あなーきーいんざしーぐらす
これからどうする、と彼女は言う。どうするもこうするもない。僕らは始まってすらいない。始まっていたなら、これで終わりだ。思っているだけじゃ言葉にならない。臆病な僕は不平不満を僅かに鼻息に紛らせるのが精一杯だった。生温い幸せというヤツに首までとっぷり浸かっていた。湯冷めするのが嫌で、出るのも億劫になったこのクソ狭い湯船が僕の思考回路の限界だった。彼女が手を重ねてくる。体の右側に柔らかさと熱を感じながら、先っぽから腰の辺りにかけてツンと微かな電流が走る。不慣れだ。彼女は少し大袈裟で、僕の圧倒的経験不足と技術不足が原因なのかと、毎度なんだか情けなくなる。日の出を見るには良いが日没には適していない。地球が回る速度に比例して暗くなる海岸線を、ふたり肩を並べて見つめていた。時々、人間ではなく男を演じているような違和感を抱くことがあった。日毎に疑念は膨らんで、今じゃもう滑稽なメロドラマの端役になった気分だ。彼女は優しい。それは間違いない。彼女が使う柔軟剤の香りが好きで、コインランドリーの前を通る度に彼女のことを思い出す。顔立ちも、体つきも、濡れた瞳も、好きなんだと思う。ただ、可愛い生き物を強要しているような、謎めいた罪悪感を多々覚えることがあった。彼女が口を開く。寒くなってきたね。うん。六本木のイルミネーションがすごい綺麗でね、今度行ってみない。うん。サーファーって凄いよね、こんな冬に海に入るとか、変温動物なのかな。うん。ちょっと、さっきから「うん」しか言ってないよ。怒っているけど怒っていないような、そんな口調で僕を責める。こんな支離滅裂な思想を打ち明けたところで何がどうなるというんだ。口をつぐんで、僕は小さくごめんと呟いた。ねぇ、どうしたの。彼女は真意を知りたいらしい。砂浜を黒く染めて引き返す。絶えず形を変える波を見つめながら、この思いを言葉にするか決めかねていた。大体、恋なんて欺瞞なのだ。バツの悪い性欲にそう名付けただけで、人間も所詮ただの獣だ。子孫を残す為に仕組まれた組織体系に綺麗事のような作り話を付け加えた年がら年中脳内お花畑民族がでっち上げた嘘だ。どいつもこいつも胡散臭いんだ。あなたがいなきゃ生きていけないなんて、ひとりで生きられないような奴が誰を幸せに出来るってんだ。あんな連中が語る「愛情」なんてこれっぽっちも信用ならん。俺には依存に見えるね。下らない。全員下らない。この時代にしがみ付いて、この時代から1歩も外に出られない馬鹿ばかりだ。なんでこんなところでこんなことしているんだ。暗雲が迫る。置き去りにした現実はどうする。お金はどうする。夢はどうする。雨がぽつりぽつりと降り始める。彼女は何も見えちゃいない。彼女は虚像に見惚れている。実像はこんなにも薄汚く、醜い。海岸線が闇に呑まれる。依存しているのは俺の方なのか。彼女の性に飢えている。彼女の欲に溺れている。果てしなく黒ずむ。もうお終いだ。1円にもならない、不毛な時間だ。何か言ってやろう。ぱっと彼女を見やり、目を捉える。大きな瞳がこちらを覗いていた。まつ毛を揺らして、映る全てのものを吸い込んでしまうような。生まれた躊躇い。戸惑い。一瞬の思索。高速のあみだくじ。その目が好きなんだ。口から出たのは思いもよらない言葉だった。ふといたたまれなくなって、視線を元に戻す。気付けば星がいくつか散らばっていた。彼女が何やら言っているが、耳に入らない。髪の毛が触れる。僕はただ冷たい潮風に頬を当てるので精一杯だった。結局、言いたかったのは雨に濡れるのは嫌だとか夏は暑くて萎えるとか、そんなことじゃなくて。伝えたかったのは、シンプルで単純明快な気持ちだったんだ。なんだかお腹が空いてきた。帰ろっか。腰を上げて砂を払う。立てないと言ってふざけるから、迷惑そうな顔を作って手を差し出す。今年最後の海に背を向ける。たまにはこういうのも良いよね、地球人たるもの、自然を愛さにゃいかんぜよ、とやたら真面目そうに語る。冬はまだまだこれからだ。君がいてもいなくても僕は生きていくだろう。でも君がいれば、いや、君といるのは、なんだか悪くないと思う。ちょっと聞いてる、と顔を覗き込む。聞いてるよ。うんと頷いた後、何て言おうか。次の言葉を探している。