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美濃と尾張

 それから四半刻ほどの後――、


「やあやあ、皆の衆、ご苦労であった!」


 日が西の空に落ち、とっぷりと夜闇に包まれた崖道に、若い男の陽気な声が響いた。

 彼は、乗って来た馬の背からひらりと飛び降りると、そこかしこに転がっている死体を飛び跳ねるようにして避けながら、襲撃者の元に向かう。

 そして、その猿のような面に薄笑みを浮かべながら、


「で……首尾はどうですかな、又十郎殿?」


 と、まるで釣果を尋ねるような気軽な調子で、覆面の男に声をかけた。


「……藤吉郎」


 そんな猿面の男――木下藤吉郎に内心で激しい嫌悪感と畏れを抱きながら、蜂須賀又十郎は覆面を脱ぎ、足下に向かって顎をしゃくってみせる。


「……見ての通りだ。ほぼ、お前が立てた策の通りに事は運び、琴様は……死んだ」


 彼が顎で示した地面には、泥で汚れた小袖姿の女がうつ伏せに倒れており、泥混じりの赤黒い血だまりが広がっていた。

 藤吉郎は、琴の亡骸を一瞥して小さく頷いたが、又十郎の言葉に引っかかりを感じ、微かに首を傾げる。


「はて、“死んだ”ですか? “殺した”ではなく?」

「……琴様は、オレが手を下す前に、懐剣で喉を貫いて自害した。織田家の娘としての誇りを保ってな」

「はあ、なるほど。“誇り”でございますか」


 又十郎の答えを興味無さげな調子で流した藤吉郎は、彼の左腕に巻かれている血の滲んだ白布を見て、驚いたように目を見開いた。


「おや……? 怪我をなされたのですか?」

「……なに、ほんの浅手だ」


 藤吉郎の問いかけに、又十郎は左腕を庇うように右手で押さえながら答える。


「斬ろうとした時、琴様にやられた」

「ほほう……いわゆる“窮鼠猫を嚙む”というやつですな? ……いや、“(いたち)の最後っ屁”の方がしっくりきますかな? ふふ……」

「……藤吉郎!」


 (のぶなが)の妹である琴に対するあまりに不謹慎……いや、不敬な藤吉郎の物言いがさすがに腹に据えかね、又十郎は髭を震わせて怒鳴った。

 その怒声に、藤吉郎はわざとらしく首を竦めてみせる。


「おお、これは口が滑り申した。お赦し下され」


 口ではそう言うものの、その表情には申し訳ないという感情が欠片も見えない。

 そんなへらへらとした藤吉郎の態度に、又十郎は更に怒気を募らせ、無意識に腰の刀へ手をかける。

 ――と、その時、


「木下様! 又十郎様!」


 配下のひとりが上げた声が、ふたりの耳朶を打った。

 その声に、又十郎はハッと我に返り、刀の柄を握りかけた右手を戻しながら乱暴な声で応える。


「――何だッ?」

「は、ハッ!」


 一歩前へと進み出た配下は、又十郎の剣幕に慄きながら、地面の上に片膝をついた。


「も、申し上げます! れ、例の杣人(そまびと)どもが、おふたりにお目通りしたいと申しておりまして……」

「例の杣人……ああ、琴様たちをこの場所まで誘き寄せてくれた者どもか」


 配下の報告にポンと手を叩いた藤吉郎は、微笑みを浮かべて頷く。


「うむ、良いぞ。連れて参れ」

「は、はっ……」


 配下の男は、藤吉郎の言葉に返事をしながらも、恐る恐る又十郎の顔を窺い見た。

 それに気付いた又十郎は、忌々しげに息を吐きながらぞんざいに首を縦に振る。


「……藤吉郎の言う通りにしろ」

「は、はっ!」


 又十郎の指示を聞いた配下の男は、今度こそ深々と頭を下げると、後ろに振り返って手招きをした。

 その合図に応じて、粗末な身なりをしたふたりの男が、怯えを隠せぬ様子でおずおずと前に出て来る。

 藤吉郎の言う通り、彼らは琴たち一行をここまで道案内してきた杣人たちだった。

 ふたりは、泥道の上に膝をつき、藤吉郎と又十郎に向かって平伏する。


「やあ、ご苦労だったな、お前たちも」


 立ったままでふたりに目を向けた藤吉郎は、上機嫌で言う。


「お前たちの協力が無ければ、某の策はこうも上手くは運ばなかったに違いない。実に助かった。感謝して進ぜようぞ」

「は、ははーっ! 勿体ないお言葉にござります!」


 秀吉の大袈裟な感謝の言葉に、ふたりの杣人は恐縮しながら感激の言葉を述べた。

 そして、恐る恐る顔を上げ、満面の笑みを浮かべた藤吉郎に探るように尋ねる。


「で……お約束の褒美の件は……」

「ん? ――ああ、そうであったな」


 藤吉郎は、杣人の控えめな催促に思わず苦笑しながら、大きく頷いた。


「分かっておるわい。まあ、そう心配するな。この木下藤吉郎秀吉、交わした約束は必ず守るぞ」

「で、では……!」


 杣人たちは、藤吉郎の返事に安堵し、顔を綻ばせる。

 そんなふたりを、相変わらずの無邪気な笑顔で順々に見回しながら、藤吉郎は朗らかに言った。


「では、お前らには、ミノオワリをくれてやろう」

「「……は?」」


 藤吉郎の言葉を聞いた杣人たちは、ポカンと口を開けて絶句する。

 彼らは困惑した様子で顔を見合わせ、それからおずおずと口を開いた。


「お……畏れ入りますが……今なんと仰られましたでしょうか……?」

「ん? 聴こえなかったか?」


 杣人の問いかけに、キョトンとした顔をしながら、藤吉郎は繰り返す。


「お前らにミノオワリをくれてやる――そう申したのだが」

「お、畏れ入りますが!」


 藤吉郎の返事に、杣人は思わず声を上ずらせて叫んだ。


「か、揶揄(からか)っておいでなのですかっ? わ、ワシらのような者に、み、美濃と尾張の二国を下さるとは……?」

「ん? お前らの耳には冗談に聴こえたのか?」


 そう言いながら、藤吉郎は不思議そうに首を傾げてみせる。


「それは心外じゃな。某は、お前らの事を揶揄(からか)っても(たばか)ってもおらぬぞ?」

「で……ですが……いくら何でも国ふたつとは……にわかには信じられませぬ……」

「……なら」


 そう言った瞬間、藤吉郎は杣人たちに向けていた目をスッと細めた。

 そして、それまでの口調とは一変した、氷のような冷たさを湛えた声で静かに言葉を紡ぐ。


「直ちにこの場で与えて進ぜようぞ、お前らへの褒美――」


 そこで一旦口を噤んだ藤吉郎は、ニィと酷薄な薄笑みを浮かべて言葉を続けた。


「そう――“()()()()()”を、な。くくく……」

「がっ……!」

「ぐふっ……!」


 藤吉郎の言葉に驚愕の表情を浮かべる間もなく、ふたりの杣人の口からくぐもった断末魔が漏れる。

 そして、自分の胸から生えた白刃を凝視したまま、前のめりに斃れた。


「ふふ……鎌倉殿 (源頼朝)の逸話を知ってから、一度やってみたいと思うておったのよ。――さて」


 藤吉郎は、傷口から鮮血を噴き出しながらピクピクと痙攣する杣人たちを一瞥すると、先ほど見せた酷薄な薄笑みが嘘のような人懐こい顔で、ポンと手を叩いた。

 そして、険しい顔で杣人の骸を凝視している又十郎に声をかける。


「この者らへの論功行賞も(つつが)なく終えましたから、我々も早々と退散する事にしましょう」

「……」

「……又十郎殿?」

「あ……ああ……そうだな」


 藤吉郎の問いかけに、ようやく我に返った又十郎はぎこちなく頷いた。

 そんな彼の肩を軽く叩いた藤吉郎は、何かを思い出した様子で「あぁ、そうだ」と声を上げる。


「肝心な事を失念しておりました」

「……肝心な事?」

「左様」


 訊き返す又十郎にそう答えた藤吉郎は、泥道に転がる屍に顎をしゃくった。


「この所業を、山賊の仕業に見せかけねばなりませぬ」

「あ、ああ……」

「という事で、馬に積まれた荷駄や櫃は根こそぎ持ち去り、誰も立ち入らない山の奥で打ち棄てましょう。どんなに金目のものでも、売り払おうと考えてはなりませぬ。ひょんな事から足がついては一大事ですからな」

「う、うむ……それは分かった」


 藤吉郎の指示に頷いた又十郎は、つと表情を曇らせ、おずおずと「ところで……」と訊ねる。


「この屍どもは、このままにしておくのか?」

「当たり前でしょう」


 又十郎の問いかけに、藤吉郎はキョトンとした顔をしながら答えた。


「どこの世に、追い剥ぎした屍を懇ろに弔う山賊など居りましょうや? 無論、金になりそうなものは全て剥ぎ取って、後はそのままに――」


 そう言いかけた藤吉郎だったが、ふと何かに気付いたように足下に転がる琴の亡骸を一瞥するや「あぁ……なるほど。そういう意味ですか」と呟く。

 そして、ニヤリと笑みを浮かべながら又十郎の顔を見返した。


「確かに、それだけじゃ足りませんな。さすが又十郎殿」

「は……?」


 又十郎は、藤吉郎の言葉の意味が解らず、当惑の表情を浮かべる。

 そんな彼に、藤吉郎はしたり顔で答えた。


女子(おなご)に飢えた山賊どもが、かような綺麗どころに手を出さぬはずが御座いませんからな。なれば、ちょいと琴様の小袖の(あわせ)をはだけさせて――」

「藤吉郎ッ!」


 又十郎は、激しい怒声を上げ、藤吉郎の言葉を遮り、軽蔑と瞋恚(しんい)に満ちた目で彼の顔を睨みつけた。


「オレは、そのような意味で言った訳では無い! 殿の妹御にあらせられる琴様にこれ以上の狼藉を働くのは止めろ!」

「……ははは、お赦し下され、又十郎殿」


 藤吉郎は、又十郎の剣幕に首を竦めながら、人を食ったような態度で頭を垂れる。


「ほんの戯言に御座りますよ。某とて、殿の御身内に辱めを加えるつもりなど毛頭ありませぬ」

「……ッ!」


 白々しい藤吉郎の言い訳に、「思うてもおらぬ事を申すな!」と一喝しかけた又十郎だったが、


「……とはいえ」


 藤吉郎がぽつりと漏らした一言で、凍りついたように舌が動かなくなった。

 そんな彼をよそに、じろりと散乱する死体たちを睥睨し、最後に琴の亡骸を一瞥した秀吉は、他人事のような口調で言う。


「正直なところ、策に従ったとはいえ、琴様にこれほどまでの狼藉を加えた又十郎殿に某を強く責める筋合いがあるのか……疑問を持たざるを得ませんなぁ」

「……」


 又十郎は、藤吉郎の皮肉に満ちた辛辣な言葉に言い返せず、ただ黙って唇を噛むのだった。

 本編中で木下藤吉郎秀吉が言った「鎌倉殿 (源頼朝)の逸話」とは、長田忠致(おさだただむね)の最期に関するエピソードです。


 尾張の豪族だった忠致は、平氏からの恩賞を得る為、平治の乱に敗れて京から落ち延びる最中だった源義朝を、歓待すると見せかけ招き入れ、湯殿で暗殺します。

 義朝を討った功により忠致は壱岐守に任ぜられますが、彼はそれに対して不満を示し「左馬頭、そうでなくともせめて尾張か美濃の国司にはなって然るべきであるのに」などと申し立て、それが平清盛らの怒りを買って処罰されそうになり、慌てて引き下がったといわれています (平治物語)。


 その後、義朝の嫡男である源頼朝が平家打倒の兵を挙げた際に、味方として加わりました。

 頼朝は、忠致を父親の仇であるにもかかわらず手厚く迎え、「懸命に働いたなら、美濃尾張をやろう」と約束し、その言葉を信じた忠致は目覚ましい働きをします。

 そして、彼の奮闘もあって見事平家を滅ぼした頼朝は、鎌倉で論功行賞を開きました。

 他の部将たちと共に鎌倉へ参上した忠致。

 約束通り、美濃と尾張の地という恩賞を得られると思って期待に打ち震えている忠致に対し、頼朝はこう言い放ちます。


「かねてよりの約束通りのものをやろう。――“身の終わり”を、な」


 ――と。

 因果応報……忠致は『父の仇』として頼朝に処刑され、その遺体は土磔に処されたと伝わっています。


 頼朝が、積年の恨みを込めて放った渾身のダジャレだったというオチですね。

 なろう風に言えば、『ざまあ展開』というヤツでしょうか……。

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― 新着の感想 ―
昔は長田今は木下、ということになりそうですねこの世界だと
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 新年おめでとうございます…とは少々言い難い新年ですね。 何で読んだかは忘れましたが、身内で殺し合うのが源氏だそうで。 平氏には身内で殺し合いが無かったとは言…
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