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第26話 わたしね、がんばった


 どれだけ彼女達と遊ぶのが楽しくても、遊び過ぎて疲れたと感じる時もある。


 年甲斐もなく騒いでいたからか、思っていた以上に体力を消耗したらしい。


 まだ残っている花火はたくさんある。今だけ少しくらい、休んでも良いだろう。


 そう思いながら乃亜が適当に思いついた理由で咲茉達から離れると、少し離れたベンチにゆっくりと腰を下ろしていた。


「ふぅ……」


 ほっと一息ついて、そう呟いた乃亜が深々とベンチに背中を預ける。


 ただ座るだけで減った体力が戻っていく気がするのは、これも若さの賜物かもしれない。


 そう思った乃亜がなにげなく自分の小さくなった手を見つめると、つい溜息交じりの苦笑を漏らしていた。


「……体力がないのも、やっぱり考えものだね」


 自分のことながら、この身体の体力の無さには心底呆れてしまう。


 ずっとインドアな趣味に没頭していたことに加えて、ロクに運動もしていなければ体力もつくわけがない。


 どうして昔の自分は、これで不便だと感じなかったのだろうか?


 そんな思考が乃亜の脳裏を一瞬過ぎったが、その疑問も苦笑と共に消え去った。


 単純に当時の自分が必要と思わなかったから、それだけの話だった。


 別に私生活で困らなければ、無理に体力を増やす必要もない。筋力も使う機会がなければ、必要と思わない。そんな無駄なことに時間を費やすなら、趣味と勉学に没頭したい。実にインドア派の自分らしい発想だと思った。


 思い返せば大人になっても、その考えは変わっていなかった気がする。


 たとえ身体能力が人並み以下でも、頭が良ければ社会で困ることもなかった。


 金を稼ぐ方法は、頭が良い人間ほど選択肢が多くなる。それを理解してしまえば、わざわざ運動する必要性も感じなかった。


 それに太りにくい体質であれば、なおさら体型維持の運動をする機会もなかった。


「……そう、思ってたんだけどなぁ」


 またぽつりと呟いて、乃亜が苦笑してしまう。


 その考えが変わったキッカケを思い出すと、胸の奥が少しだけ痛くなる。


 そのキッカケが、あまりにも不純過ぎて。


 忘れもしない、2人の親友が死んだニュースを見てしまった日のことを。


 彼等の葬式で久々に会った親友達と、声を荒げて泣いた日のことを。


 そしてしばらくしてニュースで知った、彼等を殺した指名手配された犯人を見た時に抱いてしまった……底知れぬ憎悪の感情を。


 もし本当にあの男が犯人なら、なにがあっても許してはいけないと。


 その確固たる覚悟で全てを捨てた日のことは、今でも乃亜は思い出せた。


 自分の持ち得る全てを使って、どんな努力も惜しまず、あの男を見つけて、この手で裁く。


 その覚悟が身体を鍛える理由だった考えると、不純過ぎる動機過ぎて無性に悲しくなった。


「まぁそれでも……変われる機会をもらえたと思えば、これもこれでアリか」


 とは思っても、これが自分に取った良い変化だと思えば、この悲しさもどうでも良くなった。


 身体能力が高いとなにかと便利なこともある。それを身をもって実感してしまえば、今からでも鍛えるのも悪くない。


 自分も鍛えておけば、悠也達に任せっきりになっている咲茉のことも手助けできるかもしれない。


 先日の件に関しては、たった1、2ヶ月鍛えたところで大した成果を得られないと判断して動いていたが、これから先に何が起こるかも分からないと考えれば、鍛えておいた方が良い。


「って駄目か。それだと――」


 そう思う乃亜だったが、一瞬で思いついた案を切り捨てた。


 そんなことを、この時代の自分がするはずがない。


 人並みに体力のある自分など、とてもではないが自分らしくない。間違って運動などしてしまえば、彼に怪しまれる可能性もある。


 秋野瀬乃亜は、そういう人間ではない。


 妙な違和感を抱かせてしまえば、それが疑惑に変わり、いつか確信になるかもしれない。


「彼も、意外と察し良い時あるし」


 視線の先に咲茉達とはしゃいでいる悠也を眺めながら、乃亜が肩を落とす。


「はぁ……少しは慣れたと思ったけど、演じるのも前途多難だよ」


 下手な行動ができないと乃亜が悟ると、自然と溜息を吐いてしまった。


 自分がタイムリープしていると悠也が知れば、余計なことを勘繰られる。


 あの男が一生動けなくなった件についても、勘繰られる可能性もある。


 悠也に知られるということは、つまり咲茉にも知られる可能性だってある。彼女にだけは、絶対に余計なことを知られるわけにはいかない。


 これから咲茉が過ごす時間は、誰よりも幸せでなければならないのだから。


「……ちゃんと守るんだよ、悠也」


 視線の先にいる悠也を見つめて、乃亜が呟く。


 きっと自分がその手のことを手伝えるのは、何年も先のことだ。


 それまでは黙って頭脳派を貫いているしかできない。


 荒事は彼と雪菜達に任せておこう。何事も適材適所というやつだろう。


 そう自分を納得させると、乃亜はぼーっとしながら遊んでいる咲茉達を眺めていた。


「……本当に、楽しそうでなによりだよ」


 彼等が笑顔でいる姿を見るだけで、自然と自分も笑ってしまう。


 ずっと見たかった光景を、今も、これからも見ていられることが、たまらなく幸せだと思えてくる。


 もう不安なこともないと、満面な笑顔を浮かべる咲茉を見ているだけで、ただただ乃亜は幸せだった。


「……」


 ずっと見ていられる。


 ずっと、ずっと眺めても飽きない。


 あの笑顔を見られる日が、こうして来ると思ってもいなかったのだから。


 彼女の辛かった思い出も、これから消えていく。


 幸せな思い出の数だけ、辛い記憶も薄れていく。


 それが彼女にとって、どれだけの幸福であるか。



「……あぁ」



 それを思うと、勝手に乃亜の喉奥が震えていた。


 決して自分だけで成し得たことではない。


 彼女と彼が、そして仲間達が掴み取った笑顔が、今も目の前にある。


 頑張って良かった。神経が擦り切れるほど脳みそを使った甲斐があった。


 自分の努力が報われたと思うだけで、身体の内から何かが込み上げてくる。


 そんな思いで、乃亜が咲茉達を見つめている時だった。



「いつまでも隅っこで座ってんじゃねぇよ。お前らしくもない」



 ふと、突然現れた悠也がベンチに座るなり、乃亜に持っているペットボトルを差し出していた。


 改めて見ると、いつの間にか視線の先にいる咲茉達の中に、悠也の姿が消えている。


 そのことに少し驚いた乃亜は、苦笑を漏らしながら悠也を見つめていた。


「……いつの間に? もしかして雪菜っちに瞬歩でも習った?」

「習ってねぇよ。単に自販機で咲茉達の飲み物買いに行くついでにお前を見つけただけだ」

「えぇ……私、ずっと見てたはずなんだけど」

「ぼーっとしたから気づかなかっただけだろ。良いからお前の分も買ってやった。俺の奢りだから受け取れ」


 差し出されたペットボトルを、渋々と乃亜が受け取る。


 彼がそう言うのなら、きっとそういうことなのだろう。


 意識して見ていたはずだが、思いのほか呆けていたのかもしれない。


「……そっか、飲み物ありがと」


 もしかして独り言を彼に聞かれたのではと乃亜が焦り掛けたが、それだけはあり得ないと判断した。


 呟いた言葉は、全て彼を含めた全員を見ながら呟いていた。絶対に聞かれているはずがない。


 だが、こんなにも簡単に近づかれてしまうことがあれば、余計な独り言も気をつけなければ――


 改めて自身を戒めながら、なにげなく乃亜が受け取ったペットボトルを開けて口を添える。


 そして一口飲んだ瞬間、乃亜は目を大きくした。


「うっ……! なにごれっ⁉︎」


 口に広がる苦味に慌てて乃亜が持っていたペットボトルを見ると、そこには青汁と書かれていた。


「自販機で売ってるの珍しいなって思ったから、つい」

「嘘でしょ⁉︎ 女の子に渡す飲み物に青汁って正気……⁉︎」


 あり得ないと乃亜が絶句する。


 そんな彼女に、悠也はけらけらと笑っていた。


「ははっ、お前苦いの嫌いだったもんな」

「嫌いなの分かってて買ったの……?」


 まさか嫌がらせしてくるのは思わず、乃亜がムッと眉を寄せる。


 そして彼女が怒ろうとした途端、悠也が笑いながら持っていたもう1本のペットボトルを差し出していた。


「ほら、本当はこっちだ」


 麦茶と書かれたペットボトルを差し出されて、乃亜が呆気に取られながらも受け取る。


 とにかく口に広がる苦味を消さなければ。


 持っていた青汁を悠也に押し付けて、乃亜の身体が早々と緑茶を飲む。口に広がる麦茶の風味が心地良くてたまらない。


 そう思っていると、悠也が笑いながら乃亜から押し付けられた青汁に口を付けていた。


「ん? ちょっと苦いな、まだ舌が子供だからか?」


 それもそうだろう。中身は大人でも、身体は子供なのだ。感じる味覚は子供の感覚になる。


 しかし美味しそうに青汁を飲む悠也に、乃亜は麦茶を飲みながら呆れてしまった。


「それ、私が口つけたのなんだけど?」

「それで動じるほどガキじゃねぇよ。大人舐めんな。それにお前はそういうの気にしないタイプだろ。飲み会の時だって平気で俺のグラスの飲み物飲んでたくせに」

「その人、悠也の知ってる違う私だから。別に私も間接キスなんて気にしてないけど」


 確かに間接キスで慌てるタイプではない。乃亜も、心を許している悠也が相手なら不快と思わなかった。


 粘膜接触でもあるまいし、どうして間接キス程度で慌てなければならないのかと思いはする。


 しかしそれは乃亜が少数派であるだけだ。一般的には、嫌がる子が多いと言うのが常識である。


「言っとくけど咲茉の前でしたらダメだよ」

「しねぇよ。今回はお前を揶揄った後始末してるだけだ」


 分かっているのか、失笑混じりに悠也が早々と青汁を飲み切る。


 その姿を横目に、乃亜は怪訝に顔を顰めていた。


「なんで青汁なんて買ったのさ?」

「お前が変な顔してるから。遠くで見守る母親みたいな顔してたぞ」


 思わず訊いた疑問に即答されて、思わず乃亜は反応に困った。


「そんな顔、してた?」

「してたよ。大人の俺と咲茉を前に大人ぶりやがって」


 そう言って、悠也が小馬鹿にした笑みを浮かべる。


 本来なら乃亜も捻くれた返事をするべきだったが、なぜか思うように言葉が出なかった。


 確かに、そんな顔をしていてもおかしくなかったかもしれない。


「……そっか」


 そう思うと、乃亜から出た言葉はそれだけだった。


 その先に続く言葉もなく、乃亜が黙ったまま遊んでいる咲茉達を眺める。


 そんな彼女の横顔を見ながら、悠也はおもむろに口を開いた。


「……眺めてるだけで良いのか?」


 それが何を意味しているのかは、乃亜も分かった。


「ちょっと遊び疲れたんだよ。だから今はね、眺めてる。こうして見てるだけでも、楽しいもんだよ」

「その気持ちは分からなくもない」


 微笑む乃亜に、悠也も微笑んで見せる。


 そして2人が黙ったまま咲茉達を見つめている時だった。



「あっ! 悠也と乃亜ちゃーん! そんなところにいないでこっち来てよー! 花火無くなっちゃうよー!」



 ベンチに座る乃亜達に気づいた咲茉が、大きな声で2人を呼んでいた。


「乃亜? 呼ばれてるぞ?」

「それは悠也もでしょ」


 互いに顔を見合わせた後、なぜか揃って苦笑してしまう。


 そして悠也が肩を竦めると、ゆっくりと立ち上がっていた。


「なら俺は先に行くよ。どうせお前は遅れて来るだろ?」

「そうする。まだ疲れてるし、咲茉っちには適当に言っといて。あと数分もすれば私も行くから」

「あいよ」


 はじめから分かっていたと言いたげに、悠也が歩こうとする。


 しかし、ふと彼が足を止めて振り返ると、なぜか乃亜の元に歩み寄っていた。


 近寄って来る彼に、乃亜が首を傾げる。


 そして目の前に悠也が来ると、おもむろに彼の口が開かれた。


「言い忘れる前に言っておくよ。今日のデート、色々と助かった。咲茉の為に、本当にありがとう」


 そう言って、悠也の手が乃亜の頭をぐりぐりと撫でていた。


「……女の子の頭を撫でる時は、もっと優しく精密機械を触るようにしないとダメって知らないの?」

「ガキの頭撫でるならこれくらいがちょうど良い」

「咲茉っちには優しくするくせに」

「そりゃ、咲茉だからな」


 わざとらしく乃亜が頬を膨らませるが、悠也は関係ないと笑う。


 そして笑いながら、悠也は言葉を続けていた。


「乃亜のおかげで、今日は咲茉も楽しく過ごせたよ。本当にお前には助けられてばっかりだった」


 あらためて感謝されるとむず痒いものがある。


 背筋が痒くなる感覚に襲われながら、つい乃亜が苦笑してしまう。


「早く私に手助けされない男になりなよ」

「そのつもりだよ。いつまでも子供に助けられる奴になる気もない」


 彼が本当のことを知ったら、どんな反応をするのだろうか?


 そんなことを乃亜が思っている時だった。


「今日のことも、今までのことも、咲茉の為に頑張ってくれてありがとう。本当に感謝してる」


 また悠也が感謝の言葉を告げていた。


「お前に大変なことばっかりさせて悪かった。頑張らせてばかりで申し訳ないってずっと思ってたよ。何度も言うと言葉が薄くなるなら、もう言わないようにするけど……咲茉の為に頑張ってくれて、本当にありがとう」

「…………」


 それが何を指しているかは、乃亜も分かっていた。


 悠也の向ける感謝が、どこに向けた感謝なのか。


 しかし、彼から告げられた感謝の言葉を聞くと……どうしてか、喉の奥が震えていた。


「…………っ」


 感謝されたいと思ったことなど一度もなかった。


 全ては自己満足で、咲茉の為にと考えていた。


 褒められたいからでもなく、ただ自分の望む結果を求めていただけで。


 しかし、ぐりぐりと乱暴に頭を撫でながら告げられた感謝の言葉は、不思議なほど乃亜の身体に沁み込んでいた。


 たとえこれが見当違いな勘違いだとしても。


 彼から告げられた感謝が、今までの努力を褒められていると感じられて。


 込み上げてくる嗚咽を、我慢するだけで精一杯だった。


 きっと彼の言葉だからこそ、そう感じてしまうのかもしれない。


「じゃあ、お前も早く来いよ」


 そう言い残して、悠也が咲茉達の元に歩いていく。


 その後ろ姿が遠くなるのを見届けて、乃亜は静かに俯いていた。


 良かった。今の言葉が、もし咲茉だったから……もっと酷くなっていたかもしれない。


 もう、我慢できなくなった。



「…………ひっぐ」



 絶対に声だけは漏らしてはいけない。


 決して、自分だけが頑張ったわけではないのだから。


 彼の言葉を勘違いしてはいけない。


 しかし勝手に目が熱くなるのだから、どうしようもなかった。


「……うん、わたしね、がんばった」


 たとえ間違った方法だとしても、咲茉の為に頑張って良かった。


 あの子の笑顔を見られて、本当に良かった。


「……わたじ、たぐさん、がんばったの」


 褒められて、心の底から嬉しい思ってしまった。


 それが決して許されない、地獄に落ちる行いだとしても、褒められたのが嬉しくてたまらない。


「……これがらも、ずっとがんばるから。ずっど、ずっと、がんばるから」


 そう何度も呟きながら、乃亜は声を殺して静かに涙を流す。


 これからも咲茉の傍に居られるなように。


 その覚悟を改めながら、乃亜は静かに泣き続けた。


 今も溢れる涙が収まるまで、少しの間だけ。


読了、お疲れ様です。


乃亜も、ひとりの人間だったという話になったかなと思います。


思っていた以上に長くなりました。


分割で分けるのではなく、一度に出すべきと判断して投稿しました。お許しを。


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