173話 世界の形が変わるとき
あのカムラが囚われているとは考え難かった。だからこそ、教会にくれば何かしらの情報があるものと信じていたのだ。
あの時、カムラはアルレナを追うと言って姿を消した。
それは拐った張本人である、ヨハンのいた教会のある王都へ向かうという事。
ならば当然、何かしら……教皇の耳に情報が入っているはずだ。
なのに……
「おや? そんなボンヤリしてて大丈夫?」
「‼︎」
再び、襲い来るのは宙に浮かぶ『渦』。
ヨルダは咄嗟にその身を翻す。
と、同時に剣を構え。
「そうそう! せっかく来たんだ、あっさり死んじゃうなんて許さないよ!」
「くっ!」
襲いかかってくるアダへとその剣を縦に振るった。
しかしやはり悠々と、その身をずらしてヨルダの鋭い剣を躱すアダ。
淀みのない華麗な歩法だ。
だがその美しいステップを踏む足をーー
グサッ
「いたっ⁉︎」
『あら失礼、坊や』
いつの間にか傍に立っていたテレサのヒールブーツが踏み抜いた。
そして魔女王の一撃が、今度こそアダを捉える。
バスッッッッ!
下段に薙いだその剣筋は見事にアダの大腿部に当たった。
その一筋の傷跡から噴き上がる赤い血。
が、アダの表情にさしたる変化はない。
「……おばさん、魔神化したら強いんだね」
『お調子者のガキにはちょうどいいでしょう?』
テレサの声が不自然にブレる。
魔神化したテレサは、さして外見は変わる事はない。が、発せられる音は通常のヒトのそれとは大きく異なっていた。
そんな歪な声の主に、ヨルダは素直に礼を言う。
「テ、テレサさん、ありがとうございますっ」
「元騎士団員ヨルダ、でしたわね……別に助けたわけではありません」
「は、はい」
「……あの人。カムラさんは、どこに?」
「……わかりません。教皇様は知っていると思ったんですけど……」
テレサにとっても、それは意外な事だった。
直接戦った事のある彼女からすれば、彼女の行方知れずの理由が想像出来なかった。
『今この状況』をあの女が捨て置くとは思えないのだ。
では、何者かにやられたのか?
(そんな事、アレクシア様ぐらいしか……)
そんな思考の時間を与える事なく。
アダは再び魔法の矢をバラバラと広範囲に撃ち放った。
その場にいる者達が飛び来る矢を見事に避けてみせる中で。
アレクシアとツィラは、変わらず剣戟を奏でる。
まるで意に介する事なく、剣と拳を振るいつつーー二人は矢をすべて避け切ってしまった。
二人の攻撃動作が、そのまま回避動作となっていたのだ。
もちろんそんな芸当、普通の人間には到底不可能だ。
「ははははは、さすがは総帥閣下! こんな特等席で君の剣技を見る事が出来るなんて……最高じゃないか!」
目の前で繰り広げられる超絶技のオンパレードに、教皇ココは嬉しそうに口を開けて笑っていた。
だがアレクシアはそんなココの事など気にする事なく、手にした剣をツィラ目がけて大きく振り上げた。
その表情はまさにーー
「……うはははははははっっ‼︎ 楽しいなぁお前‼︎ もっともっともっと、攻めてこい‼︎」
「おっしゃぁ! やったるわぁ‼︎」
愉悦。
目の前の銀髪の少女に、アレクシアの心の中は弾けるように踊っていた。
だがそんな姿を見て、レオハルトは少し複雑な表情を浮かべた。
(……総帥の素の顔を引き出すほど、か)
レオハルトは、本来の『戦い大好き』であるアレクシアの姿を知っていた。
それを引き出せるような人物は……少なくとも、自分が知るのはただ一人のみ。
ーー前総帥、ヴォルフラム・アッヘンヴァル。
アレクシアの養父である。
その実力は、アレクシアが出現するまで現世最強とまで言われていたほど。
そのヴォルフラムと、あの銀髪の少女が、同列だと言うのだ。
「ちっ……」
正直、気に入らなかった。
他者の力を利用する事はあっても、他人を信用などしない男、レオハルト・グローツクロイツ。
その彼が唯一信じた人間こそが、ヴォルフラムだったのである。
「総帥! 戯れは程々に! 時間をかけるべきではないかと!」
「むっ! そうだったな、うむ!」
その思いからか、つい声を張り上げしまっていた。
(くくく、あらあら……何処かから人間臭い匂いがプンプンしてくるわね?)
遠目でアダと斬り合うテレサの視線から、言いたい事が言葉を発さず伝わってきた。
(……黙れ、化け物風情が)
そしてレオハルトもまた視線に変えて、言葉を返す。
が、対峙するジャオはそんな事はお構いなしにレオハルトへと猛攻を加えていく。
「おらぁっ!」
再び繰り出される、レオハルトの延髄を刈り取る回し蹴り。
が、今度はレオハルトは済んでのところで身を屈め躱しきる。
そこへカイがジャオへとラッシュをかけようとするがーー
「ハッ‼︎」
「むぅ!」
マリーナの魔導の技ーー地から伸び上がる生きた植物ーーが、仕掛けるカイの攻撃を妨害する。
「……相変わらず、やりますな」
「ディークマン卿はやはり槍よりそちらの方がお似合いですわね」
言いながら、マリーナは突き出した素手の拳を握って見せた。
苦笑いするカイ。
そんな光景に、レオハルトはまた小さく舌打ちした。
(やれやれ……)
徐々に戦う相手が絞られていく。
総帥アレクシア対銀髪の少女ツィラ。
副総帥レオハルトと白い軍神カイ・ディークマン対虎族の少女ジャオと魔導生命体マリーナ。
そして、白髪の少年アダ対深藍の魔女王テレサ対ヨルダ。
間違いなく、この世界の今後を占う戦い。
生き残った強き者が、世界の覇権を握るのだ。
その世界創生以来初とも言うべきエンターテインメントショーに、自分は今立ち会っている。
教皇ココは心底、悦びから、震えた。
「いやぁ! 楽しい! 最高、最っ高だよ‼︎ こんな楽しい時代に生まれるなんて、私はなんっって幸運なんだ‼︎」
そこかしこで行われる、膨大で異常なまでのエネルギーの衝突。あまりの破壊力や速度によって、皇宮という空間が傾ぎ、捻れ、軋み続ける。
例え白銀の双子の張った結界と言えど、長時間は持ちそうにない程だ。
斬り撃ち突き放つそれぞれの完全破壊の一撃が、互いの命を削り合う。
その余波で起こる風圧に、玉座に座る教皇ココの長い髪が何度もふわりとなびいていた。
それはつまり、ココ自身が身を守る為の結界を何一つ展開していない事を意味している。
「わぁ! すごいすごい! えぇ⁉︎ それっ……わわわっ! そんな事まで……っ‼︎」
にも関わらず、ココはただただ舞台を観劇する客のように、興奮気味に手を叩き、はしゃいでいた。
だが、煩い客は往々にして演者からは嫌われるものだ。
「……煩いぞキュウリ」
それは、限りなく素の面を出したアレクシアの、素直な苛立ちだった。
「あ、クソ!」
僅かなツィラの隙を見つけ、アレクシアはすぐそばのココへとその剣を振るった。
その一撃を受け止められる者は世界で指の数ほどしかいない。
それが今。現世界の盟主へと振るわれたのだ。
ーー意外と、世界とはこんな風にあっさりと形を変えてしまう物なのかもしれないなーー
眼前に迫る美しい刀身を見つめながら、教皇ココはぼんやりと、そんな事を考えていた。