斎藤と織田
信玄と義信にしばしの別れを告げた信繁は、本丸御殿を出た後、二の丸の前まで徒歩で移動した。
二の丸と三の丸を隔てる御門を潜り抜けた彼に、若々しい声がかけられる。
「典厩様!」
「うむ」
門前に立って、二頭の馬の馬銜を掴みながら顔を輝かせる甲冑姿の若い男に、信繁は大きく頷いてみせた。
「つい、お屋形様たちと話し込んでしまって遅くなった。済まぬな」
「いえ! 滅相も御座いませぬ!」
信繁に謝られた、彼の与力である武藤喜兵衛昌幸は、慌てて頭を振る。
「むしろ、せっかくのご兄弟水入らず、もっとごゆるりとして頂いても一向に構いませぬぞ。拙者はいくらでもお待ちいたしますから」
「ははは。そう言ってくれるのは有難いが、お主が良くても、他の衆はそうもいくまい」
昌幸の言葉に、信繁は苦笑した。
そして、今しがた辞去した本丸の方を振り返って、「それに……」と言葉を継ぐ。
「何も、これが今生の別れという訳でも無いしな。水入らずの続きは、躑躅ヶ崎に戻ってからの楽しみに取っておくさ」
「それも宜しゅうございますな」
信繁の答えに、昌幸は微笑みながら頷いた。
そんな彼に頷き返した信繁は、昌幸から黒鹿毛の駿馬の手綱を受け取ると、鐙に足をかけてひらりと乗る。
「では、参るとするか」
「はっ!」
彼に続いて騎乗した昌幸に声をかけ、元気な返事を聞いた信繁は、馬の腹を軽く蹴って三の丸をゆるゆると進み始める。
侍屋敷が立ち並ぶ大通りを馬で進みながら、信繁は隣の昌幸に訊ねた。
「出陣の準備は抜かりないか?」
「ハッ、もちろんに御座りまする!」
信繁の問いかけに、昌幸は力強く頷く。
「既に、先発の秋山 (伯耆守虎繁)様は、今朝の早暁に美濃へ向かっておられますし、馬場 (美濃守信春)様と四郎 (諏訪勝頼)様をはじめとした皆々様方も、既に準備を整えて大手門に控えていらっしゃいます。いつでも出立できます!」
「そうか」
きびきびとした昌幸の報告に、信繁は満足げに頷き返した。
と、そんな信繁に、昌幸がおずおずと訊ねる。
「ところで典厩様……」
「ん?」
「此度の戦は、どのくらいかかるのでしょうか……?」
「なんだ、昌幸」
昌幸の問いに、信繁はニヤリと微笑った。
「もう奥方殿が恋しくなったのか?」
「そ……そういう意味ではございませぬッ!」
からかい混じりの信繁の声に、昌幸はたちまち頬を真っ赤に染めて、激しく頭を振る。
――武藤昌幸は、先年の永禄七年に、同じ武田家の臣である遠山右馬助の娘を娶っていた。その事から、信繁は昌幸に里心が付いたのではないかと揶揄ったのだ。
信繁は、日頃冷静な昌幸が見せた狼狽する様子に、思わず吹き出す。
「はははは……。分かっておる。戯れで言ってみただけだ。赦せよ」
「あ、いえ……拙者も些か取り乱しました。申し訳ございませぬ」
信繁の謝罪に、昌幸は慌てて頭を下げた。
そんな彼の横顔を優しい目で見た信繁は、口髭を指で撫でながら考え込む。
「どのくらいかかるか、か……。それは、向こうの出方次第だな」
「向こう……美濃の斎藤ですね」
「もちろん、そちらもだが……」
昌幸の言葉に首肯しつつ、信繁は更に言葉を継いだ。
「尾張の織田もだ。……ある意味、そちらがどう動くかの方が、斎藤の動きよりもずっと重要だ」
「そうでございましたな……」
信繁の言葉を聞いて、昌幸はハッとした表情を浮かべ、頭の中に美濃と尾張と三河の勢力図を思い浮かべながら、緊張を孕んだ声を漏らす。
「今次の美濃攻めは、東濃に我らの足掛かりを作る事のみが目的ではなく、尾張の織田への牽制も兼ねているのでしたね……」
「ああ、そうだ」
昌幸の呟きに、信繁は満足げな微笑を浮かべると、晴れ渡った空を見上げながら言葉を継いだ。
「我々が美濃に攻め込む事で、我らと同様に美濃を狙い、先年には小牧山に移った上で、要衝である犬山 (犬山城・現在の愛知県犬山市)を攻略した織田信長に圧力をかける事になる」
「……そして、織田が美濃に進む我らに対抗、もしくは妨害しようと兵を向ければ、同盟を結んでいる三河の松平に送る兵の余裕は無くなる――という事ですね」
「うむ」
信繁は、昌幸の言葉に小さく頷くと、ニヤリと微笑った。
「三河と美濃……お屋形様が織田に仕掛けた二者択一の計だ」
せっかく着々と進めてきた美濃攻略の道のりを妨げ、ひいては横から掠め取ろうとする武田に対抗して兵を美濃に向けるか、武田の援軍を得て旧領奪回を期す今川軍の脅威に晒されている、盟友の三河松平に援軍を送るか……織田信長は、選択を迫られる事になる。
現状の織田家は、ようやく尾張を統一したばかりで、二方面に分けられるほどの兵力は無い。それを無理やり二手に分けたとしても、それぞれが数千程度にしかならないだろう。
その程度の戦力であれば、然程の脅威にはならない。もし、織田が兵を二つに分けたとしても、その時は三河と美濃で各個撃破すれば良い。
「……とはいえ、織田信長も、久しく乱れていた尾張を統一した程の男です。そのような事が解らぬほどのうつけでは無いかと」
「そうだろうな」
昌幸の言葉に、信繁は深く頷いた。
「それに、織田には、あの男もいるしな……」
そう呟いた彼の脳裏に、昨年顔を合わせたひとりの男の姿が浮かぶ。
まるで猿のような顔をした剽軽な――それでいて、その奥に底知れない狡猾さを隠した不気味な男――織田家足軽組頭・木下藤吉郎秀吉。
「……」
信繁は、信玄の陣代として謁見した際の藤吉郎の目に宿った油断のならない光を思い出しながら、今一度気持ちを引き締めるのだった。
真田昌幸(作中では武藤昌幸)の妻である山手殿 (寒松院)の出自については、菊亭晴季の娘説・宇多頼忠の娘説・正親町正彦の娘説など、様々な説が存在します。
大河ドラマ『真田丸』では、菊亭晴季の娘を自称しているという設定でした (実際は侍女)。
公家の娘や縁者という説が多いようですが、甲斐・信濃を治める日本屈指の強豪とはいえ、当時は一守護大名でしかない武田家の被官でしかない武藤昌幸に公家の娘が嫁ぐとはなかなか考えづらいところです。
よって、当作品では、芝辻俊六氏が唱えた、武田家家臣で騎馬10騎、足軽30人持の足軽大将・遠山右馬助の娘説を取りました。
山手殿は、永禄九年(西暦1566年)に嫡男信之、永禄十年(西暦1567年)に次男信繁 (幸村)を生みますが、実はその前の永禄八年 (西暦1565年)に長女である村松殿を生んでいます。
……という事は、本作のこの時点で既に彼女は妊娠していたという事です。
昌幸……信繁には強がってましたが、本当は戦なんて放り出して、一刻も早く甲斐に帰りたいのかもしれませんね……(笑)。