10話 絶対暴力
……一瞬、何が起きたかわからなかった。
「え? ……チャ、チャーリー、さん……⁉︎」
振り返るとそこには、外壁をオルビルごと蹴破った巨体が、泰然と聳え立っていた。
その一撃の威力は凄まじく、建物の壁は木っ端微塵に吹き飛んだ。
開いた壁の穴から部屋の空気が外へ流れ出ていく。
濛々としていた視界と異様な臭気が薄らいでいった。
視界が晴れるとそこにはその異様に目を奪われた騎士達と、意識朦朧となりながらもチャーリーへと視線を向ける亜人の娘達の姿があった。
その常識外の突如現れた脅威に、弛んだ空気が再びより強靭に張り詰める。
ヨルダはチャーリーの手元に目をやった。
……あの武器を持っていない?
音は変わらず空気を震わせている。
あの扉の向こうで。
代わりにチャーリーの手に握られていたのは「鉈」の様なもの。
おそらく戦闘と言うよりは農作業や木を切るのに使われるものだろう。
だからこそその異様さが際立った。
──あれが、奴の武器?
騎士達の逡巡の中、チャーリーはその鉈を振り上げ
ヒュッ!
「っ!」
目にも止まらぬ速さで投げつけた。
振り返れば、魔導師の一人の胸に深々と突き刺さっている。
声を上げることすら許されず、魔導師は地面に倒れ込み、その力を見せる事なく絶命した。
指揮官がありえない方向から蹴り飛ばされ、瞬く間に最高位の魔導師の命は絶たれた。
騎士達の心の揺らぎ──
チャーリーはその隙を見逃さない。
なんとか体勢を整えようとするも、猛然と騎士達に襲いかかる怪物。
その巨体からは想像も出来ない俊敏さで、距離を詰めるや否や大きく拳を振り上げ、風を引き裂く速度で突きを繰り出す。
ッッブシュゥゥ…
「……え?」
誰もが目を見張った。
ただの突きは、騎士の首を文字通り刈りとったのだ。
胴体から離れたその首は天井に打ちあたり、辺りにその血を広く撒き散らす。
「な……なんだと?」
あり得なかった。
斬撃で首が飛ぶのは理解できる。
……打撃で、なぜ首が飛ぶ様な真似が出来る?
騎士達はその圧倒的な暴力に気圧されてしまった。
ボルイェからの報告を受けていたにも関わらず、またしても、彼等はチャーリーの「恐怖による」支配を受けてしまったのだ。
チャーリーの鋭利な拳は、風とともに血を巻き上げ肉と骨を分断していく。
「うわ、うわぁっ!」
「ば、化け物……っ‼︎」
しかしその恐慌を鎮めるべく、部屋の中に新たに増援がなだれ込む。
オルビルの指示で隣室に待機していた者達だ。
「オルビル隊長!」
派手に吹っ飛んだオルビルの身体は、チャーリーの蹴りにより地面に突っ伏したまま、全く動く気配がなかった。
「……こ、この化け物がっ‼︎」
果敢にチャーリーに襲いかかるのは、「支配されていない」者達。
しかし彼等はオルビルの姿を見て少なからず動揺していた。
当初の予定通り、オルビル指揮のもと、総力による遠近からの全方位波状攻撃ならば「なんとかなった」かもしれない。
しかし、彼等は判断を見誤った。
チャーリーをこれまで自分達が駆逐してきた敵と、同等に見てしまったのだ。
──仲間の仇、一気呵成に討ち取ってみせる
……それが彼等の命を縮める事になるとも知らずに。
向かってきた若い騎士の剣はチャーリーの身体を袈裟斬りにする。
ザクゥッ!
「……えっ?」
勢いよく振るわれたその刀身は、肉を断つ事なく止まった。
チャーリーの大きく肥大した大胸筋は刃を1ミリも通さなかった。
その非現実的な光景は、後陣の騎士達の心をさらに大きく揺さぶった。
理不尽な支配の中、再び執行される絶望的な暴力。
──ッッブブシュウッ
分断された首は、まるでピンボールの様に天井へ床へと飛び跳ねる。
『恐怖の支配』は新しい生贄を前に口を開け、手を叩き、悦んでいた。
ヨルダはまたしても繰り広げられる惨状を前に、折られた鼻の痛みも忘れていた。
チャーリーが拳を振るう毎に跳ねる首。
都度上がる悲鳴。
その非現実さが彼女を夢と現の境界を曖昧にさせる。
鼻の流血と意識が朦朧とする中で
──今度は、左右対称ではなく、首と胴体なんだ……
などと思いふけっていた。
次々と屍が積み上がる中、数名の騎士達はついに部屋の入口に向かって逃げ始めた。
だが支配者は支配される者の自由を許可する事などなく。
すぐさま先程投げた鉈を屍から引き抜き、その反動を利用して入口に向かって投げつける。
「ぎゃっっ‼︎」
鉈は騎士の頭を貫き、勢いそのままに壁にその体を貼りつけた。
そしてビクッビクッと陸の魚の如くしばらく痙攣するとやがて動かなくなった。
動かなくなるまでの間にも、チャーリーの拳はさらに天井にいくつもの首を叩きつける。
混乱収まらない中で、一人の魔導師がようやく反撃に転じた。
宙に文字を描き、印を結び、詠唱は短く、術式を素早く組み上げる。
それは教会魔導師にのみ使用を許された必殺の魔道。
『煉獄よりの福音、罰を受けし者に死の救済を』
空気が不自然に一点に流れ込む。
魔導師の眼前に直径二メートルほどの絶対零度の氷塊が生成された。
「あれは…っ」
ヨルダは一度だけ見たことがあった。
教会魔導師が大型モンスターを相手に、一撃で命を奪う死の呪文。
『極光の白き炎隕』
詠唱の終わりと同時に、氷塊は何十もの筋を伴いチャーリーへと襲いかかる。
バシュゥゥゥゥッッ!
「キャアァッ!」
当たった余波で周囲が一時的に凍りつく。
ヨルダの顔も少し凍ってしまった。
冷たい白煙の中、チャーリーの身体は凍りつき、ピクリとも動かなくなっていた。
「や、やったぞ! 化け物め!」
術者である魔導師本人は、思わず歓喜の声を上げた。
生き残った数名の騎士達も恐る恐るその様子を離れて見ていたが、チャーリーが動かないとわかると、喜びはしゃぎはじめた。
「ざまあみろ、この化け物が!」
「醜い亜人め、当然の報いだっ」
口々にチャーリーを罵る騎士達。
しかし
──パリンッ
ヨルダにはもうわかっていた。
「チャーリー」という人間は、この世界の理の外にある存在だという事を。
「ヒ……ヒィッ!」
飛びかかる影は冷気をその場に置きざりにし、何事も無かったかの様に再び首を刈り取り始めた。
ヨルダの凍りついた前髪から溶け出した水が滴り出す頃、その場に立っていた「人間」は、チャーリー以外誰もいなかった。