第37話 ずっと触ってられる
結局のところ、悠也がどう足掻いても拒否できるはずもなく、咲茉に押し切られてしまった。
「じゃあ次は私の番だよ〜!」
背後から聞こえる咲茉の声に、つい悠也が苦笑を漏らしてしまう。
顔を見なくても分かる嬉しそうな彼女の声に、悠也が嫌と言えるはずもなかった。
これから、自分は彼女に背中を蹂躙されてしまう。
あの綺麗で柔らかい小さな手に、背中を撫で回される。
その光景を想像しただけで、悠也の心は今にも荒ぶりそうだった。
好きな女の子に素肌を撫で回されて、正気を保てる男がどこにいるか?
そう考える悠也の心境を知る由もなく、咲茉は終始嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「私がちゃーんと塗ってあげるからね〜、手に日焼け止め落として〜、両手で伸ばして〜っと」
「……お手柔らかに頼むよ、ほんとに、マジで」
「ゆーやの背中に日焼け止め〜! ゆぅーやの背中に日焼け止めっ〜!」
心の底から懇願する悠也の声が聞こえていないのか、咲茉が鼻歌混じりに歌い出す。
その様子に悠也が大きく肩を落としていると、無事準備を終えた咲茉から楽しげな声が漏れた。
「よーし! 準備おっけー! じゃあ触るね〜?」
「……こいっ!」
聞こえた彼女の声に、静かに悠也が覚悟を決めた瞬間だった。
ぺたっと、彼の背中に柔らかい感触が襲い掛かった。
同時に、温かい液体の感触がじんわりと伝わってくる。
「っ……!」
その2つの感触に、一瞬で悠也の顔が強張った。
背中に触れている咲茉の両手が、むず痒くなるほど柔らかくて。
「私もゆーやの真似して温めてみたんだけど……大丈夫? 冷たくない?」
「……だ、大丈夫っ」
「なら良かったぁ〜」
肌に塗られている液体の温かさが、彼女の体温をより一層感じてしまう。
「ぬーり、ぬり〜」
そして遂に咲茉の両手が動き出すと、その手が悠也の背中を撫で回していた。
ゆっくりと、丁寧に。背中の隅々を塗り漏らすことがないように、咲茉の手が動いていく。
肩甲骨から首回りに触れ、そっと肩を撫でた後、ゆっくりと下に動く。
「……ぐっ!」
触れる部位が変わる度に、悠也の喉奥から噛み殺した声が漏れた。
今まで感じたこともない心地の良い感覚が、あまりにもむず痒くて。
それが咲茉の手だと思うだけで、自然と悠也の頬が熱くなった。
「ぎゅーって抱きしめる時も思ってたけど、やっぱり私と違ってゆーやの背中は大きいね〜。なんか触ってるだけで安心しちゃう」
今、そんなことを言わないでほしい。
そんな優しい声で耳心地の良いこと言いながら、背中を撫で回されたら……今にも悠也の心臓が破裂しそうだった。
「そ、そうか……まだそんなに大きくないと思うけど」
「絶対おっきいよ〜、私の手だと小さくて塗るの時間掛かっちゃうもん」
「む、無理しなくても良いからな?」
「でも今は小さい手で良かったかも、だってその方がゆーやの背中ずっと触ってられるし」
心なしか、先程よりも咲茉の手の動きがゆっくりになっている気がした。
動きが遅くなる分、彼女の手の感触が鮮明に感じられる。
「……のぉぉっ!」
それが悠也の精神を、問答無用に焼き尽くした。
「ん? ゆーや、どしたの?」
「ちょ、ちょっとくすぐったくて」
「あ! それ分かる〜! 私もちょっとくすぐったかったもん!」
クスクスと楽しそうに咲茉が笑う。
どうにか誤魔化せたことに、密かに悠也が安堵していたが、
「むっ! こうして見るとゆーやの背中って結構綺麗かも……ちょっと嫉妬しちゃう」
そう呟いた途端、悠也の背中から手が一度離れると、なにげなく彼女の人差し指が彼の肌に触れていた。
その指先が優しく触れて、改めて悠也の肌を確かめるように、そっと撫でると――
「――ごぉっ⁉︎」
「あっ!」
その瞬間、脊髄反射で悠也の身体がのけ反った。
全身を駆け抜けるぞわりとした感覚に、その表情が歪む。
そして咄嗟に振り返ると、頬を真っ赤にした悠也が引き攣った笑みを浮かべていた。
「咲茉っ……! 急に指でなぞる奴がいるかよ……! 心臓止まるかと思ったぞっ!」
「つい出来心で……ごめんなさい」
素直に咲茉が謝れば、悠也に責める理由もなかった。
「急だったからビックリしただけで怒ってない。やる時は言ってくれ」
そう言って、再度悠也が前を向いて咲茉に背中を見せる。
そんな彼の言葉に、咲茉はキョトンと呆けていた。
「言ったら、背中触っても良いの?」
「触りたいなら触って良い。他の奴なら普通に怒るけど……そもそも俺が咲茉に触られるの、嫌だって言うわけないだろ」
深い溜息を吐き出した悠也が、肩を落とす。
しかし呆れる彼の横顔は、今も真っ赤に染まったままだった。
その表情に、思わず咲茉の頬が熱くなった。
自分だけが、悠也に嫌と言わずに触れる。
それが堪らなく嬉しくて、それを悠也に言わせてしまった恥ずかしさで、咲茉の顔が熱くなる。
そんなことを言わせたのなら、自分も伝えなくては。
そう思うと、咲茉の口が勝手に動いていた。
「ありがと。私もゆーやなら、いつだって背中触られても良い」
「……その機会があったらな」
恥ずかしいと言いたげに呟く彼女に、悠也が苦笑混じりに頷く。
その機会が来る時は、きっと随分と先の未来だろう。
海で日焼け止めを塗っている建前があるから、悠也も心を強く保てている。
もしこんなことを自室でした日には、悠也も我慢できる自信がなかった。
どうにか押し留め続けている理性が、一瞬で壊れる。それだけは、決して越えてはならない一線だった。
今はまだ、その時ではない。彼女のことを思えば、そんなことをできるはずもなかった。
「ほら、続き。それとも終わったのか?」
気を取り直した悠也がそう告げると、咲茉は慌ただしく答えた。
「まだ終わってない! ちゃんと塗らないと日焼けしちゃうから!」
「なら続き頼むよ。俺も日焼けするのは御免だ」
少しだけ咲茉に身体を寄せて、悠也が催促する。
そして背中を向ける悠也に、咲茉は小さく頷いていた。
「じゃあ、もう一回触るね?」
両手に日焼け止めを付け直した咲茉に、悠也が頷く。
それを確認すると、また彼女の手が悠也の背中に触れていた。
今度は背中から腰回りを中心に。
本当に大きな背中だと思いながら、丁寧に撫でていく。
他の男は触るのも躊躇ってしまうのに、彼の身体にはずっと触れていたい。
やっぱり、彼のことが好きで堪らないらしい。
改めて思う自身の感情に、咲茉の頬が真っ赤に染まる。
しかし、それでも彼女の手は止まることはなかった。
あと少しで終わる、触り心地の良い彼の肌に触れたい。
「ゆーや」
「なんだ?」
「大好き」
「……急にどうしたんだ? 俺もだけど?」
「なんか、言いたくなっちゃった」
そう言って、困惑する悠也に咲茉が微笑む。
もう少しだけ、彼の大きな背中に触れたい。
そう思いながら、咲茉の手が何度も彼の肌を撫でた。
いつかこの背中におんぶされてみたいなと、新たな夢を抱きながら。名残惜しそうに。
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