第42話 なんだよあの女っ!
夏の海は、人の心を開放的にする。
青い空から降り注ぐ太陽の日差しと、心地良い波音を奏でる青い海。
そして素肌を曝け出した水着を着てしまえば、自然と心が晴れやかな気持ちになる。
周りを見れば、海には女は腐るほどいる。無駄に際どい水着を着たナンパ待ちの女や、男慣れした雰囲気のギャルなど女の数だけ個性がある。
こういうところにいる女達は、いつもよりガードが緩くなる。新しい出会いを求めるのに、夏の海はうってつけだった。
そんな海に新たな出会いを求めてきた3人の若い男達が目に留まったのは、随分と美人な2人組の女だった。
「おい、あれ見ろよ」
パラソルの日陰に隠れて、のんびりとくつろいでいる彼女達を見た瞬間、彼等の胸が高鳴った。
明らかに周りの女達よりも、レベルの高い女達がいた。
おそらく20代後半だろうか?
ボブヘアーの髪を掻き上げた可愛い系の女とロングヘアーの綺麗な女。
2人とも露出を控えているのか、揃って上着を着ている。
だがそんなことで、男達の目は誤魔化せなかった。
「うっわ……えろ」
「マジそれな、ずっと見てられる」
上着を着てても見える綺麗な2人の足に、思わず男達の目が奪われそうになる。
彼等が通う大学でも、あれほどの美人は中々居なかった。
可愛い系の女は、実に触り心地の良い身体をしている。胸元も上着では決して隠しきれない大きな膨らみを見るだけで、見えないだけに想像が膨らむ。
綺麗な女は一見スレンダーに見えても、上着からでも分かる程よく膨れた胸を見れば、そのスタイルの良さは一目瞭然だった。
「普段飲まないけど、こうも暑いとビール飲みたくなるわね〜」
「紗智の気持ちも分からなくないけど、流石に子供達連れて来てるのにお酒なんて飲めないわよ」
なにげなく近づけば、酒を飲みたがる綺麗な女に可愛い系の女が苦笑いしていた。
どうやら2人は子連れらしい。
あの見た目の若さからすれば、間違いなく子供も幼い。きっと今頃、父親は海で子供の面倒を見ているのだろう。
たとえ旦那から奪えなくても、一夏の思い出として彼女達に声を掛けるのもアリかもしれない。可能性は極めて低いが、もし相手が乗り気なら“良い思い”ができる。
車の中でも良い、どこかの物陰でも構わない。ちょっとした時間だけでも彼女達を好きにできるなら、そのワンチャンスに掛ける価値はある。
あしらわれて失敗しても、特別失うものはない。むしろガードが固い女ほど、落とした時の快感は絶大である。
これがナンパの醍醐味だ。ワンチャンスは、挑まなければ始まらない。
そんな邪な思いで微笑する男達が目を合わせると、意気揚々と彼女達に声を掛けることにした。
その選択が、後悔に繋がることも知らずに。
◆
咲茉と乃亜が母親達がナンパされてるかも――と聞いて悠也達が慌てて戻ると、そこにあった光景に唖然と立ち尽くしていた。
「でね! 私の達也さんって恥ずかしがってパーカーとか着るんだけど意外と細マッチョで腹筋とか凄いのよ〜! 人に見せるの恥ずかしいって言うけど、私なんていつもあの逞ましい胸板とか見て……って私になに言わせるつもりよ〜! 確かに私も自分の愛する旦那が他の女に見られるのも嫌だから良いんだけど、あの人にはもう少し自分に自信持っても欲しいくらいなのよね〜!」
悠也達が慌てて海から戻ってくると、なぜか悠奈の旦那自慢が行われていた。
「まったくこの子は……」
その隣で紗智が頭を抱えていたが、それも気にすることもなく、悠奈が話し続ける。
「それでねそれでね! 日焼けすると肌が赤くなっちゃうから日焼け止めとか塗るんだけど、それも恥ずかしがって塗ってる横顔が可愛くて堪らないのよ〜! 普段はすっごくカッコイイのにたまーに見せてくれるそういうところにキュンとしちゃうの! やっぱりカッコイイだけじゃなくて男の人って可愛さも大事だと思うのよね、私!」
怒涛の勢いで捲し立てる悠奈の表情は、楽しくて堪らないと言わんばかりの笑顔だった。
一体、なにがどうなって?
そう思う悠也が呆けていると、悠奈の話を引き攣った笑みで聞いていた男達が後ずさっていた。
「あっ、はい。じゃあ俺達はそろそろ」
「ちょっと! まだ私の話は終わってないわよ!」
「いや、マジで俺達この辺で――」
逃げようとした2人の男の腕を、笑顔の悠奈が咄嗟に掴む。
「あなた達が言ったじゃない! 自分達より良いって言う旦那の良さを教えてくれって! なら最後まで聞いていきなさいよ〜!」
「いや、ホントに勘弁してくださいっ!」
そして悠奈に捕まった2人の男の悲鳴を聞きながら、いつの間にか3人目の男が走って逃げていた。
「普段は仕事で忙しい達也さんだけど、休みの人は私のこといーっぱい甘やかせてくれるのよ! 家事も手伝ってくれるし、私が疲れた時に限ってタイミング良く膝枕とかしてくれるの〜! ホント、素敵だと思わない?」
「素敵です! 本当に素敵な旦那さんと思いますから! マジで勘弁して!」
「まだまだ終わらないわよ〜!」
ただでさえ人目が多い場所である所為で、彼等も手荒なことはできない。
特に今いる場所は、周囲の人も多い。騒ぎを起こせば捕まる可能性もある。
よって強引に悠奈の手を振り払うこともできない男達は、強く抵抗できないまま彼女の話を聞くしかなかった。
「咲茉っち、アレもナンパを撃退するひとつの手だよ。あんな珍しい方法で男を言い負かす人なんて中々いないなら……見て覚えるのも良いかもね」
珍しく乃亜から漏れた乾いた笑いに、咲茉の頬が引き攣った。
「流石にアレは真似できないかも」
「多分だけど旦那より自分達の方がが良いだろ〜って攻めるつもりだったんだろうね、あの人達」
あの様子を見る限り、特に慌てることもないと判断した乃亜が冷静に分析してしまう始末だった。
「ああいうのって適当に答えても何かと理由付けて自分達の方が良いって思わせるもんだけど……ホントすごいね、悠也っちのお母さん」
「それ、褒めてるか?」
「めっちゃ褒めてる」
自身の母に心底呆れる悠也に、乃亜は素直にそう答えていた。
無視しても、あの手の人間は諦めるまで時間が掛かる。自分に自信があるからこそ、粘る人もいる。
そこそこ筋肉質で軽く日に焼けた男達の肌を見れば、自分にある程度の自信があるから悠奈達に声を掛けたのだろう。
乃亜から見ても、悠奈と紗智は美人である。本当の歳を感じさせない外見は、素直に目を見張るものがある。
だからこそ、彼等に適当な対応をしても無駄だった。きっと彼女達の旦那が来るまで粘っていたかもしれない。
無視しても無駄、適当に答えても良いように解釈されて粘着される。
ならば、相手が引くほど旦那を自慢すれば良いだけだった。
「あの笑顔が良い味出してるよ〜。本気で楽しそうに言ってるからアレだと反論のしようがないもん」
仮に自慢しても、少しでも怯えた反応を見せればつけ込まれる可能性もある。
女である以上、男に力で勝てない。だから怯える女を良いように言いくるめるのも、ナンパの手口とも言える。
「あとあと――!」
しかし今も旦那の良さを語る悠奈は、微塵も怯えている様子もなかった。
心から幸せそうに語り、言い返しても無駄だと相手に思わせている。
絶対に自分達では悠奈の旦那に勝てない。それで逃げようとしても逃さない辺り、肝が座っている。
「……そろそろ止めるか?」
母親の恥ずかしい一面を見届ける悠也が、思わず呟く。
あの様子なら、止めれば男達も逃げるだろう。
その声に咲茉が静かに頷いている時だった。
「ん? 悠奈? 彼等は誰だい?」
両手にかき氷を持った達也が現れるなり、怪訝に眉を寄せていた。
「あっ! 達也さん! あの人達が私に声掛けてきて、あなたの良さを語ってたのよ〜。あなたより自分達の方が良いだろって言うから」
「……へぇ? 君達が俺の女に声を?」
楽しそうな妻の返事を聞いた途端、達也の表情から感情が消えた。
無表情で、達也が男達を見つめる。
その顔に、思わず悠也の顔が強張った。
あの表情は、怒ることも少ない父親の――本気の激怒であると。
「……達也さん?」
唐突に変わった達也の表情に、悠奈がキョトンと呆ける。
それと同時に彼女が男達の腕から手を離すと、一斉に彼等は慌しく逃げていた。
「マジであの女ヤバいって!」
「なんだよあの女っ! バケモン過ぎっ!」
「あら、まだ話終わってないのに」
逃げていく男達に、悠奈が名残惜しそうに口を尖らせる。
そんな彼女の頭に、達也は躊躇うこともなくチョップを叩き込んでいた。
「あたっ」
「悠奈、ああいうのが来たら大声を出せって言わなかったか?」
頭を抱える悠奈に、達也が深い溜息を吐く。
しかし呆れる彼に、悠奈はキョトンと呆けたまま答えていた。
「え? だって私が困ったらすぐあなたが来てくれるじゃない? こうして今も来てくれたし……それにあんなナンパくらい、ここも人が多いし怖くもなんともないわよ?」
そう告げる悠奈の表情は、信じていると語っていた。
その表情に、また達也から深い溜息が漏れた。
「紗智さん。本当に大丈夫だった?」
「大丈夫よ、私でも引くくらい上手くあしらってたわ。いざとなったらコレ使うつもりだったし」
そう言って紗智が見せたのは、小型の防犯ブザーだった。
「この前の事件もあったし、こういう備えはしてるわよ」
「それなら良かった」
わざとらしく肩を竦める紗智に、達也がホッと胸を撫で下ろす。
そんなやり取りを悠也達が見守ってると、ふと大人達の視線が彼等に向いた。
「ん? 悠也達じゃない? 急に戻ってきてどうしたの?」
「咲茉と乃亜から母さん達がナンパされてるって聞いたから慌てて戻って来たんだよ……危ねぇからああいう対応すんなよ」
まるで何事もなかったかのように振る舞う悠奈に、悠也は呆れながら答えた。
「そんなこと子供が気にするんじゃないわよ」
「親でも気にするに決まってるだろ、普通に考えて」
「ふふっ……心配してくれてありがと。ああいうのは昔から慣れっこよ。普段は気をつけてるけど、今日は達也さんもいるから安心してるだけ」
深く肩を落とした悠也だったが、悠奈はクスクスと笑うばかりだった。
そんな母親の反応に、息子と旦那は揃って頭を抱えてしまった。
「昔からあんな風に言ったらね、ナンパして来た人ってみんな逃げてくのよ。本当、不思議よね。ただ達也さんの良さ語ってるだけなのに」
度胸があるというよりも、天然かもしれない。
改めて知る母親の一面に、悠也も呆れた笑みを浮かべるしかなかった。
「咲茉っち、やっぱり君達のお母さんってすごいよ」
「……ねぇ、乃亜ちゃん。それ褒めてる?」
「無茶苦茶褒めてる」
そう答える乃亜に、咲茉達全員が渇いた笑みを浮かべていた。
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