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城主と処遇

 「さて……」


 苗木城本丸御殿の大広間。

 その上座に腰を下ろした信繁は、目の前で深々と頭を下げている男に視線を向けながら、努めて穏やかな声で言った。


「どうぞ面をお上げ下され、遠山勘太郎殿」

「い、いえ……」


 信繁の声に、苗木城主遠山直廉は、蒼白になった面を深く伏せたまま(かぶり)を振る。


「……如何に我が妻と一部の家臣が(たばか)って起こしたとは申せ、我が城の者どもが武田軍に弓を引いたる事は厳然たる事実。城主として、如何な沙汰も甘んじて受ける所存に御座る。しからば、武田左馬助様に面を上げるなど……」

「……何を勘違いなされておられるのかは知らぬが」


 額を床に擦りつけるようにしながら、悲壮な決意を述べる直廉を前に、辟易しながら信繁は言った。


「元々某は、遠山殿に此度の責を負わせるつもりなど毛頭御座らぬぞ」

「……は?」


 直廉は、キョトンとした声を上げて、平伏したまま上目遣いで信繁の顔を見上げる。

 信繁は、そんな直廉の格好を見て思わず口元が緩むのを必死で堪えながら、努めて厳かな声で言った。


「先ほど、遠山殿ご自身も申しておられたであろう。此度の一戦は、貴殿の奥方である琴殿と、彼女と一緒に尾張から来た親織田派の家臣たちによって引き起こされたものである、と」


 そう言うと、彼は大広間の末席に控えている甲冑姿のつやを一瞥し、言葉を継ぐ。


「――遠山殿は、奥方の謀に嵌められ、病と偽られた上で本丸御殿の自室に軟禁させられていたと、そちらのつや殿から聞き及んでおる。であれば、貴殿はただの被害者に過ぎぬ」

「……」

「――逆に、奥方らが取り押さえられた後に、速やかに苗木衆に停戦と恭順を呼び掛けて頂いたと、当方の将・武藤喜兵衛昌幸と、つや殿に付けていた乱破の佐助が申しておった。その遠山殿の一声が無ければ、我が方と苗木衆の損害は更に増えていたであろうな」


 そう言うと、信繁は口の端を緩めた。


「よって、某には遠山殿を咎めるつもりなど全く無い。むしろ、無駄な血を流す事無く事態を収められた事に対する礼を述べたいところであるぞ」

「は……ははぁっ!」


 信繁の言葉に、直廉は感極まった声を上げながら、更に深く頭を下げる。


「も、勿体なきお言葉に御座ります! 左馬助様のご厚情……この遠山勘太郎直廉、生涯忘れませぬ! 未来永劫武田様へ変わらぬ忠誠を誓う所存に御座る!」

「うむ。そうおっしゃって頂けると、当家も心強い限りだ」


 と、直廉の言葉に深く頷いた信繁は、「なれば……」と言葉を継いだ。


「早速、今後についての話をしよう。……改めて、遠山殿、面を上げよ」

「は、はっ……」


 再度の信繁の言葉に、今度は素直に顔を上げる直廉。

 そんな彼を前に、信繁は顎髭を指で撫でながら言った。


「まず、この苗木城であるが……引き続き、遠山殿に統治をお任せしたい。宜しいな?」

「はっ! もちろんに御座ります! 城を逐われても致し方ないところを、引き続きお任せいただけるとは……!」

「……だが、さすがに今まで通りとはいかぬ。監視……という訳では無いが、在番衆として当家の将を置かせて頂く。……それも異論無いかな?」

「畏まり申した」


 信繁の言葉に、従順に(こうべ)を垂れる直廉。

 それを見て鷹揚に頷いた信繁は、自分の斜め後ろに座る男に目配せしてから言葉を継ぐ。


「では……在番衆は、この秋山伯耆に任せる事とする。異議はあるかな?」

「あ、いえ……」


 信繁の問いかけに、直廉はどこかホッとした表情を浮かべながら首を横に振った。


「異議など御座りませぬ。秋山殿は、以前にも当城に在番なされておりましたゆえ、他の御方よりも気心が知れております。それゆえ、正直こちらとしても願っても無い事に御座ります」

「ハッハッハッ! 勘太郎殿にそうおっしゃって頂けるとは、光栄の至りに御座いますな!」


 直廉の言葉に、秋山虎繁も機嫌よさげに相好を崩す。

 そんなふたりのやり取りを見て満足げに微笑んだ信繁は、再び指の腹で顎髭を撫でながら言った。


「さて……そうなると、伯耆の隊が抜けた分の穴埋めをせねばならぬ。――遠山殿、この苗木の兵をいくらか借り受けたいのだが、宜しいだろうか?」

「はっ、もちろんに御座ります。我が苗木の兵は、武田様の精兵に比べれば練度が劣るやもしれませぬが、存分にお使い下され」

「忝い」


 二つ返事で援軍要請を請け負った直廉の言葉に、信繁は満足げに頷く。

 ……が、すぐにその顔に浮かんだ笑みを消し、やにわに目を鋭くさせた。


「……ところで、遠山殿。もうひとつ良いかな?」

「は、はっ。何でございましょうか?」


 信繁の声色が変わった事に気付いた直廉は、その顔にありありと緊張の色を浮かべながら訊き返す。

 そんな彼の顔を鋭い目で見据えながら、信繁は言葉を継いだ。


「――他でもない。奥方殿の処遇についてだ」

「……っ!」


 信繁の言葉を聞いた瞬間、直廉が言葉を失う。

 彼だけではない。それまで和やかな雰囲気に包まれていた大広間の空気が一気に緊張し、その場に居合わせた虎繁とつやも表情を強張らせた。

 そんな彼の表情の変化をじっと見据えながら、信繁は素知らぬ声色で訊ねる。


「ちなみに……奥方殿は、今いずこに?」

「はっ……」


 直廉は、たちまち額から大量の汗を噴き出しながら、微かに震える声で信繁の問いかけに答えた。


「こ、琴は……二の丸御殿の一室に軟禁しております。……もう覚悟を決めておるのか、特に騒いだり喚いたりする事も無く、落ち着いた様子でいるとの事ですが……」

「……違うな」


 直廉の答えを聞いた信繁は、即座に首を横に振る。

 それを聞いた直廉が、怪訝な表情を浮かべて訊き返した。


「ち……違うとは?」

「奥方殿は、決して『覚悟を決めている』訳では無い」


 信繁は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、吐き捨てるように答える。


「……解っておるのだ。我ら武田家が、織田家の縁者である奥方殿(じぶん)を害する事が出来ないという事を、な」

 在番衆とは、城の守備を行なう役目を担った者たちを指します。

 本文中にある通り、武田家の部将・秋山虎繁は、かつて苗木城に滞在し、在番衆を務めていたといわれています。

 在番衆とはいえ、武田家の臣が遠山氏の居城の守備に就くとは考えづらい為、実際は現代で言うところの駐在武官に近い役割を担っていたのではないかと思われます(当作品では、そのような解釈の元に描写しています)。

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