第27話 嵌めてくれないか?
楽しい時間も、あっという間だった。
遊び尽くした花火の後片付けを済ませて、また月曜日にと笑い合いながら5人が帰宅する。
来週になれば、すぐ夏休みが始まる。だから長い休みの時間が許す限り、またみんなでたくさん遊ぼう。
そんな別れ際の他愛のない話が、咲茉には嬉しくてしかたなかった。
また今日みたいな楽しい日が、夏休みになれば何度も訪れる。その日々を想像するだけで、勝手にこの心が弾んでしまう。
その高揚感は、咲茉が悠也の家に帰っても収まることはなかった。
今日も夜は悠也の家に泊まる。楽しかった今日の最後まで大好きな彼と一緒に居られることが、たまらなく幸せだと感じてしまう。
夕食と風呂を済ませた夜のひと時を、好きな人と過ごせるなんて……誰でも幸せと思うに決まっていた。
「ふんふん、ふふん……!」
「随分とご機嫌だな」
「だって今日はすっごく楽しかったんだもん! みんなのおかげで可愛い服も着れて、悠也にたっくさん甘えてね、みんなと花火までしたんだよ! それに今日も寝るまで悠也と一緒に居られるなんて嬉しいに決まってるよ~!」
そう言って楽しげに鼻歌を歌う咲茉に、悠也は微笑みながら彼女の髪を触っていた。
咲茉と約束した通り、風呂上がりの髪を整える。それが悠也が彼女の髪を触っている理由だった。
座っている咲茉の濡れた髪をバスタオルで丁寧に水分を取り除いて、洗い流さないトリートメントを付けた両手で優しく梳く。
そしてドライヤーの温度に気をつけながら、ゆっくりと時間を掛けて手櫛をしながら髪を乾かす。
この流れが、いつも咲茉の行っている髪の手入れだった。
「……痛くないか?」
「うん、大丈夫〜!」
「俺もあんまり慣れてないから、痛かったら言うんだぞ?」
そう言って悠也が不安そうな手つきで髪を触る姿が鏡越しに見えて、思わず咲茉が可愛いと微笑む。
女の子の髪を整えた経験が皆無だった悠也にとって不慣れな作業で時折手間取るが、それもまた咲茉にとっては可愛く見えていた。
「全然痛くないよ。むしろね、自分でするよりとっても気持ち良い」
自分で髪を梳く心地良さよりも、悠也にされると何倍も心地良く感じてしまう。
本当に痛くないように気に付けているのだと、彼の手つきだけで分かる。それが嬉しくて、更に心地良さが増していく。
「おい、こら動くなって」
我慢できなくて悠也に背中を押し付けると、彼から困った声が漏れた。
その声すらも、咲茉には心地良かった。
「悠也に整えてもらうの、なんか嬉しくなっちゃって」
「まったく、困った彼女さんだな」
「えへへ……」
そんな不満を漏らす悠也だったが、その表情は少しも不満を見せていなかった。
むしろ嬉しそうに微笑んでいる表情を鏡越しに見れば、自然と咲茉も笑みをこぼしていた。
ふと、咲茉の髪に感じるドライヤーの風が冷たくなった。
それが彼の作業が終わりに近づいてることを告げていた。
熱風で乾かした後は、冷風で乾かすと髪が痛まなくなり、ツヤが増す。
そして最後に櫛で整えれば、咲茉の風呂上がりだった髪は綺麗に整っていた、
「良し、これで終わり……どうだ?」
無事に咲茉の髪を整え終えた悠也が、恐る恐ると問い掛ける。
その問いに咲茉は自身の髪を触りながら、嬉しそうに微笑んでいた。
「うん、バッチリ。むしろ私より上手いかも」
自分で整えるよりも、思っていた以上に手触りが良くなった気がする。
そう思う咲茉に、つい悠也が苦笑してしまった。
「そりゃどうも。お世辞でも嬉しいよ」
「私、ゆーやにお世辞なんて言わないもん」
本心だと咲茉が頬を膨らませる。
そして何を思ったのか、おもむろに彼女が悠也の胸に頭を押し付けていた。
「ほら、ゆーやも触ってみてよ。いつもより綺麗になってるでしょ?」
「さっきまで思う存分触らせてもらったから良いって、あんまり暴れると髪が乱れるぞ」
「良いから触ってー!」
早く触れと催促する咲茉に根負けして、悠也が呆れながら彼女の髪に触れる。
先程まで触っていたから分かっていたが、やはり触ると柔らかくて、指で撫でる髪の感触がとても気持ち良かった。
風呂上がりのシャンプーと、洗い流さないトリートメントの甘い香りがふわりと悠也の鼻腔を通り抜ける。
そして見上げる彼女を見下ろすと、自然と素肌が見えてしまった。
オシャレだった咲茉も風呂に入れば、いつもの彼女に戻っていた。後は寝るだけだと、今はTシャツにショートパンツという薄着の寝巻き姿になっている。
そんな彼女の隠す気もない育った胸元と下着が、悠也が見下ろすだけで丸見えになっていた。
唐突に襲い掛かった暴力に、思わず悠也が苦悶する。
更に今も感じる彼女の体温が、否応なしに男のメンタルに襲い掛かった。
「ぐっ……!」
荒ぶる男心を、悠也が確固たる意思で密かに抑え込んでいる時だった。
「ね? 柔らかいでしょ?」
そんな彼の心情も知らない咲茉が、髪を見せつけるように身体を悠也に押しつけていた。
本当に気をつけないと、理性が保てなくなる。
襲い掛かる彼女の魅力に耐えながら、苦笑混じりに悠也が口を開いた。
「柔らかいけど、いつも触り心地良いからなぁ」
「もぉ、またそんなこと言うんだから」
「だって本当のことだし、咲茉の髪ってずっと触ってられるくらい触り心地良いから」
「じゃあ、今日もずっと触って〜」
たくさん触れと、悠也に身体を預ける咲茉が彼の両手を掴んで頭に乗せる。
今日も、と言ってくる可愛さに悠也が笑みを浮かべると、そのまま彼女の頭を撫でていた。
「ふふっ……! 気持ち良い〜!」
撫でるたびに、咲茉の頬がだらしなく緩む。
その表情が可愛くて、悠也は何度も彼女の頭を撫でていた。
「今日が楽しかったのは良かったけど、疲れてないか?」
「楽し過ぎて疲れなんてどこか行っちゃったよ」
「なら今日は布団に入ったら即寝かもな。疲れてないと思っても、横になるとドッと疲れが出ることもあるし」
「えぇ……それは嫌かも、今日も寝ながらゆーやとたくさんお喋りしたいから我慢する」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、そういう時は勝手に寝落ちするんだよ」
「なら起こして」
「起こさないよ、寝顔見てるから」
「あっ、ズルい。私も見たいのに」
他愛のない会話をしながら、2人が寄り添う。
それか当たり前のことだと言いたげに、揃って穏やかな表情を浮かべながら。
「今日の映画、楽しかったか?」
「うん。ゆーやと一緒に見れたし、お揃いのラバストも買えて楽しかった」
今日の映画を思い返しながら笑う咲茉に、悠也も微笑む。
「クレープも美味しかったよな。今度、また行こう」
「ほんと! やった! 今度は何食べようかな〜!」
「何回でも行けるさ。これからは」
次に食べるクレープを想像して頬を緩ませる咲茉に、また悠也が微笑んでしまう。
「花火も楽しめてもらえて良かったよ」
「楽しかったに決まってるよー。みんながいるなんて思わなかったし、花火なんて最後にしたのいつだったか覚えてなかったから……久々にできて楽しかった」
「今度は、夏休みに花火大会行こうな。今日よりすごい花火見られるぞ」
「絶対行こうね! すっごい楽しみにしてる!」
悠也が今日のことを告げれば、咲茉がコロコロと表情を変えながら答える。
それがたまらなく可愛くて。
花火の話を楽しそうにしている咲茉の両手を掴むと、おもむろに悠也が後ろから彼女を抱きしめていた。
「ん? ゆーや、急にどしたの?」
急に抱きしめられて、ほんのりと頬を赤らめた咲茉が首を傾げる。
そんな彼女に、悠也は優しい笑みを浮かべながら口を開いた。
「今の俺ができることは、今日みたいなことだけだ」
「ゆーや?」
突然の言葉に、咲茉が怪訝に眉を寄せる。
しかし悠也は、それに気にすることもなく言葉を続けていた。
「まだ子供の俺ができることは、あんなデートくらいで精一杯だった。あとは、今みたいにずっと咲茉の傍にいるだけしかできない。こんな俺でも、咲茉の傍に居ても良いか?」
なぜ、今更そんなことを訊くのだろうか?
「……怒るよ?」
そんな馬鹿なことを自分が思うわけがない。
意味不明過ぎる彼の発言に、思わず咲茉が不快だと顔を歪めてしまった。
「私がゆーやのこと好きな気持ち、伝わってないの?」
「伝わってるから、たまに思うんだよ。絶対にあり得ないって分かっていても……一度大人になった俺も、まだまだガキなんだ。いつか愛想尽かされるかもって不安に思うこともある」
自分が男として未熟だと自覚しているから、そう思う時がある。
変わろうとしても、その過程で愛想を尽かされるかもしれないと。
そう語る悠也に、咲茉の表情が更なる不快で歪んだ。
「一度しか言わないよ。それ、次また行ったら本気で怒るから……私がゆーやのこと嫌いになるわけないでしょ」
背後にいる悠也の顔を睨みながら、咲茉がそう告げていた。
「そんなこと言ったら、私だって子供だよ。ずっと部屋に引き篭もって、身体だけ大きくなった子供だった。ゆーやより、何倍も子供だったよ。そんなこと言われたら……私がゆーやに愛想尽かされるかもって思うじゃん」
悠也がその可能性を口にしたから、自分も同じことを思ってしまう。
それを考える発想すらしなかったからこそ、一度過った可能性を考えると……不安になってしまう。
「私も、できることなんてゆーやの傍に居るだけだよ。お弁当作って、たくさんゆーやのこと甘やかして……まだエッチなことは勇気が出なくてできない私だから、愛想尽かされるのは私の方だよ」
だからこそ、悠也よりも先に愛想が尽かされるのが自分であると咲茉が語る。
その不安で、自然と泣きたくなってしまう。
少しずつ咲茉が顔を歪めると、悠也は申し訳なさそうに苦笑していた。
「……ごめん、そんなつもりで言ったんじゃない」
「じゃあ、どういう意味か言ってよ」
泣きそうになりながら、咲茉が悠也を睨みつける。
その視線を感じながら、悠也の手が近くに隠していた物に手を伸ばしていた。
「今の俺にできることを……今も、これからも、ずっと続けて、咲茉を誰よりも幸せにしたい。だからお前のこと、誰にも取られたくないんだ」
「いつだって私はゆーやのだよ?」
また意味の分からないことを口にした悠也に、怪訝に咲茉が顔を顰める。
そして悠也は、その言葉を口にしながら彼女の左手を手に取っていた。
「だから……お前が俺のものだって、その証明が欲しかった。これは、その証明だ」
触れている咲茉の左手。その薬指に、悠也が持っていたモノを嵌める。
ふと、指に感じた違和感に、なにげなく咲茉が視線を向けると――
そこには、綺麗な指輪が嵌められていた。
「……………………えっ?」
脳が理解できず、咲茉から呆けた声が漏れる。
そんな彼女に、悠也は言葉を紡いだ。
「隠れて買うなって言われたけど、無理に決まってるだろ。お前が羨ましそうに見てたことくらい、気づくに決まってる。どれだけ俺が毎日お前のこと見てると思ってるんだよ……きっと、お前は俺と折半して買いたかったんだろうな。でも、ごめん。俺が勝手に買った」
今も呆然とする咲茉に、悠也か苦笑しながら続ける。
「別の日にしても良かったけど、どうしても今日が良かったんだ。今日のデートで俺ができることを全部して、今日の最後に……これが俺のできる全部だって指輪を渡したかったんだ。だって俺が、俺の自分勝手な理由で……お前を俺のモノだって証明したくて買いたかったんだから」
今日の1日が、悠也のできることの全てだった。
それをした上で、彼女が自分のモノだと証明する指輪をあげたかったと。
そうすることで、あなたを自分のモノにしても良いのかと訊きたくて。
「だから、俺の勝手を許してくれとは言わない。好きなだけ怒ってくれても良い。だけど、どれだけ怒っても……このペアリングを、いつかの未来で、お前に渡す結婚指輪まで一緒に嵌めてくれないか?」
そう語った悠也が、持っていたもうひとつの指輪を咲茉の右手に握らせる。
そして自分の左手を咲茉の手に添えると、その先は彼女本人に任せた。
自分のモノにしたいから、指輪を嵌めた。
だから咲茉も、そうしたいならしてくれと。
その意図は、確かに咲茉にも伝わっていた。
「……るい」
ポツリと、呆けていた咲茉が呟く。
自分の左手に嵌っている指輪を見つめながら、これで自分が彼のモノになったと証明されてしまった。
左手の指輪を見ているだけで、勝手に涙が出てくる。
ポロポロと泣きながら、咲茉の右手が嵌められた指輪を愛おしそうに撫でる。
ならば自分も、彼を自分のモノにしたくなってしまう。
しかし、渡された指輪を、咲茉が素直に嵌めるわけにはいかなかった。
「ズルいズルいズルいズルいっ! ゆーやばっかりズルい! 私もゆーやのこと独り占めしたいのに! 私も自分のお金で買った指輪でゆーやのこと私のモノにしたかったのにズルい!」
それよりも遥かに湧き上がった怒りに、咲茉が反射的に目の前にある悠也の手を本気で抓った。
「いっ……!」
「いくらしたの⁉︎ これ、いくらしたか言って!」
「で、デザイン重視で……は、8000円ですっ」
「税込! 税抜どっち⁉︎」
「……税込です」
悠也から金額を聞き出した咲茉が近くに置いていた鞄から財布を取り出すと、悠也に4000円を見せつける。
「この指輪、私も買うから! 分かった!」
コクコクと頷く悠也に鼻を鳴らすと、テーブルに4000円を傍のテーブルに叩きつける。
そして無事悠也から指輪を買った咲茉は、ひたすらに涙を流しながら悠也の左手を握っていた。
「ゆーやだけ、本当にズルい……私も、ゆーやを私のモノにしたいのに、勝手にこんなことしてっ!」
「ごめん、だから先に謝ったんだよ」
「私だって……! 誰にもゆーやのこと取られたくないもん!」
謝る悠也に叫んだ咲茉が、彼の左手の薬指に指輪を嵌める。
そして彼の指に指輪が嵌まると、咲茉はその手を愛おしそうに抱きしめていた。
「これで、ずっとゆーやは私の……誰にも渡さない。絶対、誰にも渡さないからっ」
「俺だって、お前のこと誰にも渡すつもりないって」
嗚咽混じりに泣く咲茉の頭を撫でながら、悠也が呟く。
その呟きに、咲茉はムッと目を吊り上げていた。
「じゃあ、違う形で証明して」
「えっ……?」
「ゆーやから、して」
呆ける悠也に改めて咲茉が向き合うと、その場で彼女が目を閉じる。
そして少しだけ顔を突き出せば、悠也もすぐに察した。
「……」
意を決した悠也が、優しく咲茉を抱き寄せる。
そして目を閉じる咲茉に、ゆっくりと顔を近づけると――
泣いている彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねていた。
「んっ……!」
唇が触れ合った瞬間、咲茉から吐息が漏れる。
そしてしばらくして悠也が唇を離すと、彼女が目を開けていた。
「私は、ずっとゆーやのだから」
「……うん」
頷いた悠也に、ふと咲茉が何かを求めるような表情を見せる。
それを、なぜか悠也は自然と察せた。
「俺も、ずっと咲茉のだからな」
「……うんっ」
求めていた言葉が出てきて、咲茉が微笑む。
泣きながら作る笑顔が、酷いと思いながらも笑いたくなる。
互いに、あなたを自分のモノにする。
それをもう一度証明するために、今度は2人が揃って互いを求めるように、互いの唇を重ねていた。
2人が満足するまで、ただひらすらに何度も。
それが、とてつもなく幸せだと感じながら。
何度も、何十回も、繰り返した。
読了、お疲れ様です。
今回も、分割せずに投稿しました。
長くてごめんなさい。
これにてアフターストーリーの一章、終わりです。
皆様に満足してもらえる内容になったか、とても不安に思いながら好き勝手に書き続けました。
今後とも、この2人を見守ってくれると嬉しいです。
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