宿泊と屋敷
しんしんと降る雪の中、出迎えた曽根昌世らと共に静まり返った甲府の大路を進んできた信繁一行は、浅い堀と高い板塀で四方を囲まれた立派な侍屋敷の門前で馬を止めた。
「久方ぶりに帰ってきたな……」
馬上の信繁は、屋根にうっすらと雪が積もった門構えを見上げながら、小さく呟く。
九月の出陣以来、約三ヶ月ぶりに帰ってきた自邸を前にして、感慨を隠せない様子だった。
「――典厩様」
そんな信繁におずおずと声をかけたのは、曽根昌世である。
「それでは……我らはここまでで」
「うむ。雪の中、わざわざ大儀であった」
昌世たちに向けて小さく頷いた信繁は、穏やかな顔で労りの声をかけた。
彼の言葉に対して、昌世は「いえいえ」と小さく首を横に振る。
「これしきの事、美濃における典厩様たちの御働きに比べれば、何の事はありませぬ」
昌世はそう答えると、改まった様子で信繁に向かって深々と頭を下げた。
「――本当に、お疲れ様に御座いました。今宵は、ごゆるりと長旅の疲れをお癒し下され」
そう信繁を労った昌世は、後ろを振り返り、彼らの後について来ていた者たちへ向かって声をかける。
「――竹中半兵衛殿、仙石新八郎殿。おふたりの御身柄は、これより我らが預かる」
「はい」
「はっ!」
昌世の呼びかけに、竹中半兵衛と仙谷久勝が小さく頷いた。
そんなふたりの顔をじっと見据えながら、昌世は言葉を継ぐ。
「今宵は、竹中殿と奥方が某の屋敷、仙石殿は金丸平八郎の屋敷にお泊り頂く。宜しいな?」
「……っ」
昌世の指示を聞いた久勝が、僅かに表情を強張らせた。自分と半兵衛が別々の屋敷に分けられると知って、やにわに不安を覚えたのである。
何せ、ふたりはまだ“斎藤家の降将”という立場だ。わざわざふたりを別々に収容しようとするのは、武田家側がまだふたりの事を完全には信用していない証なのではないか――と、久勝は連想したのである。
不安になった彼は、迷うように横目で隣の半兵衛の顔を窺った。
「……」
そんな彼の表情の変化に目ざとく気付いた信繁が、僅かに眉を顰める。
一方の半兵衛は、昌世の指示に対して驚くような素振りも見せず、もう一度頷いた。
「畏まりました。そちらの御指示のままに」
「結構」
半兵衛の返事に短く応えた昌世は、次に久勝の方へ目を向ける。
「……仙石殿はどうかな?」
「…………相分かり申した」
昌世の問いかけに躊躇を見せた久勝だったが、半兵衛があっさりと応諾したのを見て、諦め顔で首を縦に振った。
それを見た昌世が「では……」と目配せする。
すると、それまで後ろに控えていた金丸平八郎が久勝の前に進み出た。
彼は、不安と警戒がない交ぜになった表情を浮かべている久勝に向けてニカッと笑いかける。
「お初にお目にかかる、仙石殿! 拙者が金丸平八郎に御座る! これより我が屋敷にご案内仕ります!」
「……仙石新八郎久勝に御座る。今宵は世話になり申す」
人懐こい平八郎の笑顔に、久勝はやや表情を和らげ、おずおずと頭を下げた。
そんな彼に、平八郎は親しげに語りかける。
「いやはや、拙者が平八郎で、貴殿が新八郎殿。偶然とはいえ、親近感を覚えますな」
「はは……言われてみれば、確かにそうですな」
「見たところ、随分とお若い……失礼かもしれぬが、お年を伺っても宜しいかな?」
「はっ……今年で十四に御座る」
「十四! これは驚いた!」
久勝の答えを聞いた平八郎は、大袈裟なくらいに身を仰け反らせてみせた。
「その若さで一隊を任せられておったとは……! 拙者など、十四の頃は、まだ前髪も落としておらなんだ。初陣も皆より遅くて、十七でしたぞ。……まあ、それがよりにもよって、あの八幡原での大戦でしてな。越後勢の猛攻を受けて、危うく初陣で討ち死にするところでした。ははは……」
「おお、あの名高い八幡原の合戦に……! そのお話、詳しくお聞きしたいところです」
気さくな平八郎の言葉に、久勝も緊張がほぐれた様子で目を輝かせる。
平八郎も、満面の笑みを浮かべながら「畏まった! では、夕餉の際にでも、篤とお話いたそう!」と快活に応じた。
「……」
ふたりのやり取りを見ながら僅かに口元を綻ばせた信繁は、「ごほん」と咳払いをしてから口を開く。
「……では、任せたぞ、孫次郎、平八郎」
「「はっ!」」
信繁の声に、昌世と平八郎が背筋を伸ばして頭を下げた。
彼は次に、半兵衛と久勝の方に目を向ける。
「半兵衛、新八郎。美濃からここまで、長旅ご苦労であった。今宵はゆっくりと寛いで、旅の疲れを癒すが良い」
「はっ」
「はい」
半兵衛と久勝は、信繁の言葉に表情を和らげた。
そんなふたりに微笑みかけながら、信繁は更に言葉を継ぐ。
「……改めて、ふたりとも、よくぞ当家に参られた。甲斐武田家の一員として、お主らを心より歓迎しよう」
「……!」
「ありがとうございます」
「当家の一層の発展の為、お主らの力を貸してくれ。――当てにしておるぞ」
「典厩様……!」
「……畏まりました」
信繁の温かい言葉に、久勝は感激で目を潤ませ、半兵衛はその口元を綻ばせながら、深く頭を下げた。
「もちろんに御座ります! この仙石新八郎久勝、典厩様の御恩に報いる事が出来るよう、粉骨砕身して武田家にお仕えいたします!」
「微力ながら、私も武田家の為、力を尽くさせて頂く所存に御座います」
「ああ」
ふたりの頼もしい返事を聞いて満足げに口角を上げた信繁は、彼らに期待を込めた眼差しを向けながら、大きく頷いたのだった。




