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奇襲と戦意

 ――与力として武田信繁の側に付き従っていた武藤喜兵衛昌幸。

 秋山虎繁の報告を聞いて苗木城の異心を察知した彼は、すぐさま総大将である信繁と共に策を講じた。


 彼らは、苗木城からの追撃隊を誘き出す為に、あえて軍を西に向けて進めさせた。

 そのさ中、昌幸は行軍中の武田軍から自隊の者たちを、目立たぬように何度かに分けて、道脇の森の中へと離脱させていたのだ。

 本隊から離れてから、日が暮れるまで森の中で息を潜めていた武藤隊の衆と昌幸は、予め決めておいた地点――北から流れてきた付知川が合流する木曽川の南岸――に集まると、事前に金子(きんす)で懐柔しておいた地元の漁師の助けと渡し舟を借りて、夜闇に紛れて木曽川の北岸へと渡ったのだった。

 木曽川の北岸の切り立った崖を登るのに骨が折れたものの、何とか這い上がるようにして登り切った武藤隊は、かねてよりこの地に潜ませていた乱破の先導の元、深い森の中を東に進み、亥の刻 (午後十時)過ぎには苗木城の外郭に到る。


 そして、城兵たちの気が緩む深更を待ってから、一気に北の門を抜け、その先の三の丸門から城内へと侵入したのだ。

 なぜ、武藤衆がすんなりと北の門と三の丸門を通り抜けられたのかというと、その日の昼間に、城内に仕込んでおいたひとりの乱破が門番たちを瞬時に昏倒させた上で、内側から門の閂を外したからだ。

 それによって、何の抵抗も受けずに三の丸の内へ入った武藤衆の数は、僅か二百余りの小勢。

 その上、木曽川沿岸の崖を登る為に馬を捨ててきたので、先駆けの十数騎以外は徒歩だったが、その士気はこの上なく軒昂である。

 対して、苗木城兵たちは、真夜中過ぎですっかり油断していた上に、昼間に行われた城主遠山直廉と武田軍の軍使・秋山虎繁との会談によって友好的な関係を結べたものと思っていた武田軍に攻め込まれるとは露とも思ってもいなかった。

 その為、三の丸の中に雪崩れ込むように入ってきた武藤衆を前にして瞬く間に恐慌を来し、混乱を極めて指揮系統が麻痺し、とても応戦するどころでは無くなってしまったのだった。


 三の丸に押し寄せた武藤衆は、狼狽しつつも応戦しようとする苗木兵に対し、「おとなしく得物を捨てよ」「得物を捨てれば殺しはせぬ」と声をかけた。

 周囲の混迷する味方の姿を見て不利を悟り、武藤衆の言葉におとなしく応じる苗木城兵が少なくなかったものの、中には頑強に抗戦しようとする者も居た。だが、そのような兵は、武藤衆の巧みな連係によって散り散りにされた上で悉く討ち取られる。

 武藤衆は、僅か四半刻にも満たぬ間に苗木城の三の丸を完全に制圧し、その勢いのまま、城の中枢部である二の丸と三の丸を隔てる大門へと攻め寄せるのだった――。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「ええい! 一体、何がどうなっておるのですかっ?」


 本丸御殿の寝所で、三の丸で起こった異変の報せを受けた遠山直廉の正室・琴は、苛立ちと焦燥を露わにした険しい声で叫んだ。


「は、はっ……」


 刺すように鋭い琴の視線を受けた年若い兵は、鉢巻を巻いた額に冷や汗を浮かべながら、上ずった声で応える。


「た、武田軍の奇襲に御座りまする! 城内の何者かが武田方と通じておったようで……秘かに三の丸門の閂を外し、敵を城内に引き入れたようで……」

「何者とは何処の誰なのか! 即刻探し出して、首を刎ねなさいっ!」

「も……もちろん、不埒者は赦してはおけませぬ! 必ずや、その報いを受けさせるべきだと存じますが……い、今はそれどころでは――」

「だ、第一、城内の者とも限りませぬ」


 若年の兵に続けて、白髯を蓄えた壮年の兵が口を開いた。


「甲斐の武田は、草の者を扱う事に長けておると聞き及びます。もしや、此度の事も、武田が城内に潜ませた草の者の手によるものやも……」

「え、ええい! もう良いわ!」


 兵たちの言葉に更に怒気を募らせながら、琴は癇癪を起こしたように金切り声で怒鳴る。

 そして、頻りに親指の爪を噛む仕草を見せながら、兵たちに神経質な声で尋ねた。


「で、敵――武田方は、今どこまで?」

「げ、現在は、二の丸の大門で、何とか食い止めている状況です。敵は決して多勢ではない模様ですが、その戦意は頗る高く……」

「対して当方は――完全に不意を衝かれた形で……その……」

「……このままでは、大門を破られるのも時間の問題だと?」

「「……」」


低い声で訊ねる琴に対し、ふたりの兵は言葉に詰まって黙り込む。だが、その反応が、彼らの答えを如実に示していた。

 それを悟った琴は、更にきつく親指の爪を噛みながら、その美しい(かんばせ)をこれ以上なく顰め、ふたりの兵は怯えた表情を浮かべて、縮こまった背を更に小さく丸める。

 ……と、


「……そうだ」


 彼女は、ふと何かに思い当たった様子で目を見開いた。

 そして、這い蹲うふたりの兵を鋭く見据えながら、低い声で確認する。


「ならば、二の丸御殿はまだ無事なのですね?」

「は……はっ」


 琴の問いかけに、壮年の兵がぎこちなく首肯した。


「い、未だ大門は持ち堪えて居りますゆえ、恐らくは……」

「そうですか……」


 兵の答えを聞いた琴は、顎に指を当て、少しの間思案する。

 そして、


「――善し」


 と短く呟くと、ふたりに向かって簡潔に命じた。


「では、お前たちは今すぐ二の丸に下り、客間に居る()()()()をここまで連れてきなさい」

「あ……あの御方……?」


 琴の指示を聞いた若年の兵は、当惑した様子で訊き返す。


「お……奥方様。畏れ入りますが、あ、“あの御方”とは一体どなたの事で――?」

「決まっておりましょう」


 若年の兵の顔を冷たい目で一瞥した琴は、ニヤリと薄笑んだ。


「我が叔母上……いえ、織田家に対する()()()()である景任()の奥方――つや殿ですよ」

「「……っ?」」


 冷徹な琴の言葉に底知れぬ憎悪が含まれているのを感じ取ったふたりの兵は、恐怖で言葉を失うのだった。

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