第11話 まだ恋人じゃない
悠也の実家は、2階建ての一軒家だった。
家族構成は父と母。そして悠也の3人だが、近い将来で4人に増える。
その理由は、とても単純だった。
悠也が高校1年生の秋頃に母親の妊娠が判明し、その翌年の夏に女の子を出産することになるのだが……それは未来の話である。
これも余談だが、2人の子供を授かっても特に不自由なく暮らしていける家庭が悠也の生まれ育った高瀬家だった。
「もうっ! 何回も呼んだのに来るのが遅いわよ!」
悠也と咲茉が2階から慌ただしく降りてリビングに行くと、エプロン姿の若い女性がムッと眉を吊り上げていた。
彼女こそが悠也の母親である高瀬悠奈だった。今年で36歳でありながらも、まるで20代だと思わせる際立った美貌が今は不機嫌そうに歪めている。
ボブヘアーの髪をふわりと揺らして、悠奈が手に持ったおたまを振り上げて怒っていると態度で示す。
「ごめん、ちょっと部屋で話し込んでて」
「私の作った美味しいお昼ご飯よりも大事な――」
頬を膨らませて怒る悠奈だったが、ふと彼女の視線がある場所を見ると、ピタリと動きを止めていた。
目を大きく見開いて固まった悠奈に、悠也と咲茉が怪訝に顔を見合わせる。
「あらあらまぁまぁ……!」
しかし次の瞬間、悠奈がクスクスと笑いながら空いている手で口を覆っていた。
「急になんだよ……母さん」
久しぶりに会った若い姿の母親に悠也の中で懐かしさがこみ上げてくるが、どうにか我慢して悠奈に向けて眉を寄せる。
社会人になってからしばらく会ってなかったが、この姿が大人になっても大して変わらないのはどうしてだろうか。
そんな疑問を悠也が抱いていると、悠奈は嬉しそうに肩を揺らしていた。
「ふふっ……悠也と咲茉ちゃんがとーっても仲良しな姿を見れて嬉しいわぁ」
「は……?」
急に意味の分からないことを言い出した悠奈に、無意識で悠也の目が彼女の視線を追う。
その視線の先には――悠也と咲茉が繋いでいる手に向けられていた。
「あっ……!」
悠也よりも先に咲茉が気づいた途端、一瞬で彼女の頬が赤く染まった。
どうやら咲茉も悠奈の前で悠也と手を繋いでいるのは、恥ずかしかったらしい。
しかしそれでも咲茉から繋いだ手を放そうとはせず、遅れて気づいた悠也が慌てて手を離すと、彼女の顔が少し悲しそうになっていた。
「私のことは気にしなくて良いのよ~? 親の前だからって恥ずかしがる必要ないじゃない?」
「べ、別に……!」
楽しげに揶揄ってくる母親に悠也が反射的に言い返そうとしたが、咄嗟に出そうになる言葉を飲み込んだ。
昔の、子供だった自分ならば母親に咲茉と恋仲を疑われれば必死に否定しただろう。
しかし、大人になって咲茉と再会し、気持ちを伝え合った彼女の前で母親に恋仲を否定するなど今の悠也にできるわけがなった。
もう後悔することをしたくない。過去に戻って来れたのなら、もう後悔をする選択をしたくない。
ずっと過去を後悔してきた彼の経験が、自然と否定の言葉を塞き止めていた。
「別に良いだろ……咲茉と仲が良くても」
だからこそ、悠也は否定ではなく肯定の言葉を口にしていた。
「あら……?」
自身の息子から思いもしなかった返事に、悠奈は不意を突かれた。
いつもならば悠也に咲茉との関係を揶揄えば、必死に否定するはずだった。
子供らしい本心を隠した息子の反抗が可愛くて見たかったのだが……それを遥かに超える予想外の反応に、思わず悠奈の思考が停止した。
「あらら……?」
そしていつもなら恥ずかしがってそっぽ向く息子が素直に自分を見つめている姿に、更に悠奈は不思議そうに首を傾げた。
頬を少しだけ赤らめる自分の息子と、その隣で恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯く咲茉。
「はっ……!?」
その二人の姿を見ていると、悠奈の頭に直感が走り抜けた。
自身が女であるからこそ、そして夫を持つまで培った恋愛経験が、彼女にある確信を持たせた。
その瞬間――悠奈は、満面の笑みを浮かべていた。
「まぁまぁ……! 今日の晩御飯はお赤飯かしらぁ……!」
「母さんっ⁉」
妙なことを言い出した悠奈に悠也が咄嗟に叫ぶが、そんな些細なことなど母には関係なかった。
「やっとだわぁ! 早く達也さんに教えてあげなきゃ!」
「なにスマホ持ってんだよ! あと父さんに余計なこと言うなっ!」
悠奈がテーブルに置いていたスマホを手に取った途端、また悠也が叫ぶ。
しかし息子に怒鳴られても、全く動じない悠奈は幸せそうに笑っていた。
「だってようやく息子に春が来たのよ? お父さんに教えてあげなきゃ駄目じゃない?」
「なにが駄目なんだよ!」
「それも相手があの咲茉ちゃんよ? 私がずっと可愛がってきた可愛い娘同然の咲茉ちゃんと私の息子が……あぁ、お母さん、泣いちゃいそう!」
ようやく至った悠也と咲茉の関係に、悠奈が感極まる。
うるうると目を潤ませ、今にも泣きそうだと告げている母親に悠也は頭を抱えていた。
「別に俺と咲茉がそういう関係だなんて一言も言ってないだろ……!」
「あら? 違うの?」
「そ、それは……」
キョトンとした悠奈に、悠也の表情が強張った。
この母親に、どう答えるべきなのかと。
咲茉と想いを伝え合ったが、考えてみれば彼女と交際などの話は一切していなかった。
ただお互いに好きだったことを伝え合っただけ。
付き合ってほしいとも、結婚してほしいと言った覚えなどもない。
大人の時に“ずっと一緒に居たい”とは言ったが、彼女から返事を貰う前に死んでしまったから返事も聞いてない。
果たして、それで勝手に恋仲だと言って良いものかと、素朴な疑問を悠也は抱いてしまった。
もう赤裸々に想いを伝え合ったのだから咲茉と恋仲だと決めつけて良いと思うが、どうにも悠也は決めつけられなかった。
咲茉とは、もう曖昧な関係で居たくない。大事なことはしっかりと言葉で伝えたい。
だからこそ、まだ言葉にしていないからこそ、悠也が言葉に悩んでいる時だった。
突然、咲茉が悠也の手を掴んでいた。
「……えっと、悠奈さん?」
そして恥ずかしそうに頬を赤らめる咲茉が俯きながら、そっと視線だけを悠奈に向ける。
可愛らしい彼女の仕草に悠奈が微笑むと、小さく首を傾けていた。
「なぁに? 咲茉ちゃん?」
「私と、ゆーや。まだ恋人じゃないの」
「あら……まだ、なの?」
「……うん」
「ふふっ……!」
その言葉でもう確信したと、緩む口元を悠奈が両手で隠す。
悠也からすれば恥ずかしくて仕方ない母親の反応だったが、それでも咲茉は小さな声で続けていた。
「まだ、ちゃんと言葉にしてないだけだから……ちゃんと私とゆーやが話すまで、悠奈さんのお祝いは待っててほしいな……だめ?」
「良いに決まってるわぁ‼︎」
もう我慢できないと悠奈は小躍りしていた。
「あぁぁっ……もう胸がキュンキュンして頭どうにかなりそうっ! ちゃんと言葉にしてないですって……私も一度言ってみたかったっ……!」
「……もうやめてくれ」
そしてその場で突然震えて頭を抱え始めた母親を、悠也は頭を抱えていた。
しかし咲茉からぎゅっと手を握られて、思わず悠也が彼女を見ると、
「あとで、ちゃんと言い合おうね?」
顔を真っ赤に染めて俯く彼女にそう言われた瞬間、悠也の思考は止まっていた。
「……可愛すぎだろ」
「ちょっと、そんな恥ずかしいこと言わないでよ……!」
「無理……可愛すぎ」
無意識にそう呟いた悠也の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
それから三人が昼食を取るのは、しばらく経った後だった。
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