第12話 ひとつだけ
夕飯前に帰ると言った咲茉を悠也は家まで送ることにした。
夕方の住宅街を肩を並べて、自然と二人が互いの指を絡ませる。
時折、どちらかが何気なく繋いだ手をギュッと握れば、それを応えるように握り返す。
もう何度も咲茉と手を繋いでいるのに、どうにも慣れず、緊張して悠也の繋いでいる手が汗ばんでしまう。
彼女に気持ち悪いと思われていないだろうか。
そう思う悠也だったが、心なしか繋いでいる咲茉の手もほんの少しだけ汗ばんでいるような気がした。もしかしたら彼女も緊張しているのかもしれない。
手を繋ぐのをやめるべきだろうか、なんてことを思う悠也だったが――
繋いでいる咲茉のひんやりとした手の感触がどうしようもなく心地良くて、無意識に悠也の手がギュッと彼女の手を握っていた。
「夕飯、本当に食べて行かなくて良かったのか?」
右手に感じる彼女の存在を愛おしく思いながら、悠也が何気なく話し掛けると、申し訳なさそうに咲茉は頷いていた。
「うん。今日はやめておくよ」
「別に遠慮しなくても良かったんだぞ? 母さんだって良いって言ってたんだし?」
むしろ咲茉は夕飯を食べて行くものだと悠也は思っていた。
それは悠也の母である悠奈も同じで、当然のように咲茉が夕飯を食べていくと思っていたのだが……予想外にも彼女は帰ると言い出したのだ。
「お前が帰るって言った時の母さん、めっちゃしょぼくれてたぞ?」
あの時の母の表情は、悠也もよく覚えている。
咲茉が帰ると告げた時の悠奈は、ひどく悲しそうだった。
『ごちそう……たくさん作ろうと思ったのにぃ』
分かりやすいほど肩を落として落ち込んでいる悠奈を悠也達が慰めるのに、かなりの時間が掛かったほどだ。
結局、また明日も咲茉が悠也の家に来るという話でどうにか悠奈は納得していた。
「悠奈さんには申し訳ないことしたとは思うけど……」
「けど?」
「悠奈さんのこと見てたら、私もお母さんに会いたくなっちゃったから」
そう言って、咲茉は苦笑していた。
「言いたくないなら良いんだけどさ……咲茉の母さん、病気とかだったのか?」
今の、ではなく過去に戻って来る前のという意味で悠也が訊く。
もし病気か何かで会えなくなったのなら、彼女が過去の母親に会いたいと思う気持ちも理解できた。
その悠也の考えを察したのか、咲茉は首を横に振っていた。
「ううん、そういうのじゃないよ。私が大人だった時は一緒に住んでたし、病気とかでもなかったよ」
「……ならなんでまた?」
どこか不思議と、妙に悲しそうだった彼女の表情に悠也が首を傾げる。
「ちょっとね……大人だった時、私のことで色々と心配させてたんだ」
そんな彼に咲茉は少し言いずらそうにしながらも、そう答えていた。
「お父さんも、お母さんも、いつも私のこと心配してたの。いつも私に笑ってくれるけど、すごく悲しそうで……私の所為で二人を辛い気持ちにさせてるのが、ずっと申し訳なくて」
それはまるで、懺悔のようだった。
「だから私が今のお母さんに会いたいのは、ただの自分勝手な理由だよ」
俯いて語る咲茉が、悠也の手をぎゅっと握り締める。
「私だって分かってるよ。今から会うお母さんと私が大人だった時のお母さんが別人だってことくらい……でも、それでもね。まだ何も知らないお母さんと、ものすごく会いたくなったの」
そして、そう締め括った咲茉は苦笑していた。
悪いことをしていると言いたげに、取り繕うような笑みを俯いた彼女が見せる。
そんな彼女に悠也は言い淀んだが、意を決して口を開いた。
「お前に何があったか、まだ言えないのか?」
「……ごめんなさい、言えない」
謝罪の言葉と共に、咲茉は首を横に振っていた。
今だに話そうとしない彼女に、悠也が眉を顰めた。
「別に言っても良いんじゃないか? こうして過去に戻って来たんだから大人だった時のことなんて、もう今は関係ないだろ?」
大人だった時ならまだしも、今はタイムリープして悠也達は子供に戻っている。
行方知れずになった咲茉に何があったのか?
それはこれから先に起こったことで、今の時点では全く関係のない出来事だ。
それなのにも拘わらず、決して話そうとしない咲茉の様子は――やはり、どう見ても異様だった。
「それは……」
俯いた咲茉が横目で悠也を見るなり、言い淀む。
躊躇っているのか、口を開いては閉じてを繰り返し、苦悩に満ちた表情を彼女が浮かべる。
しかし、それでも言えないと咲茉が口を閉ざすと、悠也は肩を落としていた。
「無理して言えとは言わない。大人だった時も言ったし、ずっと待ってるって」
「……ごめんなさい」
また咲茉から謝罪の言葉が出てくる。
「別に良いよ。気にはなるけど、言えるようになったら言ってくれるんだろ?」
「うん……ちゃんと言う」
「ならそれで良い」
どの道、咲茉に話す気がないのなら強要したところで話してくれることないだろう。
今も、そして大人だった時も頑なに話そうとしなかったことだ。余程のことがあったと考えるべきだろう。
とにかく今は強引に聞き出そうとしても、決して話してはくれない。それが初めから分かっていれば、彼女が話してくれる時まで待つことしか悠也にはできなかった。
「……ひとつだけ」
ふと、咲茉から絞り出すような声が漏れた。
「え……?」
「ひとつだけ、言えること、ある」
困惑する悠也に、途切れ途切れな言葉で咲茉が答える。
その言葉の続きを悠也が待っていると、少しの間を空けて、咲茉は口を開いた。
「何があったかは言えないけど――」
そう切り出して、また言い淀む咲茉だったが……それでもゆっくりと彼女は声を絞り出していた。
「その所為で……私、どうしようもないくらい男の人が怖くなったの」
「は……?」
咲茉から意味の分からない話が出てきて、思わず悠也は困惑しまった。
「男が怖いだって?」
「昔……って言っても大人だった時からだけど、病院で極度の男性恐怖症になってるって言われたの」
男性恐怖症。それは文字通り、男性が怖いと思う精神的な病である。
もし咲茉が本当に男性恐怖症なら、どう考えてもおかしい点があった。
「いや、俺も男だぞ?」
彼女が男性に恐怖心を抱くのなら、男である悠也が怖いと思うのが普通である。
そのはずなのに、咲茉は平然と悠也と手を繋いでいる。
もし彼女が男性恐怖症だったなら、そんなことができるはずがなかった。
「だから大人だった時の悠也に触られた時、ビックリしたんだよ。全然、怖くなかったから」
「はぁ……?」
やはり、意味が分からない。
そう思いながら、悠也は怪訝に眉を寄せていた。
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