第104話 私にできること
全てにおいて、拓真という男は勘違いしていた。
この世界の主人公が自分だと、そんな妄想を信じて。
自身が神に愛された主人公だからと、全ての行いが許されると思い込み。
そして今――この場に立つ悠也がどれだけの覚悟を持っているのかを、彼は見誤っていた。
躊躇いなく他人を傷つける行為を、自身が特別と思っているからできると拓真は語った。
本来なら躊躇う行為が平然とできるのも、頭のネジが外れてしまった、特別な人間だけにできる行為だと。
だからこそ、拓真は悠也を同類だと認識していた。しかし本当の主人公は自分であり、悠也が偽りの主人公であることを信じて疑わない。
自分を主人公だと思い込む哀れな悠也が悪だと拓真は思い込んでいたが、その妄想は見当違いも甚だしかった。
今も悠也の手足には、人間の身体を壊した感触が残っていた。
聞き心地の悪い、骨の折れる音がずっと耳から離れない。
そして痙攣して倒れている少年達の姿すらも、気持ちが悪くて。
自分が他人を傷つけたと認識されられる全ての五感が、悠也の精神を蝕んでいた。
人間の身体を壊す方法は、悠也も嫌というほど雪菜に叩き込まれた。
たとえ鍛錬の時間が短期間だとしても、その技術を悠也は知っている。
人間の急所、戦う相手の力を利用した反撃、そして効率良く骨を折る方法など、様々な知識と技術が悠也の身体に染みついている。
だがしかし、実際に悠也が自身の持つ技術で他人を傷つけたのは、これがはじめてのことだった。
たとえ相手が悪人だとしても、他人を傷つける行為には躊躇いが生まれる。
その躊躇いを無理矢理押し殺すのが、悠也の覚悟だった。
躊躇えば、守れるものも守れなくなる。そう雪菜に教わった。
そのために、超えてはならない境界線を越えること。そしてその先にある、最後の一線だけは決して超えない。
それをできる覚悟を持ちなさいと、雪菜は語っていた。
殴り、蹴っても、骨を折り、砕いても、相手を殺す一線だけは超えない。それだけは弁えろと。
その覚悟を示すことができれば――必ず相手の心が折れる。
心の安全装置が働いても、その警報を無視する。頭のネジが外れていなくとも、外れたと思い込む。
普通の人間が躊躇うことも、平然とできる。本来なら止める手を止めない人間は、それだけで無意識に相手を委縮させる。
そうして見せつけた異常な姿に、相手は恐れを抱く。
そう教わってきた悠也だったが、実際にその覚悟を見せつけるのは、想像以上に恐ろしいことだった。正常な心が壊れていくような感覚が、今もまだ襲い掛かってくる。
しかし、それでも悠也は心を押し殺していた。
ようやく作り出せた、この状況を絶対に無駄にできない。
みんなで考えた作戦で、ここまで辿り着いたのだから。
大勢の少年達を凛子と雪菜が引き付けているからこそ、悠也は単独で動けた。
乃亜の周到な準備のおかげで、今も咲茉が犯させずに済んでいる。こうしている間にも、喧嘩のできない彼女は密かに動いている。
そして今、ここで悠也が咲茉を救うことができなければ、全てが無駄になる。
それだけは絶対に許されない。また咲茉を救えないことだけは、絶対にあってはならない。
もう10年前とは違う。知らず、救うことすらできなかったあの時とは違う。
震える手足にムチを打ち、無理矢理にでも動かせ。
どれだけ心が悲鳴をあげても、無視しろ。
この場に惚れた女がいるのなら、何があっても助ける。
その覚悟を持っているからこそ、自分はこの場にいるのだから。
そう思えば――自然と悠也の身体は動いていた。
「――おらっ!」
勢い迫る拓真が、前蹴りを放った。
攻撃が来ると身構えていれば、素早い蹴りでも躱わすのは容易い。
悠也が半身になって避けると、即座に彼の蹴り出された右足を掴んでいた。
これで悠也が一歩前に進みながら片足だけで立っている状態の拓真の逆足を払えば、簡単に地面に叩きつけられる。
そう思っていたのだが――
ふわりと拓真の右手が地面に置かれた瞬間、悠也の耳に風を切る音が響いた。
「ッ――!」
咄嗟の脊髄反射で悠也が仰け反ると、唐突に拓真の左足が眼前を通り過ぎた。
突然の反撃に困惑する悠也だったが、すぐに気づいた。
どうやら拓真は悠也に掴まれた足を軸にして蹴りを放っていたらしい。
随分と器用なことを――そう思う悠也だったが、その攻撃も躱してしまえば意味もない。
これで更に拓真の体勢を崩しやすくなった。
今度こそと、悠也が動き出そうとした瞬間、更に拓真の攻撃は続いていた。
「これで終わりとか思ってんのかよッ!」
振り抜いた拓真の左足が、悠也の顔面に目掛けて打ち出されていた。
「コイツッ――!」
身体を逸らしても躱せない。拓真の足から手を離した悠也が両腕で顔を守った途端、鈍痛が身体中を駆け抜けた。
渾身の拓真の蹴りに、思わず悠也が数歩後ずさる。
そして両腕から感じる痺れる痛みに悠也が苦悶していると、
「あぁぁ? さっきまでの威勢はどうしたんだよっ!」
いつの間にか拓真が起き上がり、彼に迫っていた。
迫る拓真の右拳が放たれる。
まだ高校一年生の悠也と三年生の拓真とでは、その体格差は必然的に大きくなってしまう。
身長が170cm弱の悠也から見ても、拓真の身長は自分より少し高い程度だったが、それでも体格の違いは一目で分かった。
やはり以前も見たが、筋力差が違う。服から覗く腕も、明らかに鍛えられていると分かる。
まだ鍛え始めたばかりの細身の悠也とでは筋力差が違い過ぎる。同じ拳でも、その威力の違いは比べるまでもない。
間違いなく、悠也が一撃でも喰らえば致命傷になる。そうなれば、拓真の怒涛の攻めに抗うのも難しくなるだろう。
だがその攻撃も、当たらなければ問題なかった。
「ッ――!」
「またそれかよっ!」
迫る右拳を悠也が内側に払うと、拓真の怒声が響いた。
攻撃を逸らす動作は、もう悠也にとって苦もない動作だった。
今までの鍛錬で雪菜の素早く放たれる重い拳を逸らし続けてきた悠也には、拓真の拳は見えていた。
見える位置から撃たれれば、絶対に躱せる。その自信が悠也に備わっていた。
「おらッ――!」
ガラ空きになった拓真の脇腹に、悠也がすかさず右拳を放つ。
どんな人間も、内臓は鍛えられない。左の脇腹にある肝臓を打たれれば、問答無用に悶絶する。
手早く相手の動きを止めること最優先した悠也の攻撃だったが、それを拓真が許さなかった。
「させねぇよ! 馬鹿がッ!」
咄嗟に勢い良く前に出た拓真の右肩が、悠也を後ろに押し出した。
「ぐっ――!」
拓真から喰らった反撃のタックルに、悠也の表情が歪む。
思うように攻撃が当たらない。たったの一撃で優勢になるというのに、それができないもどかしさに苛立ってしまう。
「さっさとくたばれよ! この偽物がッ!」
叫ぶ拓真の拳は、問題なく見えている。
一撃が重くとも、弾いて逸らすことも問題ない。
「ゴミはテメェだよッ!」
しかし怒声をあげる悠也の攻撃も、簡単には当たらなかった。
素早く撃ち込んでも、強引な方法で回避されてしまう。
武術を学んだ自分の方が、彼よりも技術面で優れているはずなのに。なぜか決定的な一撃が届かない。
あの雪菜のように見えない速度で拳を放てない時点で、おそらく拓真も警戒しているのだろう。
悠也の反撃を喰らってはならないと。
比較的大振りな攻撃をせず、コンパクトな攻撃が多いと悠也が感じるのは、きっとその所為だろう。
普通の人間が見せない合気道などの技術を見せれば、警戒させるのも当然だった。
「良いからくたばって咲茉とヤらせろよッ! 俺は主人公だからよぉぉッ‼︎」
「だからテメェは主人公じゃねえって言ってるだろうがッ‼︎」
互いに叫びながら、拓真と悠也が殴り合う。
「ゆーや……!」
その光景を咲茉は震えた声を漏らしながら、見ていることしかできなかった。
彼が自分の為に戦っている。それなのに、自分は見ていることしかできないのか?
「私にもできることっ……!」
必死に縛られている手首の紐を解こうとするが、やはり簡単に解けそうにない。
「っ……! どうしよ、どうしよ……どうしたら……!」
何もできないと苦悶する咲茉だったが、ふと縛られている紐を見ていると――その違和感に気づいた。
手首を縛っている紐。その先に続いて括り付けられているベッドの鉄パイプの一部分が、少しだけ腐っていた。
それを見た途端、咲茉は半信半疑のまま咄嗟に動いていた。
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