乃亜達がかき氷を摘まむ。
普段聞くことのない大人の、この手の話は意外と聞いて飽きなかった。
むしろ同じ女であるからこそ、凛子と雪菜も面白半分で耳を傾けていた。
「……あんな風にナンパされた時って、今までどうしてたんですか?」
ふと、おもむろに凛子が訊くと、沙智は呆れ顔で答えた。
「そうねぇ~。さっきの悠奈は特別として……ほとんどは無視してれば勝手に居なくなるけど、ちょっと良い思いしてきた男共は無視しても粘るから」
その経験は、凛子もあった。
咲茉達と遊びに行けば、男に声を掛けられることもあった。
ゲームセンターから始まり、買い物に出かけても、どこでも声を掛けて来る男はいる。
沙智の言う通り、無視すれば勝手にいなくなることもあった。もしくは凛子が邪魔だと一蹴することもあれば、強引に近づこうとする男を雪菜が蹴散らすことも稀にある。
「大体、粘ってくる男ってチャラそうな男ばっかりなのよね。そういう男なんてロクでもないから最初から願い下げよ。そもそも私だって昔から新一郎一筋だったし」
それは凛子も同意だった。粘る男ほど、遊んでいる見た目をしていた。
もちろん例外はいるが、髪を染め、肌を焼いて、見た目を着飾って香水の匂いを撒き散らす男がほとんどだった。
「あんな男になびくほど、私達は安い女じゃないわよ。人の顔見ないで話して、身体に視線向いてる時点で論外。身体目当てだって相手が気づいてないと思ってるのね、そこまで女は馬鹿じゃないのよ」
その話に、自然と咲茉の表情が強張った。
似たような経験をしてきた。その先の、酷い思いをしてきた。
だから男の視線には、咲茉も敏感に気づくことが多い。
「お母さん、そういう時って……どうしてたの?」
気がつくと、咲茉は持っているかき氷に口を付けることもなく、自身の母に訊いていた。
今まで一度も訊けなかった話を、今更ながらに。
少しだけ目を伏せて、恐る恐ると見つめる娘に沙智もすぐに察せた。
この子も、同じ悩みを抱えて来たのだと。
「この前の事件と凛子ちゃんの話でなんとなく察してたけど……咲茉、やっぱり普段からナンパされてたの?」
「……うん。時々だけど」
改めて咲茉が頷くと、申し訳ない気持ちになってしまった。
この話を、もっと早くからしていれば良かったのにと。
ただでされ男が苦手な彼女に、ナンパの対処など難しいに決まっている。
娘のことを理解している沙智は、すぐに思った疑問を口にしていた。
「今までどうしてたのよ?」
「凛子ちゃんと雪菜ちゃんがいる時は大丈夫だったけど、ひとりの時は断っても強引な人が多くて……この前も悠也に助けてもらったし」
「この前……もしかして乃亜ちゃん達に手伝ってもらったデートの時?」
「うん」
咲茉の返事に、ゆっくりと沙智の眉が吊り上がった。
そして悠奈も、驚いたと目を大きくしていた。
「なんでそういうこと言わないのよ、アンタって子は」
「……ごめんなさい」
頭を下げて謝る咲茉に、沙智が呆れる。
確かに、娘の容姿は親の沙智から見ても、忖度なしに可愛い。
見知らぬ男から声を掛けられても、なにも不思議ではなかった。
本当なら親の自分達が守ってあげたいと思ってしまうが……
しかし、いつでも親が娘の傍にいることはできない。
彼氏や友達と出かけることもある。ひとりで出かけることだってある。
そして、まだ子供でも、いずれ娘も大人になる。
そういう時、人目を惹く子ほど自衛する術を持たなければならない。
「だから夏休みから雪菜ちゃんに武術教わるって言ってたのね。前の事件の所為だとは思ってたけど、そもそも普段からナンパされてたら……咲茉がそう考えるのも当然だわ」
そう思うと、沙智はここ最近の娘の行動に納得がいった。
彼女なりに、自衛の術を得ようとしている。
沙智が話に聞いている限り、この場にいる雪菜という女の子は、武術に長けた強い女の子だと聞く。
なら護身術を覚えるには、うってつけの人材だった。
しかし娘の性格面を熟知している親からすれば、それでも足りないと思えた。
「……うーん」
無意識に、沙智が唸る。
そして娘の欠点を考えると、それを正直に伝えることにした。
「咲茉、あなたは周りから見ても気弱な子よ。それは分かる?」
その自覚はある。咲茉が素直に頷けば、沙智も頷いていた。
「でも相手はね、そんなこと一切気にしない。少しでも弱みを見せたら、すぐ突かれる。弱気な女の子ほど、言いくるめるのが簡単な子はいないから。私が大学生や社会人だった時だって、そんな子が飲み会で酔わされて家に連れ込まれたって話は聞くわ」
本来なら、楽しい海でこんな話をするべきではなかったかもしれない。
だが真剣に見つける娘の姿を見れば、そんなことも些細なことだった。
普段なら決して子供に聞かせる話ではないが、それでも大人になって耳にした話を口にしてしまうほどに。
そう思う沙智が知る由もないが、現に咲茉は経験している。そういうことが、実際にあったことを。
だからこそ、沙智の話の怖さは、身をもって理解していた。
「若くて可愛い子ほど、そういうことが増える。他人からすれば美人の美徳なんて言うけど、本人からしたら迷惑も良いところよ。だから、あなたの気持ちが強くならないといけないの」
それも分かっているが、できれば苦労しない。
そう思った咲茉が困った顔を見せるが、沙智はまっすぐに娘を見つめていた。
「怯えないで。嫌だとハッキリ言える子になりなさい。私も最初は怖かったわ」
「……お母さんも?」
思わず訊き返した咲茉に、沙智は苦笑交じりに答えた。
「最初は悠奈のお守りで男を追い払ってたけど、いざ自分になると怖かったわ。大して仲良くもない他人から1人の時に声を掛けられたら、誰だって怖いって思うわよ」
母親も、自分と同じ気持ちになっていた。
今更知った母親の経験に、咲茉が呆けていると沙智は話を続けていた。
「だから、そういう時は好きな人を思い浮かべてたわ」
「……好きな人?」
「私の心と身体は、誰にも渡さないって。たとえ付き合ってなくても、付き合ってても、好きで好きで堪らなくて、私の愛してる人にしか触らせないって心に決めて勇気を出すの。私の肌に触れるのも、好きな人達だけ。私の心に入れるのは、愛してる人だけって。そう思えば私はね、勝手に勇気が出るのよ」
そっと胸に手を添えた沙智が、優しい口調で語る。
その話は、振り返れば咲茉も似たような経験があった。
少し前に悠也とデートをした時、ナンパされた時も勇気を出せたのは悠也達の存在があったからだと。
もう今までの自分ではない。彼等に助けられるばかりの女にならないように、自分も変わろうとして勇気を出した。
「その小さな勇気だけで、怯えなくなるわ。自分ですら怖いと思う声だって出せる。あなたには一切の興味もない、相手にもしないって態度で出せる。それでも相手が引かない時は、大声を出したり、コレを使ったりするのよ」
持っていた防犯ブザーを見せつけて、沙智が笑って見せる。
「あなたも持ってるでしょ? それと物騒な小型のスタンガンも」
今は手元にないが、乃亜から渡された防犯グッズは、いつでも咲茉は大事に持っている。
「まず大前提に、ひとりで人の少ないところに行かない。声を掛けられても応じない。困ったら大声を出す。怖くても、好きな人を想って勇気を出す。それと――」
「……それと?」
途中で言葉を止めた沙智に、咲茉が首を傾げる。
そんな娘に、改めて沙智は微笑みながら告げていた。
「いつでも、咲茉を大事に想う人達がいるって信じなさい。悠也や乃亜ちゃん達だって、あなたに何かあったらすぐに駆け付ける。私達だって離れても、娘のことが一番の宝物なの。もし咲茉になにあったら、私は全てを捨てたって構わないわ。それだけ咲茉を好きだって想う人達がいるの……だから自分を大事にする為に、咲茉のことが大好きな私達の為に、あなたは勇気を出す努力をしなさい。いつだって、見守ってる私達はあなたの味方なんだから」
優しい声で、そう告げた母の言葉に……咲茉はどうしてか声が出なかった。
ここまで言わせるつもりはなかった。
彼女達が自分を心配してくれていたことなど、分かっていた。
タイムリープする前の、全てを捨てて引っ越しの決断をしてくれた時も。
引き籠った自分を怒ることもなく、心配し続けてくれた両親の気持ちは、嫌というほど分かっていた。
本当に、子供の頃の自分を……殴りたくて仕方ない。
こんなにも、自分は思われていたのに。ただ相談することすらできなかった自分の考えなさが、あまりにも恥ずかしくて。
もう同じ過ちは繰り返さない。今度こそ、強くなろう。
みんなに誇れる女の子でいられるように、強い女の子に。
「……うん、頑張る。困った時は、なんでも言うね」
絶対に泣かない。この場で泣くのは、意地でもしたくなかった。
奮える喉奥を押さえつけて答える咲茉の頭を、おもむろに沙智が撫でる。
悠也と違った、優しい手。この手も、好きで堪らなかった。
「なんでも言いなさい。私と新一郎は、いつでもあなたのことを見守ってるわ」
「私だって咲茉のことずっと見てるもん!」
「ちょっと悠奈、邪魔しないでよ」
急に母親達の口喧嘩が始まるが、それでも2人が咲茉の頭を撫でる手つきは優しいものだった。
その感触を感じながら、咲茉は俯くだけだった。
なぜか勝手に出てくる嗚咽を、我慢する為に。
そんな彼女の姿を、乃亜達は微笑ましそうに眺めていた。
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