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去就と三方

 「そ……」


 つやの言葉に唖然とした直廉は、忙しげに舌で唇を湿らせながら、おずおずと問いかけた。


「それは……真意を問うとは……一体、何の――?」

「敢えて言うまでも無いかと思いましたが」


 動揺を隠せない直廉とは対照的に、真っ直ぐに義弟の事を見据えたつやは、凛とした声で答える。


「私が秋山様と共にこの場に罷り越したのは、此度の件について、貴方がた苗木遠山家がどの様にお考えなのかを確かめる為です」


 そう言うと、彼女は直廉の斜め後ろに控えている琴の顔をチラリと見た。

 琴は、先ほど僅かに見せた動揺が嘘のように、無表情で僅かに目を伏せている。

 その顔からは、彼女が今何を考えているのか窺い知る事は出来なかった。

 と、


「えー……」


 それまでつやと直廉のやり取りを静観していた虎繁が、そこで声を上げた。

 彼は、口の端に穏やかな笑みを浮かべながら、直廉と琴に問いかける。


「つや殿と同様、我ら武田家にとっても、勘太郎殿の去就は大いに気になるところでしてな。出来れば、本格的に西へと押し出す前に確たるお答えを伺いたいところで御座ります」

「う……」

「単刀直入にお伺いするが……」


 虎繁はそこで一旦言葉を切ると、僅かに目を細めて直廉夫妻を見据えた。

 そして、それまでよりも低くした声で、言葉を続ける。


「――勘太郎殿……いや、苗木遠山家は、武田と織田のどちらをお選びになるのですか?」

「――ッ!」


 虎繁の言葉を聞いた直廉の顔から、血の気が引いた。

 虎繁の言葉はただの問いかけではなく、明らかな恫喝であった。

 返事如何によっては、木曽川河畔に集結している武田軍が、ただちに攻城軍として苗木城を攻め上らんとするであろう事は火を見るよりも明らかだ。

 だが……。


「た、武田……織田……ど、どちらか……」


 未だに織田と武田のどちらにつくかを決めかねていた直廉は、先延ばしにしていた結論をすぐに出さねばならぬ局面に陥り、口元を微かに戦慄かせながら逡巡する。

 もちろん、直廉も、虎繁から自分たちの立ち位置を確かめられる可能性は予測していた。

 だが……正直、もう少し真綿に包んだ物言いで来ると思っていたのに、予想以上にはっきりと問い質された事で、直廉はすっかり虚を衝かれた状況である。


「そ、それは……その……」


 彼は、激しく狼狽しながら、視線を中空に忙しく彷徨わせる。

 ――と、その時、


「秋山殿」


 彼の背後から、落ち着いた声が上がった。

 その声を聞くや、ハッとした表情を浮かべ、直廉は慌てて振り返る。

 虎繁とつやも、口元を引き締め、声の上がった方に目を向けた。

 三人の視線が、声の主――琴へと集まる。だが、彼女は狼狽える事無く、それどころか口元に穏やかな微笑みすら湛えながら、虎繁に向かって口を開く。


「そのお問いかけは、些か狡うございます」

「ほう……」


 物怖じしない琴の言葉に、虎繁は感嘆混じりの声を漏らし、不敵な薄笑みを浮かべながら問い返した。


「はて……狡いとは、どのあたりがですかな?」

「ふ……決まっておりましょう」


 とぼける虎繁に皮肉げな薄笑みを向けた琴は、扇で襖の向こうを指しながら言葉を継ぐ。


「城の麓に斯様な大軍を控えさせた上で、我らに真意を問おうとは……。いわば、喉元に刃を突きつけられて同意を求められたら、答えはひとつしか出来ぬではありませぬか」

「ふ……」


 挑発的な琴の言葉に、虎繁は苦笑を浮かべる。

 そして、口髭を指で撫でながら、琴に言った。


「確かに、奥方殿の仰る通りで御座る。本来なら、我々もこのような強硬な手は使いたくないところなのだが、如何せん我らには悠長に説得する(いとま)が無う御座ってな……」

「……」


 虎繁の言葉に、琴は元の無表情に戻り、冷たい瞳で彼の事を見据える。

 ――と、虎繁はフッと相好を崩した。


「……とはいえ、我らも手ぶらで来た訳では御座らぬ」


 そう言うと、彼は廊下の方に向かって手を打ち合わせる。

 すると、微かな音を立てて開いた襖の間から、三方を捧げ持った武田家の兵たちが、一礼をしながら広間へと入ってきた。

 彼らの持つ三方の上には白い絹布がかけられており、こんもりと盛り上がっている。

 兵たちは、直廉たちの前に三方を置くと、再び一礼して広間から去っていった。

 目の前に並べられた三方を見回しながら、直廉は当惑顔で虎繁に訊ねる。


「こ、これは……?」

「どうぞ、お(あらた)め下さい」


 虎繁は、直廉の問いに直接答えることはせず、それだけ言うと、かけられていた絹布を取り払った。

 絹布の下に隠れていたものを目の当たりにした直廉は、思わず目を見張る。


「こ! これは……ッ!」


 驚愕する彼の目に映ったのは、眩い光を放つ夥しい数の金の粒だった。


「き、金の銭……?」

「甲州金に御座る」


 声を上ずらせる直廉に、虎繁はニヤリと微笑んで答える。

 それを聞いた直廉は、ハッとした顔をして三方の上で輝く金粒の山を見下ろした。


「これが……武田様の領内で使われているという甲州金……!」

「左様」


 直廉の呟きに頷いた虎繁は、鎧直垂の袷から一通の折紙を取り出し、彼に手渡す。


「もちろん、この場に持ち寄ったのは、ほんの一部に御座る。詳しい目録は、こちらにてご確認下され」

「こ、こんなに……?」


 虎繁から手渡された折紙を開き、ざっと中に目を通した直廉は、そこに記された進物の量の多さに驚きの声を上げた。

 そんな彼をチラリと見た虎繁は、もう一方の三方にかかった絹布の端を摘まみながら、今度は琴に顔を向ける。

 そして、一気に絹布を取り払いながら言った。


「そしてこれは、武田左馬助様から奥方様と……ご息女の龍姫への御進物に御座います」

「……」


 虎繁が取り去った絹布の下から現れたのは、色鮮やかな反物の山で、それを見た琴の片眉が、ピクリと上がる。

 そんな彼女の反応に、虎繁は僅かに口元を上げ、自信に満ちた眼差しを向けた。


「……御覧の通り、これが貴殿ら苗木遠山家へ示す、我ら武田家の気持ちに御座る」


 ふたりを見据える虎繁の目が、一段と鋭くなる。


「それを踏まえて、今一度お答え頂きたい。――貴殿らは、武田と織田のどちらにつくおつもりか?」

 甲州金は、戦国時代の甲斐国などで流通していた金貨です。

 起源は不明ですが、都留郡を除いた甲斐国内で広く使われており、一説では日本で初めて体系的に整備された貨幣制度であると言われています。

 原料となる金は、甲斐国内の黒川金山や湯之奥金山などで採掘・精錬されたものが用いられました。

 甲州金には、碁石金・太鼓判・板金などの種類があり、様々な用途で用いられたと言われています。

 武田信玄は、戦に向かう際は碁石金を持っていかせ、家臣が手柄を上げた際には、手で掬った碁石金をその場で褒美として与えていたようです。


 甲州金は、武田家滅亡後も使われ続け、元禄9年(1696年)に一時通用停止させられたものの、江戸時代を通して流通していましたが、明治4年 (西暦1871年)の新価条例施工に伴って廃止され、その役目を終えました。

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