策と狙い
――かくして、竹中半兵衛と仙石久勝は、信繁の説得に応じて武田軍に降った。
本陣に集められ、隊将である半兵衛と久勝の口から事情を聞かされた斎藤軍の兵たちは、思いもかけぬ話に激しく動揺した。
だが、敵の総大将である信繁が、半兵衛の言葉に「手向かいせずに八王子山を下りれば危害は加えぬ事を、武田軍の大将の名において約束する」と口添えした事もあり、思ったよりも従順に武装解除に応じた。
八王子山を下りた斎藤兵たちは、そのまま武田方に降るか、武田軍の監視の下で大井戸の渡しを渡って斎藤領へ戻るかを選ばされたが、斎藤家へ戻る事を選んだのは、千五百の兵のうち、僅か四百名ほどだった。
「……思ったよりも、戻る者が少ないな……」
八王子山から武田軍の本陣に戻ってきて、昌幸から報告を聞いた信繁は、意外そうな顔をした。
昌幸は、信繁の言葉に小さく頷きながら答える。
「どうやら、八王子山に籠もっていた兵たちの大部分が、家の次男以下の者や、元々身寄りのない独り者たちだったようで……要するに、元の家に戻らねばならぬような柵が然程無い者たちが多かった……と」
「成程……それでか」
信繁は、昌幸の言葉に頷きながら、顎に指を当てた。
そして、少し無精髭が伸びた顎を指の腹で撫でながら、考え込むように小さく唸る。
「むう……確かにそれならば合点がいくが……果たして、それは偶然か?」
「……八王子山に籠もった兵たちに、そのような事情を持つ者が多かった事が……ですか?」
「ああ」
昌幸の言葉に、信繁は小さく首を縦に振った。
「……もしも、八王子山に籠もった兵たちに、家の跡取りや妻子の居る者が多かったならば、家や家族を守る為、何が何でも敵を打ち破らねばならぬと死に物狂いで戦おうとする者が増え、こうも容易く武田に降りはしなかったのではないか?」
「確かに……」
信繁の言葉に、昌幸も考え込む。
「そう言われれば、些か出来過ぎた話のようにも思えてきますね……」
「もしかすると……」
昌幸の呟きに、信繁は低い声で言った。
「半兵衛は、別動隊を編成する際に、あえて家や地縁の薄い者を選り分けて組み込んだのかもしれぬな……」
「……半兵衛が、武田へ降る事になる可能性を考えていたという事ですか?」
信繁の言葉に、昌幸は眉を顰める。
「八王子山に籠もる前――烏峰城の麓で、我らと安藤守就軍が戦いを始める前から――」
「さすがに考え過ぎか?」
「……いえ」
昌幸は、難しい顔をしながら、苦笑する信繁に向けて小さく頭を振った。
「正直……他の者ならともかく、あの男――竹中半兵衛ならば、そのくらいの計算はしていそうではあります。先ほど、直に言葉を交わした時に感じた、何を考えておるのかを見せぬ底の知れなさを考えれば……」
「……儂もだ」
信繁も、昌幸の言葉に頷く。
そして、帷幕に四角く切り取られた青い空を見上げ、口髭を撫でながら呟いた。
「あの男……一体、あの男はどこまで読んでいたのだろうな? 此度の戦の展開を……」
「……或いは、逆だったのかも」
「……逆?」
信繁は、気になる言葉を漏らした昌幸に訝しげな顔を向け、訊き返す。
「逆とは、何がだ?」
「……半兵衛は、此度の戦の推移を読んで策を講じていた訳ではなく、初めからこうなるように策を仕込んでいたのではないか……と」
「何……?」
昌幸の答えに、信繁は隻眼を見開いた。
「どういう事だ?」
「……あくまで、拙者の勝手な推論ですが」
そう断ってから、昌幸は言葉を継ぐ。
「半兵衛の真の狙いは、安藤守就に策を授けて戦に勝たせる事でも、八王子山に籠もって我々の城攻めを牽制する事でも無く――」
そこで一旦言葉を切った昌幸は、ゴクリと唾を呑んでから、辿り着いた結論を舌に乗せた。
「――あえて敵中に孤立し、武田に降る事だったのではないか……と」
「な……!」
昌幸の言葉を聞いた信繁は、思わず息を呑んだ。
絶句する彼に、昌幸は更に言葉を継ぐ。
「あくまでも結果論で、たまたまそのように見えただけという可能性も大いにありますが……主である斎藤龍興に疎んじられていた事などを鑑みると、彼が抱える事情は、武田家に降る事を決めた千百名の兵たちのそれと同じかと」
「……」
「……無論、最初からそのつもりではなく、安藤守就に授けた数々の策も、我らを打ち破るつもりで授けたのは間違いないでしょう。守就が半兵衛が授けた策によって勝利し、見事敵の侵攻を防げれば、さすがに主の斎藤龍興の勘気も解けましょうから」
そう言った昌幸は、小さく息を吐くと、「――ですが」と続けた。
「馬防ぎの柵も火縄銃での一斉射撃も我らに破られ、勝つ為の最後の……そして、最大の要でもあった典厩様への狙撃も失敗に終わった事で、守就が我らに勝つ道は潰えました。――なので、半兵衛は切り替えたのです。同時に仕込んでいた“自らの身を守る為の策”の方に」
「自らの身を守る為の……策?」
信繁は、昌幸の言葉に首を傾げる。
「策など必要か? ただ単に我らへ降るだけなら、わざわざそのような策を講じる必要などあるまいに……」
「ええ、仰る通りです」
昌幸は、信繁の疑問に大きく頷いた。
だが、すぐに首を左右に振り、言葉を続ける。
「ただ――それでは、降った後の身の処遇に不安が残ります。良くて凡百の将と同じような軽い扱いを受けるか……最悪、我々の心ひとつで、『捕虜』として首を刎ねられる事もあり得る……」
「確かに……」
「ですから、半兵衛の方から降伏を申し出るのではなく、我らの方から進んで誘降を持ちかけさせるように仕向けたのです。――敵に自分の価値を出来るだけ高く見積もらせられれば、その分、己が身の安泰が保障される事に繋がりますから」
そう言うと、昌幸は不敵な笑みを浮かべた。
「――拙者が半兵衛と同じ立場なら、そうします」




