策と覚悟
「……策に対する責を一身に背負う――」
幸綱の答えを聞いた昌幸は、呆気にとられた表情を浮かべて眉間に皺を寄せた。
「いや、そのような事……親父殿に言われずとも解っております。自分で口にしなかったのは、わざわざ言うまでもない事だったゆえ……」
「カッカッカッ!」
息子の不満げな言葉を聞いた幸綱は、愉快そうに呵々大笑する。
「まだまだ甘いのう、源五郎よ! そのように返したという事こそが、お前が未だに“軍師”という務めを良く分かっておらぬ何よりの証じゃ!」
「務めを……良く分かっていない?」
ずけずけと言ってのける幸綱を前に、昌幸は思わず気色ばんだ。
「一体、拙者が“軍師”の務めの何を分かっておらぬと申されるのだ? 確かに、拙者はまだ二十にも至らぬ若輩者ですが、これまで幾度も武田家の為に様々な策を献じて参った! それなのに、まだ拙者が“軍師”ではないと申されるのか、親父殿はっ?」
「カッカッカッ! 別にそうは申しておらぬわい。早とちりするな」
声を荒げる昌幸を笑い飛ばした幸綱は、息子の目をじっと見据え、諭すように言う。
「だが……軍師を自負するのなら、もう少し冷静に、相手の話の内容をしっかり咀嚼してから喋るべきじゃな」
「ぐ……!」
父のもっともな指摘に返す言葉も無い昌幸は、悔しげな顔で口を噤んだ。
珍しく言い返さない息子に満足げに微笑んだ幸綱は、もう一度瓢箪の酒を呷って、静かに言葉を紡ぐ。
「別にワシは、お主が軍師たり得ぬなどとは言うておらぬ。……だが、軍師という者は、ただ戦で策を献じておれば良いというものではないのだ」
「……!」
「……悪五郎殿は」
今度はハッと目を見開いた昌幸の顔を見据えつつ、幸綱は言葉を続けた。
「その立場も性根も、これからの武田家にとって邪魔になる存在であった。あの色々な意味で厄介な御仁に居なくなってもらう事こそが、今後の美濃における武田家の立ち位置を安定させる一番の上策じゃったのじゃ。それは、お前にも分かるじゃろう?」
「それは……そうですが……」
幸綱の問いかけに、昌幸は不承不承頷く。
そんな彼に軽く頷き返した幸綱は、「では」と、更に問いを重ねた。
「悪五郎殿に死んでもらう策――それは、対外的に見ても上策と言えるかの?」
「それは…………」
昌幸は、幸綱の問いに対し、一瞬言葉を詰まらせてから――小さく首を横に振る。
「……言えませぬ。降った将に対して斯様な騙し討ちを行なったと知られれば、武田家は斎藤や織田……いや、各地の大名らから卑怯者の誹りを受ける事になりましょう」
「左様」
幸綱は、昌幸の答えを聞いて満足げに頬を緩めた。
そして、夜空を振り仰いで煌々と輝く月を見上げる。
「じゃから、ワシは心の中に秘めた策を誰にも――総大将の典厩殿にも明かさずに実行したのじゃ。万が一、悪五郎殿を謀殺したという噂が広まっても、その誹りの矛先が全てワシ自身のみに向くように、な」
空に目を向けたまま、そう淡々とした口調で言った幸綱は、ニヤリと口の端を歪めてみせた。
「策の事を知らなかったとなれば、典厩殿……ひいては武田家が、“卑怯者”と誹られるいわれは無くなるからのう! カッカッカッ!」
「そ、それが……」
愉快そうに高笑いする父に、昌幸は上ずった声を漏らす。
「それが……先ほど親父殿が申しておられた、“策に対する責を一身に背負う”という、軍師の務めだと……?」
「左様!」
昌幸の問いかけに、幸綱は大きく頷いてみせ、「じゃが……」と続けた。
「もしも、此度の美濃攻めを指揮しているのが典厩殿ではなくてお屋形様ご自身じゃったら、ワシも独断では行わなかった。あのお屋形様なら、ワシから策を聞いた上で一緒にシラを切り通してくれるじゃろうからのう」
「それは……」
「じゃが……典厩殿は、お屋形様とは違うからの」
そう言った幸綱は、苦笑いを浮かべる。
「あの御仁は、兄上様とは違って、真っ直ぐ過ぎるほどに真っ直ぐな頑固者じゃからの。……まあ、それ自体は決して悪い事では無いんじゃが、自分が関わった事に対する責任を全て自分ひとりで抱え込もうとし過ぎるのは、人の上に立つ者としては少し困りものじゃ」
「それは……」
昌幸は、父の言葉に言い淀んだ。
(確かに、去年の道有様 (武田信虎)の時も……)
あの時の信繁は、かねてより信玄に駿河攻めを唆していた信虎の暴挙を止めんと、彼が飲む酒に毒を仕込んで殺そうとした。
結局、重なった偶然と自分の身を投げ出して信虎を道連れにした老臣・飯富虎昌によって、信繁が父を手にかける事は無かったものの、いざそうなったら、彼は自分ひとりに全ての責を負う覚悟だったに違いない……。
「正直……人の上に立つ者としては、もう少し汚れ仕事を下の者に任せ、見て見ぬふりしてくれるような狡いところも欲しいところじゃが……あの御仁にそう申したところで、到底聞き入れてはくれまい。まあ……それこそが典厩殿が典厩殿たる所以じゃからな。致し方あるまい」
そう言って、困ったように肩を竦めてみせた幸綱だったが、その顔には柔和な微笑が浮かんでいた。
「そんな御仁に責も迷惑もかからぬように策を講じようと思うたら……黙ったまま進めるほかあるまいて。そうじゃろ?」
「……そうですね」
幸綱の言葉に、昌幸も思わず顔を綻ばせながら頷く。
そんな息子に頷き返した幸綱は、フッと息を吐いてから、「じゃからの」と言葉を継いだ。
「そんな主に“軍師”として仕えようというのなら、戦事をする上でどうしても要る影の部分や汚れ仕事を一手に引き受け、その責を主の代わりに一身に背負う覚悟が必要なのじゃ」
そこで、神妙な表情の息子に穏やかな眼差しを向けた幸綱は、諭すように言う。
「覚悟といっても、生易しいものではないぞ? 必要とあらば、言い訳ひとつ、恨み言ひとつ零す事無く腹を切り、生じる汚名や恥も全てひっくるめて引き受け、逍遥と冥途に逝く……それこそが“軍師の覚悟”というもの。――果たして、お前にその覚悟はあるか?」
――そう尋ねた幸綱の目に、鋭い光が宿った。
「源五郎……いや、武藤喜兵衛昌幸よ?」
「それは……」
鋭い刃のような響きを含んだ父の問いかけに気圧された昌幸は、顔を強張らせて言葉を詰まらせる。
と、
「カッカッカッ! まあ良い!」
幸綱は、急に相好を崩し、昌幸の肩をポンと叩いた。
「お前は、まだ雛鳥に毛が生えた程度の若造じゃ。責じゃ覚悟じゃという重ったるいモンは、いくらでもこの父が肩代わりしてやるゆえ、お前は安心して働きに専念するがよいぞ!」
「親父殿……」
呆気にとられた様子の昌幸にニィっと笑いかけた幸綱は、手に持った瓢箪を揺らして水音を鳴らしながら、朗らかな声で言う。
「さぁ、小難しい話はここまでじゃ! 今宵は共に飲むぞ、源五郎!」
「……まったく」
幸綱の能天気な声に、昌幸は呆れ混じりの笑みを浮かべ、わざとらしく溜息を吐いて、小さく頷いた。
「……分かりました。お気が済むまでお付き合いいたしますよ、親父殿」
「カッカッカッ! そう来なくてはな!」
息子の応諾に、幸綱は心底嬉しそうな笑みを浮かべたのだった。




