婚約破棄を代理ですることになりました
「『マリィ・ティロル。お前との婚約を破棄する……!』」
ここは卒業パーティの会場。
華やかさとお祝いムードに満ちた場で――あまりに空気の読めない発言をしているのは、僕。
周囲の視線は僕に集まった。
そして、誰もが頭に疑問符を携えている。
「はい……?」
それは僕に『婚約破棄』をされた伯爵令嬢も同様だった。
彼女の名前は、マリィ様。
僕の顔を見て、おっとりと首を傾げている。黄昏をたっぷりとまとったような、美しいハニーブロンドの髪が肩から零れた。透き通った春の泉のような瞳を大きく見開いている。
彼女がまず抱いた疑問も、周囲が抱いた疑問も、きっと同じだったはずだ。
すなわち――『この男、誰?』と。
きらびやかな令息と令嬢に囲まれて、僕はあまりに場違いな地味な男だった。
身にまとうのは執事服。焦げ茶色の髪と目は、素朴な雰囲気だとよく言われる。
僕はあまりのいたたまれなさに、冷や汗をかきながら、言葉を付け足した。
「…………と、私の主人である、ジュール・ミュッセ様が申されていました」
「えっと……?」
マリィ様は、おっとりとした眼差しで僕を見つめている。
「あなたは、ジュール様の従者のロイクさんでしたよね」
何と!
彼女の桜色の唇から、僕の名が紡がれる日が来るとは!
彼女の形のいい頭の中に、僕の名前が記憶されていようとは!
これはとんでもなく名誉なことである。僕は心の中でむせび泣きながらも、表面上は冷静に話を進めようとしていた。
「はい。従者のロイクです。このような祝いの場では大変不躾であることは承知しているのですが……ジュール様がどうしても今日告げてこいと……」
「はあ……」
「それで、その……ジュール様の代理で、婚約破棄をしに来ました」
マリィ様は華奢で小柄な体格をされていて、例えるなら小動物のようなご令嬢だった。
「……まあ」
彼女はまるでリスのように、目をまん丸くするのだった。
事の発端は、パーティが開催される前のこと。
僕の主人であるジュール様は、控室でぶつぶつと言いながら支度をしていた。どうやら、パーティに乗り気ではないらしい。
僕の名はロイク。ジュール様の従者だ。彼とは同い年で、乳兄弟だった。
ジュール様は態度こそ高慢ではあるが、小心者で人見知り体質だ。そのため、僕以外の従者をそばに置きたがらない。
僕がどれだけへっぽこで、間抜けなドジを踏もうとも。たとえば、屋敷のツボをうっかり壊したり、婚約者への手紙を届ける前にうっかりと紛失してしまったりしようとも。
その日、僕はまたやらかした。
ジュール様にお茶を運ぶ途中で、うっかりと転んで、それを彼にひっかけてしまったのだ。パーティ用のタキシードには大きくシミがついた。 しかし、その日のジュール様は珍しく、僕のドジに目くじらを立てなかった。
「おお、見ろ、ロイク! 俺の衣装は台無しだ!」
「ああ、すみません、すみません……!」
「これで卒業パーティには出席しなくてよくなった……あ、いや、欠席するしかないようだな!」
と、ジュール様はむしろ晴れ晴れとした顔で告げる。
「いつもお前のドジにはうんざりしているが、今日ばかりはよくやったと褒めてやろうではないか」
「わぁ~ありがとうございます!」
「皮肉も混ぜているんだ……いや、愚鈍なお前には、そんな高度なことは理解できないか。ところで、この高価な衣装を汚したとあっては、お前は父上にきつく叱られるだろうな」
「そんな……」
ジュール様の父上――つまり、子爵家の現当主。彼はジュール様を更に高慢で塗りたくったかのような人で、金にがめつい。
間違いなく僕は叱られるし、弁償代も五割り増しくらいで請求されるだろう。
「だが……もし、お前が俺の頼みを聞いてくれるというのなら、この衣装は俺が汚したということで、父上に報告してやってもよいのだぞ?」
「ジュール様、今日はどうしたんですか? そんなに寛大なことを……まさか、変なものでも飲みました?」
「紅茶を飲んだのは俺の服の方だ。それで、ロイク。頼みというのは他でもない。お前、俺の代わりに、マリィに婚約破棄を告げてきてくれないか」
「は……はい!?」
想像の遥か先をいく頼みごとに、僕はぎょっとする。
「本来なら俺が自分で言うつもりだったのだが……仕方ない。もうパーティは始まる時間だ。そして、格式のあるパーティに、こんな格好で参加するわけにはいかないだろう」
格式のあるパーティを、空気の読めない婚約破棄で白けさせてしまうことはいいんですかねえ……。
『仕方ない』と口では言いつつ、ジュール様はにやにやとしている。
この人は小心者だから、自分で言いに行くのが嫌だっただけだろうな……。
「そんなこと、僕にはとてもできませんよ!」
「ほう……それならいいのだな? 服の弁償代と、卒業パーティを欠席することになる慰謝料も上乗せでな」
「うぐ……! でも。婚約破棄って何をしたらいいんですか?」
「確かにお前は、おっちょこちょいな上に機転も利かないからな……。わかった。言うべき台詞はすべて教えておく。お前はそれを口にするだけでいい。それくらいなら、馬鹿なお前にもできるだろう?」
「はあ……」
「まず、お前はマリィを指さしながら、大きな声でこう告げるのだ。『マリィ・ティロル。お前との婚約を破棄する……!』」
「ちょっと待ってください。メモします」
「メモしないと、これくらいの台詞も覚えられないのか……。まあ、いい。次の台詞はこうだ。『俺は真実の愛を見つけた。マリィとの婚約は両家が取り決めたもの。それは金絡みの結婚だ。しかし、そんな結婚は御免だ』そこで髪をかきあげ、髪をなびかせながら、こう言うのだ。『俺は愛のために生きる』お、なかなかかっこいい台詞じゃないか、これは?」
「えーっと、お前との婚約を、はき、する……と」
「まだ始めの台詞をメモしているのか!? 早くしろ!」
「すみません」
僕はジュール様に急かされて、メモ帳に慌てて続きを書いた。しかし、ジュール様の台詞が早いので、書きとれたのは断片的な言葉だけだった。
「婚約破棄をすることで、マリィは泣き喚くだろう。その姿を見たら、お前はあざ笑い、こう言ってやるがいい。『ふん、今さら俺にすがったところでもう遅いのだぞ』と」
「ええー……それはちょっと……。人としてどうなんですかねえ」
「ではこうしよう。いくら泣きすがられようと、お前は無視をすればいい」
なるほど。
僕は忘れっぽいので、台詞だけでなくて、どうやって行動すればいいかも書いておかなくちゃ。「泣きすがられようと……」とメモをしていると、更にジュール様は話を続けた。
「ところで、マリィは俺が見つけた『真実の愛の相手』が誰なのか、気になることだろう。俺は何も悪いことはしていないのだから、彼女の名前は告げてしまってもいいぞ。男爵家のアネット嬢だ」
「男爵家となると伯爵家より身分が低くなりますが……ジュール様のお父様は許してくれているのでしょうか」
「無論だ。父にはすでに話を通している」
彼は自信満々に頷く。
僕はそのことも一応メモしておこうと思って、「アドルフ・ミュッセ様(ジュール様のお父様の名前)」と書いた。しかし、それ以上をメモする前に、話が先に進んでしまった。
「きっと、そこでマリィは『なぜ、私ではなく彼女を選んだの……?』ということを気にするに違いない。お前はこう告げるのだ。『比較にもならない。伯爵令嬢という立場でありながら、お前はいつも地味な格好ばかりではないか。その点、俺の新しい婚約者はいつも美しく、華やかなドレス姿を披露して、俺を癒してくれるのだ』」
「なるほど」
僕はその台詞もしっかりとメモをする。
「まあ、これで大筋は問題ないだろうな」
いや、問題しかないような気がするんですけど……。
「ミュッセ家は伯爵家に借金がありましたよね。そちらの清算は大丈夫なのでしょうか」
「借金なら大方返し終わっていると聞いている。残りは1万Gほどか。それくらいのはした金は、手切れ金代わりにくれてやろう」
「わかりました。お金について聞かれたら、そう答えておきます。でも、ジュール様。今日は卒業パーティなんですよ? 皆、今日という日を楽しみにしてきたと思うんです。そのような場を壊してしまうことになっても、本当にいいんですか?」
「何を言っているのだ。卒業パーティでの婚約破棄は定番なのだぞ」
「そうなんですか……?」
「俺も、一度はやってみたかったのだ。マリィの憔悴しきった顔を想像すると、笑いが止まらない」
はい。僕の主人は下種野郎でした。
「でも、パーティで騒ぎを起こしたら、ジュール様のお父様にもお叱りを受けるのでは……?」
「父には話を通している。パーティのいい余興になると、父も楽しみにしていた」
はい。親子そろっての下種野郎でした。
「しかし、父はドレス代のことを嘆いていたな……。パーティでは婚約者のドレス代は、男持ちになるだろう? どうせ婚約破棄をするのなら、今日のマリィのドレス代は払い損ではないかと、その点だけは叱られたよ」
はい。性格に強突張りもプラスしておきましょう。
「とにかく、婚約破棄はお前に任せた。きちんと俺が教えた通りのことを言ってくるのだぞ」
「わかりました」
もうどうにでもなれ。
という境地で、僕は答えるのだった。
◇
そして、卒業パーティの会場にて。
僕はジュール様に言われた通りに婚約破棄を始めていた。
「ジュール様より言付けを預かっておりますので、述べさせていただきます。まず、マリィ様との婚約破棄をする経緯についてですが……」
この後の台詞、長かったんだよな。
と、僕はメモをとり出して確認する。
うわ、断片的な言葉しかメモできてない……。
僕は仕方なく、虫食いのメモを読み上げた。
「『俺は真実の愛を見つけた。それは金絡みの結婚だ』と」
「え……」
あ、マリィ様がきょとんとしちゃってる。
「真実の愛……とは、いったい……?」
確かにそれだと、愛なのか、金につられただけなのかよくわからない。僕の主人がこんなにお馬鹿な欲深男だったなんて、知らなかったよ。
「次に、ジュール様はこうも申しておりました。『俺は髪をなびかせながら生きる』」
「まあ……えっと、それは……爽やか、ですのね」
ジュール様が何を言いたいのか、僕にもわからない。
『髪をなびかせながら生きる』って何だろう。
あ、ジュール様のお父様のアドルフ様は、毛髪が乏しいお方だから……『俺は父とは違って、髪ふさふさで生きるぞ!』という宣言かもしれない。
僕は彼との会話を必死に思い出しながら、口を開く。
「ええっと……確か、新しい恋人ができたとか何とかです」
「はあ……そうなんですか」
マリィ様は呆然としている。自分が捨てられるということにショックはないようだ。
いや、ジュール様の伝言が意味不明すぎて、唖然としているだけかもしれないけど。
「あと、ジュール様はこうも申していました。『婚約破棄をすることで、俺が泣きすがろうとも、お前は無視をすればいい』と」
「はあ……ジュール様が、わたくしに泣いてすがるのですか?」
「はい。きっと泣き喚くだろう、とも言っていました」
「まあ……」
「ちなみに、マリィ様。ジュール様の新しい恋人が誰なのか、気になるのではないでしょうか」
「そうですね……気になると言えば気になります」
「ちょっと待ってください。名前をメモしておいたので」
確か「A」で始まる名前だったはず……。
あ、あった。
それらしき名前を見つけて、僕はそのまま読み上げた。
「……アドルフ・ミュッセ様です」
「え……っ? そのお名前は……ジュール様のお父様では……?」
「あれ……?」
そこで僕も気付いたけど、メモにはしっかりとその名前が書かれている。なんてこった。メモをとるのに夢中で、ジュール様のお相手がこんな大物だったとは気付かなかったよ。
すると、周囲からも懐疑的な声が漏れる。
「え、うそ……」
「やだ……親子で……?」
「っていうか、男同士……」
僕は次のメモの朗読に入った。
「ちなみに、ジュール様がマリィ様ではなく、その方を選ばれた理由ですが……『伯爵令嬢という立場でありながら、お前はいつも地味な格好ばかりではないか。その点、俺の新しい恋人はいつも美しく、華やかなドレス姿を披露して、俺を癒してくれるのだ』と」
「ジュール様のお父様が……!?」
「華やかなドレス姿……?」
「女装趣味なの?」
周囲のひそひそ声はより大きなものに変わった。皆、軽蔑したような顔をしている。
と、その時。
「話にならん!」
集団から1人の男が現れて、マリィ様をかばうように立った。
「お兄様……」
彼はシリル・ティロル様。マリィ様のお兄様だ。彼女とよく似た顔立ちをしていて金髪碧眼。肩につくくらいの長さの髪を後ろで1つに結んでいる。
「婚約破棄をこのような公衆の面前で告げるのはおろか、自分は姿を現さずに従者に代理を頼むだと!? うちの妹を何だと思っている!」
「申し訳ありません」
「お待ちください。お兄様。ロイクさんを責めても仕方ありません」
と、マリィ様はシリル様を宥めて、僕に向き直る。
「他にジュール様からの言伝がありましたら、すべてお聞かせいただけますか?」
「マリィ様……」
僕はじんと感動していた。
何てお優しいのだろう。
やはり、マリィ様は天使だ……。
しかし、シリル様はまだ怒りが収まらないらしく、荒々しく告げる。
「その前に、慰謝料の話だ! そのような勝手な理由で婚約を破棄するからには、こちらからは多額の慰謝料を請求させてもらう。1000万Gは下らないぞ! 払う当ては子爵家にあるのか」
「あ……お金の話ですよね? はい、『それくらいのはした金は、手切れ金代わりにくれてやろう』だそうです」
僕はしっかりと彼からの伝言を告げた。
すると、そこでマリィ様が初めて、悲し気な表情に変わった。婚約破棄の実感がようやく湧いてきたのかもしれない。
雨に濡れた子犬のような目を伏せて、
「ジュール様は、本当にわたくしとの婚約を解消したがっているのですね……」
僕は最後のメモに目を通す。今日の婚約破棄についての、ジュール様の意見が書かれていた。それをマリィ様の前で読み上げてもいいものか、僕は悩む。
――だから、その間にシリル様が別の話題を口にしていたことには、気付かなかった。
「子爵家はうちに借金までしていた。慰謝料を用意できるとは思えない。領地を売ってもまだ足りず……親子ともども鉱山送りになるかもしれぬのだぞ? その覚悟が彼らにはあるということだな」
「ジュール様は、『俺も、一度はやってみたかったのだ』と言っていました」
「炭鉱夫をか!?」
「『想像すると、笑いが止まらない』とも。あ、ジュール様のお父様も楽しみにされていたそうです」
「炭鉱夫にどれだけ前向きなんだ?!」
「あ、でも、ジュール様のお父様はドレス代について嘆いていたそうです……」
「着るのか!? 着るんだな!? 鉱山で!!?」
僕の知らないうちに、とんでもない勘違いが生まれていた。
◇
ジュール様とマリィ様の婚約破棄は、こうして成立した。
子爵家は「女装趣味の当主」「近親相姦」と噂が立ち、社交界からつまはじきにされるようになる。
当の子爵家は、それどころではなかったようだ。というのも、婚約破棄の慰謝料が多額だったので、それを用意するために奔走していたからだ。
ジュール様は何度もマリィ様に泣いてすがったそうだが、なぜかマリィ様にすべて無視されるので、困惑していたらしい。
結局、子爵家はお金を用意することができずに没落する。
ジュール様とアドルフ様は借金返済のため、鉱山に行くことになった。
なぜかその鉱山にドレスが一着だけ届いていたので、アドルフ様は困惑していたそうだ。のちにシリル様が渋い顔で、「せめてもの情けだ……」と言っていたのを、僕は耳にした。
さて、僕が何でこんなに後日談に詳しいのかと言いますと。
「その……お話したいことって、何でしょうか?」
僕は後日、ティロル家に呼び出されていた。
そこでサロンに通され、紅茶を振る舞われる。向かいの席にはマリィ様が座っていて、優雅にカップを持ち上げていた。
僕は子爵家が潰れてしまったので、今は無職だ。早いところ新しい仕事を見つけなくちゃいけない。
「ロイクさんに実はお願いがありまして。よろしければ、今後はわたくしの家で働いてくれませんか?」
「え……」
突然の申し出に僕は目を見張る。
「とてもありがたいお話ですが……僕は粗忽者ですので。きっとマリィ様がご期待されるほどの働きはできませんよ?」
「ふふ……おもしろいことを言うのですね」
マリィ様は口元に手を当てて、小さく笑う。
そして、カップをソーサーに戻した。
「だって、ロイクさん。パーティ会場でのあれは……全部、わざとでしょう?」
「……え」
僕は唖然とする。
マリィ様はおっとりとした小動物のようなご令嬢だ。
――今までそう思っていた。
しかし、彼女の瞳に宿る、聡い光に僕は気付いた。
ああ、そうか。彼女の本性はきっと……『か弱いだけのご令嬢』ではないのだ。
そのことを嬉しく思って、僕の心臓がとくんと鳴る。
だって、『初恋の人』の新たな一面を知ることができたから。
◇
僕が初めてマリィ様に出会ったのは、お互いが9歳の時だった。
マリィ様とジュール様の婚約が決まって、彼女は子爵家に遊びに来ていた。
その時、僕はうっかり転んで、屋敷のツボを割ってしまった。僕はジュール様に散々、嫌味を言われていた。
その時、マリィ様はおっとりとした口調で言ったのだ。
『まあ、見て。ジュール様。とても綺麗な夕日ですよ』
のんびりとした口ぶりに、ジュール様は毒気を抜かれたようだった。彼は僕を叱るのをやめて、マリィ様と話し始めた。
すると、マリィ様は僕の方をちらりと見て、優しくほほ笑んだのだ。
――彼女は僕を庇うために、わざと話を逸らしたのだ、ということに僕は後から気付いた。
それからはミュッセ家でマリィ様を見かける度に、僕の目は彼女を追いかけるようになった。
美しくか弱い容姿も、おっとりとした口ぶりも、そのすべてに僕は惹かれた。
僕はずっと彼女を見続けていた。
だから、ジュール様がマリィ様をないがしろにしていることにもすぐに気付いた。
彼はマリィ様をお茶会に誘っておきながら、男爵家の令嬢と裏でいちゃついていた。マリィ様との約束は、平気ですっぽかしていたのだ。いつも時間になっても現れないジュール様を、彼女は寂しそうに待ち続けていた。
だから、僕はジュール様が彼女に向けて書いた手紙を、うっかりを装って、わざと紛失するようにした。そうすれば、マリィ様が悲しい思いをしなくて済むと思った。
卒業パーティでジュール様が、婚約破棄を告げる予定でいることも知っていた。彼の浮気相手である男爵令嬢が、そう吹聴していることを耳にしたからだ。
僕はまたうっかりを装って、ジュール様に紅茶を零した。臆病なジュール様なら、きっとこれ幸いと僕に代理を押し付けてくるだろうと踏んでいた。そして僕はパーティ会場で、マリィ様にとって有利な条件で婚約を破棄できるように、わざと口を滑らせたのだ。
ジュール様は僕のドジが『すべてわざとである』ことに最後まで気付かなかった。本当にドジを踏んだのは、ツボを壊した初めの1回だけだったのに。そのイメージにずっと引きずられて、彼は僕のことを『粗忽者』であると信じてやまなかった。
ずっとそばにいたジュール様でさえ、僕の本性には気付かなかったのだ。
それなのに……。
「マリィ様……」
僕の些細な企みが、マリィ様にはばれていたなんて。
僕は唖然として彼女の顔を見返す。
すると、彼女は数年前と同じように――
僕が彼女に見惚れるきっかけとなる、あの優しい笑顔を浮かべているのだった。
終わり
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