第35話 ウメル、シズメル、ツルス
水着に着替えたからと言って考えなしに海に入れるほど、女は簡単な生き物ではない。
青空から降り注ぐ太陽の日差しが、今も揺らめく青い海を照らしている。ほんの少し日陰から出るだけで、チリチリとした熱さが肌を焼く。
ただでさえ海は紫外線が強いというのに……こんな場所に少しでも長居すれば、間違いなく日焼けしてしまうだろう。
一度日焼けしてしまえば、焼かれた肌が赤く腫れあがり、変色して黒くなる。更に日焼けによって起こる肌トラブルに悩まされる日々が始まる。
もしかすれば女の命とすら言える肌に、一生戻らない傷ができるかもしれない。人によっては、日焼けで黒く変わった肌が戻らないこともある。
そんなふざけた冗談を、年頃の女の子達が許せるはずもなかった。
それは当然、海に来た咲茉達も例外ではなかった。
「流石にこの馬鹿みたいな日差しで対策しないのはヤバいよね〜」
「私、日焼けすると赤くなっちゃうタイプなので……日焼け止めがないと酷いことになりそうです」
「ちゃんと塗らないとダメだよ〜」
パラソルの日陰に隠れながら、水着姿の乃亜と雪菜が事前に持ってきた日焼け止めを肌に塗る。
塗り損ねたところが日焼けしないように、隅々まで丹念に。
「乃亜ちゃん? 背中、塗りますよ?」
「ほんと〜? じゃあお言葉に甘えて〜」
そして自分では塗りにくい背中も互いに塗りあってカバーすれば、日焼け対策は万全だった。
「……めんどくせぇけど、私も日焼けは嫌だしなぁ」
そう呟く凛子も、不満を漏らしながら渋々と日焼け止めをは丹念に塗る。
そんな彼女の姿を、雪菜に日焼け止めを塗ってもらっている乃亜が意外そうに眺めていた。
「意外だよね〜、凛子っちって日焼けとかしても気にしなさそうなのに」
「嫌なんだよ、ギャルみたいに肌黒くなるの。色抜けるのめっちゃ時間掛かるし……一回日焼けするとめっちゃ黒くなるんだよ、私は」
一度日焼けすると、肌が黒くなりやすい人がいる。
「あぁ……凛子っちってそういうタイプか」
凛子がその類の人間と知ると、乃亜は苦笑混じりに頷いていた。
「日焼けしてる凛子ってマジでギャルっぽくなりそうだよな。ほんと黙ってれば可愛いのに、目つき悪いから」
「おい、啓介……次舐めたこと抜かしたら海に沈めてやるからな?」
ポツリと漏らした啓介の呟きに、凛子の目が鋭くなる。
その視線に思わず啓介が後ずさると、凛子は心底不満げに鼻を鳴らしていた。
「ったく……余計なことばっかり言いやがって、日焼けなんて死んでもごめんだっての」
頑なに日焼けを嫌がる凛子が、続けて舌打ちを鳴らす。
女であれば、日焼けを嫌がる子は多い。しかし逆に望んで肌を焼く人間も一定数いる。
なぜ凛子が肌を焼きたくなのか?
その理由を乃亜が察すると、自然と呆れた笑みを浮かべていた。
「どうせ咲茉っちの真似したいだけでしょ〜?」
「べ、別にそんなんじゃねぇし……!」
唐突に告げられた乃亜の声に、咄嗟に凛子がそっぽを向く。
日焼け止めを塗りながら、ふんっと鼻を鳴らす凛子の頬がほんのりと赤く染まっている。
その反応が面白くて、思わず乃亜がクスクスと笑ってしまう。
「笑ってんじゃねぇよ! そういうことじゃねぇし!」
明らかに乃亜から揶揄われると思った凛子が声を荒げる。
しかし彼女が怒っても、乃亜は笑顔のまま答えていた。
「咲茉っちの肌って綺麗だから真似したくなる気持ちも分かるよ〜」
咲茉の肌は、乃亜から見ても羨ましくなるほど綺麗な肌をしている。
それを真似したいと思う気持ちも、咲茉が大好きな凛子ならではの発想だろう。
よくある、好きなアイドルの真似をする女の子そのものだった。
「ふふっ……ほんと、凛子っちって可愛いよね〜」
そんな考えをする凛子が可愛く見えて、また乃亜が声を殺して笑ってしまう。
「だから……!」
思わず、凛子が声を荒げようとする。
しかし、ふと何かを思い出したように凛子が声を止めると――突然、我に返ったかのように目を大きくした。
「そうだっ! 咲茉っ!」
間髪入れずに、叫ぶ凛子が咲茉に振り向く。
その様子に、咲茉はキョトンと呆けながら反応していた。
「……な、なに?」
先程から座る悠也の隣で丁寧に日焼け止めを塗っていた咲茉が、たどたどしく訊き返す。
そんな彼女に、凛子は真剣な眼差しを向けていた。
一体、なにを言い出すつもりなのか?
見つめる凛子の表情に、咲茉が息を飲んでいると――
「咲茉! 折角だから私が背中塗ってやるよ!」
欲望丸出しの発言に、その場にいた乃亜達が引き攣った笑みを浮かべていた。
心なしか鼻息が荒い凛子に、つい咲茉も乾いた笑いを漏らしてしまった。
「ありがとう。凛子ちゃん」
承諾と受け取れる咲茉の言葉に、凛子が満面の笑みを浮かべる。
しかし次の瞬間、その表情は一瞬で崩れ落ちた。
「でもごめんね。その気持ちは嬉しいけど……もう頼む人は決めてるの」
そう言った咲茉が恥ずかしそうに、隣にいる悠也を見つめる。
その視線を受けて、悠也は少し遅れて反応した。
「……え? 俺?」
「背中、1人で塗るの大変だから……ゆーやに頼んでも良い?」
そんなことを頼まれるとは、思いもしなかった。
しかし小さく首を傾げる彼女に、悠也の出す答えは決まっていた。
「咲茉の頼みなら、なんだって聞くよ」
「……えへへ、やった」
頷く悠也に、嬉しそうに咲茉が頬を赤らめる。
その2人の姿に、いつの間にか凛子の表情から感情が抜け落ちていた。
真顔になった凛子が、固まったまま動かなくなる。
だが、ゆっくりと彼女の視線が動くと、その目が悠也を見つめる。
無表情だった凛子の顔が、悠也を見つめていくうちに――少しずつ歪んでいく。
そして彼女の表情が憎悪に満ちた怒りに染まると、
「……コロス、アノヤロウ、ゼッタイコロス」
震える凛子から、抑揚のない声が漏れた。
「……ウメル、シズメル、ツルス、ヒキズリマワシテヤル」
物騒な言葉を呟く凛子の身体が、ゆっくりと動いていく。
その目が、淡々と悠也を見つめて。
そして今にも彼女が悠也に襲い掛かろうとした時だった。
「雪菜っち〜、あのキラーマシンを抑えて〜」
「凛子ちゃーん、大人しくしてくださいね〜?」
乃亜が指示した途端、雪菜が凛子の肩を掴んでいた。
ただ肩を掴まれた程度で止まるはずもない。
そう思った凛子が反射的に雪菜の手を振り解こうとするが――
「……ウ、ウゴカナイ」
なぜか不思議なほど、雪菜の手は動かなかった。
肩に乗せられた彼女の手が、まるで石かと思うほど硬い。
強引に身体を動かそうと思っても、思うように動かなかった。
「凛子っち、2人の邪魔しないでさっさと塗って海行くよ〜」
動かない間に、乃亜が凛子の背中に日焼け止めを塗る。
そして早々と乃亜が日焼け止めを塗り終えると、深い溜息を吐きながら雪菜に指示を出していた。
「雪菜っち、凛子っちを海に連れてって。このままだと咲茉っち達の邪魔になる」
「ほら凛子ちゃーん、行きますよ〜」
「ハ、ハナセッ……!」
強引に雪菜に引きずられながら、凛子が咲茉に手を伸ばす。
そんな彼女に、咲茉は引き攣った笑みを浮かべることしかできなかった。
「凛子ちゃん、ごめんね。ちょっと待ってくれたら、あとでいっぱい遊ぼうね」
「……ア、アソブ!」
咲茉からそう言われて、凛子の表情が僅かに緩む。
しかし諦めきれないのか、必死に手を伸ばす。
だがそれも、雪菜によって阻まれた。
引きずられたまま、海に連れていかれる凛子を咲茉と悠也が見つめる。
そして雪菜が凛子を海に放り投げる光景に、2人は揃って苦笑していた。
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