援軍と進路
「――それで」
昌幸は、考え込むように眉間に指を当てながら、佐助に尋ねた。
「その、安藤守就と竹中半兵衛が率いているという斎藤の援軍は、今どこに?」
「今日の未の刻 (午後二時)過ぎに土田の渡しから木曽川を越え、烏峰城方面へと向かっているはずだ」
「ならば……今頃は、本隊は既に烏峰城付近まで達しておるであろうな」
佐助の答えを聞いた信繁は、頭の中に烏峰城周りの地図を思い浮かべながら小さく頷く。
すると、正俊が「ふーむ」と唸りながら眉根を寄せた。
「……先に、久々利の方に向かうという可能性は御座らぬか?」
「ふむ……」
正俊の問いかけに、信繁は顎に指を当てて考え込む。
――正俊が口にした“久々利”とは、烏峰城の南に一里ほど離れた場所に聳える小山に築かれ、斎藤方の久々利頼興が守っている久々利城の事である。
この城は現在、信繁たちとは離れて、明知城を経て西進していた馬場美濃守信春が率いる六千の隊によって既に包囲されている。
正俊は、稲葉山城からの援軍が、烏峰城よりも先に、既に武田軍に包囲されている久々利城の救援に向かう可能性を指摘したのだ。
だが、正俊の言葉を聞いた信繁は、少し考えた末に「……いや」と、小さく首を横に振った。
「確かに、安藤軍が大軍であればその可能性も有り得るであろうが、久々利城を囲む我が方の兵と同じ程の兵しかおらぬのであれば、烏峰城より久々利城の救援を優先させる事はまずあるまい」
「烏峰城を我らに落とされれば、即座に兼山湊をも失う事になりますからな」
信繁の言葉に、昌幸も頷く。
「兼山湊から上がってくる関銭(税金)は馬鹿になりませぬ。それを喪う事は何としても避けたいところでございましょう」
「まあ……烏峰城と兼山湊が重要な点は、それだけには限らぬがな」
そう苦笑しながら言った信繁は、西の空にじっと目を凝らしながら言葉を継いだ。
「恐らく……美濃 (馬場信春)の軍を牽制する為の兵は置くだろうが、本隊の大部分はそのまま烏峰城に直行させるだろう」
「なれば……やはり、ここでの野営は取りやめて、このまま急いで進軍し、安藤軍が陣を整える前に叩いた方が宜しいのではないですか?」
信繁の言葉に、正俊が進言する。
だが、それに対して、信繁はきっぱりと頭を振った。
「いや……それは得策ではあるまい。このまま進軍して安藤軍とぶつかったら、確実に夜戦になる。遠目の効かなくなる夜戦になったら、このあたりの地形を良く知る敵の方が圧倒的に有利だ」
「その上、我が方の兵たちは、何日もかけて険しい山道を越えてきたばかりで疲れ切っております。そのような状態で敵と戦っても、満足な戦果は挙げられぬかと……」
「むう、確かに……」
信繁と昌幸の反論に、正俊も納得せざるを得ない。
そんな彼に頷きかけ、信繁は言った。
「……では、当初の予定通り、今日はここで野営する事にする。異論無いな、甚四郎?」
「はっ、無論にござる」
正俊はそう答えると、信繁に向けて軽く会釈する。
信繁は、そんな彼を見て微笑むと、今度は昌幸の方に告げた。
「……昌幸よ。野営の準備が整い次第、軍議を行なう。足軽大将以上の者に集まるよう触れを出せ」
「はっ! 畏まりました!」
元気よく答える昌幸に頷いた信繁は、次いで佐助に目を向ける。
「――佐助。お主は再び兼山に戻り、斎藤の援軍に関する情報を集めてくれ。会敵する前に、詳しい陣構えや兵種の内訳を少しでも把握しておきたい」
「分かった。すぐ向かおう」
信繁の命に、佐助は眉ひとつ動かさずに首肯した。
そんな彼に、信繁は気遣うような顔で詫びる。
「すまぬな。戻って早々のところであるのに、急かしてしまって」
「気にするな」
信繁の詫びの言葉を聞いた佐助は、心動かされた様子も無く、軽く首を横に振った。
「乱破の任務は、主の命に対し、手足の如く忠実に動く事だ。己が手足に労りの言葉はかけぬだろう?」
そう淡々と答えた佐助は、昌幸の方に顔を向ける。
「源五郎、オレが掴んだ限りの兼山周辺の情報を余さず伝える。ちょっと面を貸せ」
「え? 今からか?」
「当たり前だ。オレはすぐに兼山までトンボ返りせねばならんからな」
「そ、そうだが……先ほど頂いた典厩様の御命令を……」
佐助の言葉に、昌幸は逡巡を見せた。
だが、そんな彼に信繁が苦笑しながら頷きかける。
「構わぬ。触れを出すのは使番衆で充分に事足りる務めだ。それよりも、お主が佐助が持ち帰った情報をしっかりと聞いておく事の方がずっと重要だ」
「はっ……」
「何せ――」
信繁は、昌幸を真っ直ぐに見ながら、力強い声で言葉を継いだ。
「此度の戦い、知謀に優れた竹中半兵衛に対する上で、お主の持つ知恵が頼みの綱になるやもしれぬからな。その為にも、お主が敵の様子や兼山周辺の地理を予め知っておく事は肝要だ」
「典厩様……!」
昌幸は、信繁の言葉を聞くや、感激のあまり目を潤ませる。
そして、ずびっと鼻を啜ってから、瞳を煌々と輝かせながら大きく頷いた。
「――畏まりました! この武藤喜兵衛昌幸、典厩様の御期待に沿えるよう、死力を尽くして此度の戦に当たりまする!」
そう嬉々として言い放つと、大げさな素振りで佐助を手招きする。
「来い、佐助! 時間が惜しい! お前が気付いた事、どんな些細な事でも俺に伝えろ、いいな、全てだぞ!」
「だから、初めから『余さず伝える』と言っているだろうが……」
佐助が、張り切る昌幸に辟易しながら、馬に乗る彼の後について行った。
そんなふたりを微笑を浮かべながら見送った信繁は、おもむろに馬首を巡らせる。
そして、橙色に染まった西の空を見据え、その空の下にいるであろう敵軍の存在に思いを馳せるのであった――。




