侵攻と退却
――斎藤軍の陣内に侵入した諏訪衆たちは、竹中半兵衛の思惑にまんまと嵌った。
足元の罠によって先頭の騎馬が倒れた事で、行く手を遮られ、立ち往生を余儀なくされた後続の者たちは、待ち構えていた斎藤軍の鉄砲隊によって乗騎を撃たれ、次々と落馬する。
騎乗していた武者たちは、草の生い茂る地面の上に投げ出され、身体を強かに打ちつけ悶絶しているところを、鉄砲隊の後ろから躍り出てきた斎藤軍の足軽たちが繰り出す長槍によって次々と刺し貫かれた。
そんな前方の状況も分からず、ただ我先にと後に続いた諏訪衆たちも、馬と共に地面に転がり苦鳴を上げている朋輩たちの姿に驚く間もなく、斎藤方の鉄砲隊の第二射を浴びてしまう。
草の生い茂った地面には、たちまちの内に夥しい数の諏訪衆の武者たちと馬たちの身体が転がり、一帯は悲痛な苦鳴と断末魔と硝煙と血腥い匂いで満たされるのだった――。
「くっ……何をしておるのだっ? あんな所で固まって……!」
抜け駆けした諏訪衆を自陣へ引き戻す為、急ぎ手勢を引き連れて斎藤軍の陣に接近した保科正俊は、彼らが柵の一ヶ所に集まり右往左往しているのを見て、訝しげな声を上げた。
柵の向こう側では、斎藤兵が足を止めた騎馬兵たちに向けて鉄砲を盛んに撃ちかけており、その銃弾を浴びた諏訪衆たちがどうと音を上げて、一騎、また一騎と地面に倒れ伏す。
「……ちっ!」
その有様を見て忌々しげに舌を打った正俊は、馬の横腹を蹴りつけ、更に速度を上げた。そして、率いる自隊の騎馬たちよりもいち早く諏訪衆に追いつくと、手にした槍を頭上に大きく掲げながら、立ち往生している諏訪衆たちに向けて大音声で叫ぶ。
「何をしておる、貴様ら――ッ! そのまま突っ立っておったら、敵の鉄砲の良い的だぞ!」
「え……っ!」
諏訪衆の最後尾に居た兵が、正俊の叫び声に気付き、馬上で竦めていた背を伸ばした。
そして、傾けていた目庇を上げて周囲を見回し、近付いてくる正俊の姿を見止めるや、驚きの表情を浮かべる。
「こ、これは、保科様……な、何故、このような所まで……?」
「何故も何も無いわ、このたわけ共が!」
訝しげに尋ねる騎馬兵を憤怒の形相で一喝した正俊は、荒々しい所作で後方の武田軍を手槍で指し示した。
「勝手に抜け駆けしおったお主らを連れ戻しに来たに決まっておろうが!」
「そ……それは……申し訳――」
「謝っている暇があったらさっさと退け! ここに留まっておったら、貴様ら全員、敵の鉛玉の餌食になるだけだぞ!」
「な……っ?」
「ひ、退くのですかっ?」
正俊の指示を聞いた諏訪衆は、目を丸くして驚く。
「せ、せっかく柵を破って敵陣の懐に入り込めたというのに、何故退かねばならぬのですか?」
「それより、この勢いを以て敵陣の奥まで攻め込んで――」
「たわけ!」
首を傾げながら疑問を述べる諏訪衆たちに怒声を浴びせた正俊は、太縄の切れた柵の辺りで立ち往生している味方に向けて顎をしゃくった。
「貴様らは『この勢い』と言うたが、進む事も出来ずに突っ立っておるこの状況のどこに勢いがあるというのだ? 本当に勢いがあるのなら、いまだにこのような所でもたついてなどおらぬわ!」
そう苛立たしげに怒鳴った正俊は、渋い顔で眉根を寄せる。
そして、一番手近にいた若い騎馬兵に問い質した。
「おい、先頭で斎藤陣に攻め込んだ者たちが今どうなっておるのか分かるか?」
「あ……い、いえ、それが……」
正俊の問いかけに、若い騎馬兵は当惑を隠せぬ様子で首を左右に振る。
「実は……硝煙と敵兵の姿に隠れてしまっていて、先頭の様子は詳らかには分かりませぬ。ただ、先ほどから盛んに銃声と馬の嘶き、それに喊声が上がっておりますゆえ、敵方と交戦に至っておるのは確かかと――」
「法螺や銅鑼の音はどうじゃ?」
「いえ……それは聞こえてきませぬ」
「聞こえて来ぬだと?」
「は、はい」
「マズいな……」
騎馬兵の答えを聞いた正俊は、一段と険しい表情を浮かべながら、周囲を見回した。
「小原はっ? 小原丹後はどこにおるッ?」
「こ、小原様は――」
歴戦の兵である正俊が見せる焦燥を見て、自分たちがただならぬ事態の最中にある事を薄々察した騎馬兵は、顔色を変えながら答える。
「小原様は……手槍を携え、いち早く敵陣内へ駆け入り――」
「――いかん!」
正俊は、騎馬兵の言葉を緊迫した声で遮り、目を大きく見開きながら叫んだ。
「恐らく、これは敵の策略ぞ! 貴様らは、まんまと罠の中へ誘き寄せられたのじゃ!」
「さ、策略……?」
「罠……これが?」
諏訪衆たちは、正俊の言葉に愕然とするが、その直後に上がった夥しい銃声と、笛の音のような風切音を上げながら脇を掠めた銃弾に慌てて身を竦める。
濛々と上がる硝煙と柵越しに、忙しない仕草で火縄銃の弾込めをしている斎藤軍の鉄砲足軽たちの姿を苦々しく睨んで歯噛みした正俊は、キッと表情を引き締めると、再び後方の武田軍の陣を指さし、緊迫した声で叫んだ。
「――陣内に入った者どもの事は保科隊が引き受ける! 貴様ら諏訪衆は、今のうちに疾く味方の陣へと戻り、典厩様の指示を待て!」
「で、ですが……」
「ええい、口ごたえするな! 隊を率いる将が後先も顧みずに敵陣へ突っ込んだせいで、斯様に指揮系統が乱れてしまった貴様らが居ても邪魔になるだけだというのが分からんのか!」
「……っ!」
納得できぬと抗弁しようとした諏訪衆の武者たちだったが、正俊の大喝にハッとした表情を浮かべ、それから大きく頷いた。
「か……畏まり申した!」
「分かったら、さっさと行け!」
と、諏訪衆を叱咤した正俊は、追いついた自隊の兵たちの方に向き直り、声を張り上げる。
「良いか! これより我々は、敵陣内に取り残された諏訪衆を救い出す! 敵の鉄砲に狙い撃たれぬよう、馬の脚は決して止めるな!」
そして、配下の兵たちが士気横溢な顔立ちを見て満足げに頷くと、手槍を頭上に大きく掲げながら、万雷の如き大音声で叫んだ。
「――者ども、参るぞッ!」




