第30話 外、暑かった?
夏休みから始まった咲茉の鍛錬は、悠也達の話し合いによって予定がない限り、基本的に毎日行う日課として取り決められた。
本来なら護身となる武術の習得は、週に1度か2度程度の鍛錬を続けれていけば問題なく覚えられる。
特に日常生活で使う機会もない武術を、わざわざ焦って覚える必要もない。いざという時のために、ゆっくりと覚えていく。それが一般的な考えである。
しかし咲茉の場合、やはり整った容姿のせいで男に言い寄られる機会は多い。更に彼女の持つ過去を踏まえれば、1日でも早く護身の術を身につけておくのに越したことはない。
咲茉も自ら変わろうとしているのだ。いつも悠也達が傍にいるから安心できるとは思わず、自分でも守れる術を身につけようと。
その気持ちを汲めば、必然的に早く覚えさせたいと悠也達が思うのも当然のことだった。
だからこそ、使える時間は有効に使う。夏休みという長期休みは、武術の習得にうってつけだった。
その判断のもと、今日も悠也達は雪菜の家に集まっていた。
毎日、午前9時から昼頃まで。
それが咲茉に課せられた、夏休みの日課となった。
「し、死ぬ……死んじゃう……吐きそう」
雪菜の家。その別館に入るなり、ジャージ姿の咲茉がパタリと倒れた。
身体から噴き出る汗を気にする余裕もなく、畳の上で仰向けになった彼女が荒い息を繰り返す。
そんな彼女を見るなり、別館で待っていた悠也が慌ただしく彼女に駆け寄った。
「咲茉っ⁉︎ 大丈夫か⁉︎」
「あらら、また随分と汗だくになって」
遅れて来た呑気な声を漏らす乃亜と違って、慌てた悠也が倒れる咲茉を抱き寄せる。
「ゆ、ゆーや……わたし、もうダメかも」
そうすると悠也の胸の中で、咲茉が力のない声を漏らしていた。
「どうしてこんな……」
その姿に、思わず悠也が震えた声を漏らす。
少し前に雪菜達と一緒に別館から出て行った咲茉が、まさかこんな姿で戻ってくるとは思いもしなかった。
「はい、これタオル。風邪引くから拭いてあげた方が良いよ」
隣にいる乃亜から差し出されたタオルを悠也が受け取ると、すぐに咲茉の汗を拭き取る。
顔から噴き出る汗と、首元の汗を優しく拭き取っていく。
そうすると咲茉の表情か僅かに綻んだが、心なしか嫌そうな表情を浮かべていた。
「あ、あせ……汚いから自分でやるよ」
「良いから、咲茉は休んでろ」
嫌がる咲茉を気にすることもなく、悠也が何度も彼女の汗を拭き取る。
それを抗おうとする咲茉だったが、やはり思うように身体が動かなかったのか……渋々と悠也のされるがままになっていた。
「なんでこんなになるまで……!」
思いもしなかった彼女の姿に、悠也の表情が悲痛に歪む。
そして彼女をこんな姿にした2人に、悠也が底知れぬ怒りを抱いている時だった。
「あの……咲茉ちゃん、まだ1キロも走ってないんですよ」
ずっと2人の姿を眺めていた雪菜が自然と引き攣った笑みを浮かべていた。
「……はっ? 1キロ?」
呆気に取られる悠也に、雪菜が頷く。
そんな彼女の隣で、流石の凛子も苦笑していた。
「まさか家の周り軽く走っただけでこうなるとは私も思わなかったわ」
そう語る凛子は、汗だくの咲茉と違って額に汗がにじむ程度だった。
雪菜に関しては、汗も掻いていない。それを見れば、彼女達の運動量が大したものではないと察せた。
しかし悠也からすれば、とても2人の言葉は信じられるものではなかった。
「20分も外にいて……1キロしか走ってない? 冗談だろ?」
咲茉の身体作りのために、雪菜達がランニングで外に出てから戻ってくるまで20分ほど経っている。
時計を見間違えるはずもない。それだけの時間で1キロしか走ってないという雪菜の言葉は、あまりにも信じられる話ではなかった。
「……本当なんです」
どうやら悠也の思っていた以上に、咲茉の体力は平均以下だったらしい。
雪菜の引き攣った笑みが、それを物語っていた。
「私がおぶって帰るって言っても咲茉が自分で帰るって聞かなくて、戻るのに時間掛かったんだよ」
そして凛子からそう言われれば、帰ってくるのに時間が掛かったのにも納得できた。
おそらく後半は歩いて戻ってきたのだろう。
今の咲茉を見れば、それもすぐに察せた。
「咲茉、流石に体力なさすぎないか?」
「うっ……返す言葉もないよぉ」
悠也の胸の中で、咲茉か恥ずかしそうに顔を覆う。
そんな彼女に、なぜか乃亜が楽しそうに微笑んでいた。
「咲茉っちー、私よりマシだから安心しなって〜。100メートル走ったら死に掛ける私よりは体力あるよ〜」
「……分かってるなら少しは運動しろよ」
「それは気が向いたからかな〜、多分ないと思うけど〜」
呆れた凛子の言葉も、飄々と乃亜が受け流す。
その反応に思わず凛子も頭を抱えてしまうが、乃亜は笑って誤魔化すばかりだった。
「確かに咲茉ちゃんの体力がないのもありますが、外が暑いと体力の消耗も激しくなるので……こうなるのも仕方ないですね」
少し暑いのか、苦笑混じりに雪菜が首元を手で仰ぐ。
8月になって、気温も高くなった。少し動くだけで汗が出てくる環境で運動もすれば、体力の消耗も激しくなる。
そんな中で咲茉が走れば、こうなるのも仕方のないことだった。
「仕方ありません。咲茉ちゃんの体力がある程度つくまで、しばらくは室内で走った方が良さそうです。この別館はエアコンも効いてますし」
「って言うか、最初から室内で走った方が良くなかったか?」
ふと雪菜の声に、凛子が怪訝に訊き返す。
その問いに、なぜか雪菜が首を傾げた。
「同じところをぐるぐる回るのも退屈だと思いませんか? 折角ならランニングも楽しく走りたいと思ったんですけど……?」
「ランニングが楽しいって思えるお前が怖くなるわ」
そう語る雪菜に、凛子の頬が引き攣る。
そんな彼女に、雪菜は少し驚いた表情を浮かべていた。
「え? 走るの、楽しくないんですか?」
「……ダメだこりゃ、脳筋過ぎて話にならねぇ」
呆れ過ぎて返す言葉もないと、凛子が肩を落とす。
その反応にまた雪菜が不思議そうに首を傾げる姿に、悠也達も苦笑するしかなかった。
「咲茉、具合悪くないか?」
「うん。少し休んだら良くなってきたかも。雪菜ちゃんの言う通り、ここ涼しいし」
汗もある程度収まったのか、先程と比べて咲茉の顔色が良くなったように見える。
それに悠也が安堵した表情を見せていると、おもむろに乃亜が口を開いていた。
「咲茉っち? やっぱり外、暑かった?」
「えっ? うん、普通に暑かったけど?」
急な質問に、咲茉が困惑した表情を見せる。
そんな彼女に、乃亜が嬉しそうな笑みを浮かべると、そのまま言葉を続けた。
「じゃあさ。今週末、海行かない?」
「……へっ?」
あまりにも突拍子もない発言に、咲茉が呆気に取られた。
「……海って、あの海?」
「うん。実はね、もう予定を立ててるんだよ〜」
そう言って、にししと笑う乃亜を咲茉が呆けて見つめる。
そして彼女が悠也を見つめると、なぜか困った表情を浮かべていた。
「乃亜……お前なぁ、流石に言うの早過ぎ」
「だって早く良いかったんだもーん」
悪びれもしない乃亜に、悠也が深い溜息を吐く。
「……どういうこと?」
その姿を、咲茉は呆けた表情のまま、ただ眺めていた。
読了、お疲れ様です。
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