第40話 泳ぐのは得意なんだよね
単なる水の掛け合いですら、海だと楽しかった。
「どりゃぁぁぁ〜!」
「きゃっ! もう乃亜ちゃん! 急に水掛けないでよ〜!」
唐突に薙ぎ払われた乃亜の腕によって周囲に舞い散った海水に、思わず咲茉達が後ずさる。
反射的に顔を守りながらも、降り注ぐ海水が冷たくて気持ち良い。それが友達からのイタズラと思うだけで、自然と笑みが溢れてしまう。
「ふふっ、冷たくて気持ち良いです!」
「おい乃亜っ! テメェ少しは加減しろよっ!」
一度では飽き足らず、何度も乃亜が腕を薙ぎ払って海水を撒き散らす。
まるでシャワーのように降り注ぐ海水に咲茉と雪菜は終始笑顔だったが、加減を知らない乃亜の行動に凛子がムッと眉を寄せていた。
「ふっふー! 凛子っちよ〜、こういう時はやられる前にやるのが定石って決まってるの〜!」
「ならこっちもやられる前にやってやんよ!」
負けじと叫んだ凛子が海に右手を突っ込むと、渾身の力で振り抜く。
その瞬間、水の塊が乃亜に襲い掛かった。
「……へっ?」
一瞬で迫る海水を、乃亜が躱せるはずもなく。
「あばばっ!」
全身に海水を浴びた乃亜が倒れながら、海の中に水飛沫をあげて消えていった。
「しゃあ! ワンキルっ!」
一撃で乃亜を倒した凛子が笑顔でガッツポーズを作る。
その姿に咲茉達が揃って笑ってしまうが……一向に乃亜が海から姿を見せないことに、全員が揃って眉を寄せた。
「あれ? 乃亜ちゃん?」
「おいおい、もしかして溺れたとかじゃ?」
首を傾げる咲茉に続いて、悠也が少し焦った表情を浮かべる。
あり得なくない。小柄な乃亜では、たとえ腰下までしかない浅瀬でも溺れる可能性は十分ある。
「……え、まじ?」
その声に、凛子も少し焦った表情を見せた時だった。
「――ばぁーか! 溺れるわけないでしょ!」
突然、凛子の背後から水飛沫あげて乃亜が姿を現した。
いつの間にか目にゴーグルを付けた乃亜が、突然現れるなり凛子の腰にしがみつく。
「ちょっ! お前どこ触って――!」
「お前も道連れじゃぁぁぁ〜!」
急に腰に抱きつかれて赤面する凛子に、乃亜が彼女の膝に自身の膝を押し付けながら後ろに倒れ込むと、
「きゃっ――!」
膝カックンでバランスを崩した凛子が珍しい声をあげて、乃亜と一緒に海へと消えていった。
そしてすぐに凛子が海から顔を出すと、顔を真っ赤にして叫んでいた。
「こんのチビスケっ! またぶん投げられてぇのか!」
「ふふっ、あの凛子っちがきゃっ! だって! 普段は無愛想でも結構可愛い声出せるじゃ〜ん?」
同じく海から顔を出した乃亜が楽しそうに笑う声に、凛子の顔が更に赤く染まった。
「ぐっ……!」
自身でも思わず柄ではない声が出てしまった所為か、耳まで真っ赤に染まった凛子の目が吊り上がる。
その瞬間。素早く凛子が乃亜を捕まえると、その怒りをぶつけるかのごとく全力で放り投げていた。
「テメェはもう一回ぶっ飛んでろっ‼︎」
「ひゃぁぁぁぁ〜!」
軽く宙を舞った乃亜が、ザバーンと音を立てて海に消えていく。
「ふぅ……! めっちゃスッキリした」
その光景に凛子が満足そうな笑みを浮かべると、誇らしそうに胸を張っていた。
これで乃亜も少しは反省するだろう。
そう思っている凛子だったが、
「実は私って泳ぐのは得意なんだよね〜。だからあんまり私を舐めてると〜?」
またいつの間にか凛子の背後からゆっくりと姿を現した乃亜が、今度は彼女の背中に人差し指を添えると、
「意外と、痛い目見ちゃうよ〜?」
その背中を、優しく撫でていた。
「ひゃっ――!」
背中を駆け抜ける悪寒に、反射的に凛子の口から声が漏れた。
仰け反った凛子が赤面して振り返るが、もうそこに乃亜の姿はなく。
「あのチビ! どこいった⁉︎」
周囲を見渡しても姿を見せない乃亜に、凛子が目を吊り上げていた。
きっとまた、背後から襲ってくるかもしれない。
そう思う凛子がひたすらに背後を警戒している姿に、ふと啓介が声を漏らしていた。
「意外と凛子ってああいう可愛い声出すのな、不本意ながらちょっとドキッとした」
「……啓介、口は災いの元って知らないのか?」
「え?」
なにげなくそう呟いた啓介が悠也に呆れられた時には、もう遅かった。
悠也が指差す先に啓介が視線を向けると、真っ赤に顔を染めた鬼の形相を見せる凛子と目が合った。
「おい、啓介? 今、なんて言った?」
「え……そ、そんな変なこと言ってませんよ? 凛子様が可愛いって思っただけで――」
「あんまり私のこと馬鹿にしたらどうなるか教えて欲しいって? 良し分かった、そこ動くなよ? 今すぐに教えてやる」
「なんて俺が襲われないといけないんだよっ!」
「テメェがふざけたこと抜かすからだっ!」
悲鳴に似た声で叫びながら逃げる啓介を、凛子が追い掛ける。
その鬼ごっこを悠也が呆れた表情で眺めていると、その隣で咲茉も彼等に苦笑するしかなかった。
「あそこで乃亜ちゃんじゃなくて……啓介君追いかけるんだね」
「あれは啓介が悪い」
苦笑する咲茉に、同じく悠也も苦笑してしまう。
普段見せない一面を不用意に見せてしまえば、凛子が怒るのも当然だった。
更にそこに啓介の余計な一言で彼女を怒らせただけの話だった。
男からあんなことを言われて、凛子が怒らないはずがなかった。
「後で乃亜もしばかれるとは思うけど、面倒だからさっさと捕まえて凛子に渡してやるか。あの2人がしばかれたらアイツも落ち着くだろ」
荒ぶる凛子の怒りは、乃亜と啓介に制裁を加えるまで落ち着くことはないだろう。
そう思った悠也が、渋々と今も姿を見せない乃亜を探そうとした時だった。
「大丈夫ですよ、ちゃんと私が捕まえましたから」
「離してー! 誰かぁー! 男の人ぉ〜!」
いつの間にか雪菜に襟首を掴まれた乃亜が、まるで猫のように捕まっていた。
「……いつの間に捕まえたんだよ」
乃亜が捕まっている姿に、思わず悠也が頬を引き攣らせる。
「私を背後から襲おうとしてたので、つい反射的に」
そんな彼に、雪菜はあっけらかんと答えていた。
「……雪菜ちゃん、あのA級スナイパーみたい。ねぇゆーや、私も頑張ったらできるかな?」
「そのA級スナイパーって何か知らないけど、無理だろ?」
「え、ゆーや知らないの? 結構有名だよ?」
全く捕まっている乃亜に気遣う様子もなく、咲茉と悠也が話を続ける。
そんな2人に、捕まっている乃亜が暴れながら叫んでいた。
「なんで海の中から近づいたのにバレるのさー! 雪菜っち気配察知のスキルでも持ってるの⁉︎」
「……すきるってなんですか? とにかく凛子ちゃんに渡すので暴れないでくださいね?」
「やめろー! 今から私は浮き輪でぷかぷかして海を満喫するって決めてるのー! あの狂犬に渡されたらボロ雑巾にされちゃうでしょー!」
「自業自得です」
そう言って、雪菜が凛子を呼ぶ。
その声に凛子が振り返ると、捕まっている乃亜を見るなり、満面の笑みを浮かべていた。
そして迫る凛子に乃亜が更に暴れるが、雪菜から逃げることもできるはずがなかった。
「ほんと、たまに馬鹿なことするよな。乃亜って」
「そこが可愛いと思うよ、私は」
「そんなこと言ってないで2人とも助けて〜!」
「「それは無理」」
「この薄情者〜!」
揃って答える2人に、乃亜はガックリと肩を落としていた。
本当に、ただの自業自得でしかない。
今から凛子にしばかれる乃亜に、悠也達は心から呆れるしかなかった。
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