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意地と我儘

 「保科様……!」


 正俊に怒声を浴びせられた小原継忠は、返り血と土埃に塗れた顔に驚きの表情が浮かんだ。


「な……なぜ、貴方様が斯様な所へ――?」

「寝惚けた事をほざくな! そんな事、決まり切っておろうがッ!」


 継忠の問いかけに、正俊は苛立ちながら一喝する。


「勝手に抜け駆けし、まんまと敵の罠へ飛び込みおった貴様らを連れ戻しに来たのだ!」

「……っ!」


 歯に衣着せぬ正俊の物言いに思わず気色ばむ継忠だったが、その言葉が紛れもない事実である事は認めざるを得なかった。

 彼はキュッと唇を噛み、それから正俊に向かって首を垂れる。


「……返す言葉も御座らぬ。保科様……いや、御味方に多大なご迷惑をお掛けし、何とお詫びをすれば……」

「詫びなど後でせい!」


 郎従らと共に、殺到しようとする敵兵らを手槍で打ち払いながら、正俊は顎をしゃくった。


「今は、一刻も早くこの場を離れる事に専念せよ! さっさと参るぞ!」

「……」


 正俊に急かされた継忠は、無言のまま表情を曇らせる。

 そして、頭を巡らせて、草叢の上で折り重なるように斃れた配下たちの骸を一瞥してから、小さく(かぶり)を振った。


「……保科様、せっかくお救いに来て頂いたところだが、申し訳御座らぬ。どうぞ、拙者の事は捨て置き下され」

「……何だと?」


 継忠の答えを聞いた正俊は、眉間に皺を寄せ、険しい声を上げる。


「捨て置けとは……どういう意味だ?」

「どういう意味も何も……そのままの意味に御座る」


 正俊の問いに、継忠は自嘲するように薄笑んだ。


「功を焦って抜け駆けした挙句、斯様な無様を晒しては、おめおめと戻れませぬ。かくなる上は、このまま力尽きるまで暴れ回り、ひとりでも多くの敵兵を道連れにして御味方に報いたいと――」

「……たわけ!」


 継忠の言葉を最後まで聞かずに、正俊は彼を一喝する。


「ここでお前が奮闘して雑兵を数名討ち取ったとしても、何の報いにも援けにもならぬ! それよりも、自陣に戻って生き残った諏訪衆を再編成してから、総大将である典厩様の命の元、その手足として働く方がよっぽど良いわ!」

「で……ですが……!」


 正俊の言葉に一瞬たじろいだ継忠だったが、すぐに大きく首を左右に振った。


「このままでは、四郎様に何と申し上げれば良いか……」

「たわけ! そのような事、考えるのは後で良いわ!」


 継忠の躊躇を、正俊はバッサリと切り捨てる。

 そして、フッと表情を和らげると、諭すような口調で継忠に言った。


「――案ずるな。此度の事は、先陣を任されていたワシにも落ち度があるといえるからな。だから、ワシもお前と共に典厩様に詫びよう」

「保科様……!」

「なに、典厩様(あのかた)なら、そう無下な沙汰は下さぬだろう。……まあ、そうは言うても、扶持が減るくらいは覚悟しておかねばならぬだろうがな」


 そう冗談交じりに言った正俊は、手槍の穂先を大きく振って、継忠と生き残った諏訪衆に向けて促す。


「さあ、分かったら、さっさと行くぞ! 馬を失ったのなら、死ぬ気で走ってついて来い、良いな!」


 正俊の声に、それまで絶望の表情を浮かべていた諏訪衆たちの顔が、生気を取り戻した。

 だが、それでも継忠は躊躇する様子を見せる。

 が――、


「しかし――」


 と、口を開きかけた継忠が、大きく目を見開き、突然駆け出しながら叫んだ。


「保科様ッ!」

「――っ!」


 継忠の絶叫に只ならぬ響きを感じた正俊は、咄嗟に手綱を繰り、大きく馬首を廻らせた。

 ――次の瞬間、乾いた破裂音が空気を震わせる。


「お――」


 その音が銃声だと気付いた正俊は、視界に入った光景に声を上ずらせた。


「小原!」

「ぐ……う……」


 正俊の呼びかけにも応えられず、継忠は呻き声を上げて片膝をつく。

 その甲冑の胸板の真ん中には大きな穴が開き、みるみる鮮血が噴き出した。

 ――そう。

 継忠は、敵兵が正俊の乗騎を狙って放った銃弾から彼を守る為、咄嗟に身を投げ出して楯になったのだ。

 瞬時にそれを理解した正俊は、急いで彼を支えようと馬を下りかける。


「しっかりしろ! 今――」

「ま――待たれよ!」


 だが、継忠は鋭い声で正俊の事を制した。

 そして、取り落としかけた手槍を握り直し、じりじりと包囲を狭めようとする敵兵たちに血走った目を向けて牽制しながら、荒い息の中で必死に声を絞り出す。


「こ……ここは拙者が引き受け申す! ですから……保科様は、()くお立ち退き下され!」

「何を申すか、このたわけが!」


 継忠が口走った言葉が示す意味を察しながら、それでも正俊は彼を叱りつけた。


「諦めるな! ここはワシと共に退き、此度の汚名返上の為に体勢を整え――」

「ふ……お言葉ながら……それは、もう叶いますまい……」


 正俊の言葉を遮り、(かぶり)を振った継忠の口の端から、一条の鮮血が滴り落ちる。

 彼は、穴が開いた胸板を押さえた左手がたちまち真っ赤に染まるのを虚ろな目で見つめながら、静かな口調で言った。


「この鉄砲傷では、たとえ自陣へ帰りついたとしても助かりませぬ……。であれば……この場で華々しく散りたい……それが、功に逸って犬死する愚か者の最後の意地……いや、我儘に御座ります」

「小原……」

「お行き下さい。自分だけではなく保科様まで冥途へ道連れにしてしまったとあっては、典厩様や四郎様に対し、申し訳が立ちませぬ!」


 そう叫んだ継忠は、正俊に背を向け、地面に突き立てて己が身体を支えていた手槍を掲げ上げると、敵兵を威嚇するように振り回す。

 そして、背を向けたまま、正俊の事を急かした。


「さあ、保科様! お早く!」

「――!」


 正俊は、継忠の声色から、彼の決意を翻す事はもう叶わないと察する。

 グッと唇を噛んだ彼は、思い切り馬の横腹を蹴りつける。


「……任せた!」

「任され申した!」


 短い正俊の声に、口の端を僅かに綻ばせながら応じる継忠。

 そして、地面を蹴りつける蹄の音が徐々に遠ざかるのを聞きながら、僅かに目を瞑った。

 閉じた瞼の裏に、彼の主の整った顔立ちが浮かび上がる。


(……申し訳御座いませぬ、四郎様。我が愚行により、お預かりした兵たちを数多死なせてしまいました……)


 心の中で主君に詫びながら、彼は折れ裂けた槍の柄を握る手に力を込めた。


(勝手ながら、ここでの一働きを、せめてもの罪滅ぼしとさせて頂く……!)


 そう決意を固めた継忠は、カッと目を見開き、自分を取り囲む敵兵たちを睨みつける。

 そして、槍を持ち上げるように構えると、大音声で名乗りを上げた。


「――我こそは、武田家親族衆・諏訪四郎様が臣、小原丹後守継忠である! 腕に覚えのある者は、我を討ち取り、手柄としてみせよ! 無論……この首、タダではやらぬゆえ、覚悟してかかって参れッ!」



 ――この後、小原丹後守継忠は襲いかかる斎藤軍を相手にたった一人で立ち向かい、修羅の如き働きで十数人を斬り伏せるが、衆寡敵せず、最後には壮烈な討ち死にを遂げる。

 享年三十八。

 小原継忠は、最初は信濃高遠城主・高遠頼継に仕えておりましたが、甲斐の武田晴信に敗れた頼継が切腹して果てた後は、主家を滅ぼした武田家に仕えました。

 史実では、永禄五年 (西暦1562年)に、信玄の四男勝頼が高遠城主に任じられた時に、付け家臣として従ったとされています。

 彼の名が書状に頻繁に見られるようになるのは、勝頼が武田家の陣代として政を執るようになってからで、朱印状奉者を多く務めていたようです。

 彼は、天正十年の武田家滅亡の折も最後まで勝頼に従い、彼の最期の地である天目山にて壮絶な戦死を遂げたと伝わっています。『甲陽軍鑑』では、この時の事として、継忠が女房衆の介錯をした後に自害した際に、自らの首級を勝頼のものと見せかけようとしたものの、織田方に見破られた――という逸話が記されています。


 なお、本文の享年から逆算すると、継忠の生年は大永七年 (西暦1527年)となりますが、実際の生年は不明です。

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