翔太 ~南~
南との出会いは小3だった。
大学に通うために2年先に帰国してた兄、あーちゃんが二十歳になったことで、ぼくも日本の学校へ通うことを母さんに許してもらえたんだ。
海外では日本人学校に通い、夜も休日も仕事で留守がちの母さんの代わりにシッターさんが来てくれてたから、不自由はなかった。寂しいと思うことだけはどうしようもなかったけど、いつか日本であーちゃんと暮らすんだって思ってがんばれた。
あーちゃんに日本に連れて来てもらって、転校前にランドセルや体操服、内ばきもそろえた。
ぼくが通う小学校が私服だったから、憧れてた制服が着られなかったことくらいが残念だったことかな。
ぼくの転校初日が他の子たちにとっては、クラス替え初日だった。他の子が順番に自分の席で自己紹介していく中で、ぼくだけ前に呼ばれてみんなの前で自己紹介をした。
「朝比奈 翔太です。母さんの仕事の都合で今まで北欧に住んでいました。わからないことがたくさんあると思います。みなさん教えて下さい。よろしくお願いします」
全員の視線が自分に向いてる緊張に耐え切れなくておじぎをした後に、はにかんでしまった。
それでも拍手してもらえたことにホッとしたんだ。
学校は本当にわからないことだらけだった。
給食当番・掃除当番・あいさつ当番。クラブ活動・委員会・集会。
そのひとつひとつを教えてくれたのが、となりの席の南だった。
ぼくより少し背が高くて細い体、黒くてピンピンの短い髪、じぶんの意見をはっきり言う。キリッとした感じがちょっとお兄さんっぽいというのが第一印象。
わからない事はまず南に聞く。
「あいさつ当番って何?」
「あいさつ当番ってのは、朝みんなより早い時間に登校して玄関前に立って、登校してくる生徒達に進んであいさつする仕事ってことだ」
「友達に毎日あいさつするのは当たり前でしょ?なんで当番なの?」
「う~ん。言われてみればそうだよなぁ。う~ん・・・。そうだ!いつもよりたくさんの人にあいさつするから友達が増えるんだよ。当番ってのは友達を増やすチャンスなんだよ。うん!」
「そっかぁ。佐々木君、物知りだねー」
「へへっ、南でいいよ。オレは翔太って呼ぶから」
南の言うとおり、当番をしていると友達が増えていった。
ほとんどの子がおはようと応えてくれるし、手を振ってくれる子もいた。
当番じゃない日も、おはようって声をかけてくれる人が増えてきて、南のおかげ学校がどんどん楽しい場所になっていったんだ。
母さんとあーちゃんには女の子には優しくするように教わってたから、給食当番の子が運ぶ牛乳のかごを持つのを手伝ったり、集会で気分が悪そうにしている子に付き添って一緒に保健室に行ったりした。
始めのころは、冷やかす男子もいた。そしたら南も女の子たちに優しくするようになって、一緒に冷やかされるようになった・・・きっと南は、ぼくをかばってくれたんだと思う。
いつの頃か、女の子達が冷やかす子たちに何か言ってくれたみたい。からかわれる事が無くなっただけじゃなく、他の男子も今までより女子に親切になったと、南が教えてくれた。
南がクラスをいい方向に動かしてくれたんだ。ホント、頼りになるお兄さんって感じ。からかわれてもムキになって怒らないもん。
でも南は3人兄弟の末っ子なんだって。「いつも自分が弟だから、翔太みたいな弟か妹がいたらいいのに」って言われちゃった。
・・・同じ年だよ、ぼくたち。それに、ぼくは男だよー。
南にだけはあーちゃんと2人で暮らしてること、ぼくは父さんのこと知らなくて大人になったら母さんが教えてくれる約束をしたこと、仕事の都合で住まいを転々としたことで友達ができても長続きしなくて残念だったこと、いろんなことを話した。
何度かお互いの家にも遊びに行った。南の家は大きくて、室内にウエルッシュコーギーがいた。超かわいいっ!
遊びに行くたびにお尻を振って歓迎してくれるコータロー。かわいいっ!
毛が生え変わる時期には、ブラッシングしてもしても終わらなくて袋いっぱいの『コータローファー』が収穫できる。楽しいっ!
つぶらな瞳で見つめられると、もうたまらなくかわいっくて全身なでなで、なでなで・・・
そんなぼくとコータローを時間の許す限り、南と南のお母さんがいつも見守っててくれていた。
南のお母さんの作るデザートは何でも美味しくて、お店屋さんみたいに美味しいですねって言ったら、「翔太ちゃんには、毎日来てほしいわ~!」ってギューッとハグされた。
南には、「いつでもお母さんにハグしてもらえるなんて、南は幸せだね」って言ったら、目を見開いた南に「おれがおまえをハグしてやるー!」ってギューッってしてくれた。
「翔太は優しいな」ってたまに南が言うけれど、ぼくは南のほうがうんと優しいと思うよ。
ぼくが学校で友達がたくさんできたのも、南の家に遊びに行くたびに幸せな気持ちになれるのも南のおかげ。この感謝の気持ちをいつか上手く伝えられるといいな。
5年生になってクラス替えがあったとき、1番に探したのは南の名前だった。同じ1組に自分の名前を見つけた瞬間すごくうれしくて、南の背中に飛びついて喜んだ。
このころの南は黒いふちの眼鏡をかけるようになって身長も伸びてきた。
ぼくも置いていかれないように早く大きくなりたくて、いつもより牛乳を多く飲むようになった。
だってぼくだけ小さいままだと、いつも頭をグシャグシャってされるんだもん。
5年生の終わりが近づいていたある日、みおから学校に電話があった。
みおに小学校まで迎えに来てもらって、一緒に病院に行ったんだ。
がらんとした部屋に寝ている人がいて、頭からつま先まで白いシーツがかかってた。
寝ていた人はあーちゃんだった。あーちゃんがもう起きることがないってわかってからは、その後の記憶が途切れがちで、その日のことはうまく思い出せないんだ。
思い出せるのはお通夜のあたり。
黒い服を着た人達にあいさつを返す母さんの横に、ぼくとみおが並んで立ってた。
気がついたらみおと手を繋いでて、母さんやみおの両親と話をしているみおの言葉が耳に入ってきた。
「私が翔太くんと一緒に暮らしていきます」
ぼくの手がぎゅっと強く握られたのがわかって、ぼくも強く握り返した。
母さんは仕事に戻っていき、ぼくとみおの2人暮らしが始まった。
何日かぶりに終業式直前の学校へ行くと、まわりはいつもどおりで不思議な気分だった。
・・・あーちゃんがいなくなったのに、他は何も変わらないんだな。
教室に向かう廊下を歩いていると後ろから、南が肩に手をかけて顔を覗き込んで挨拶してきた。
「おはよ。5日ぶりか?葬式に行ってたんだって?遠かったのか?親戚?」
「・・・あーちゃんの」
「あーちゃん、って・・・え? ・・・兄ちゃん、だよな?」
南にはあーちゃんとのいろんな話をしてたから、驚いてしまったのも無理は無い。南はそれ以上聞いてくることは無く、ぼくたちは何も言わずに教室に入っていった。
「あ!翔太ー。おはよー!」
「翔太、久しぶりー」
「なあ、今日の昼休み、外で遊ぼうぜ」
次々とかけられる言葉にうまく返事ができないでいると、南が代わりに答えてくれた。
「悪い、みんな。翔太、体調良くなくて声が出にくいんだって。今日はそっとしといてやろうぜ」
その一言で、まわりからは
「そっか。じゃあ仕方ねえな。早く良くなれよ」
「気分悪かったら言えよ。保健室連れてってやるから」
そんな優しい言葉をかけてもらえた。
放課後の教室で帰り支度をしていると、横にきた南が隣の空いてる椅子に座った。
次々と帰っていくクラスメートの挨拶に応えた後は、お互い黙ったままだ。残ったのは、とうとうぼくたちだけ。
「今、どうしてるんだ?」
かすれるような声が南から出た。心配してくれてるんだね、ありがとう。
でも、あーちゃんの事、突然だったからまだ上手く説明できないよ。
「ん・・・」
みおと暮らすことになったんだ。
みおっていうのは、今月あーちゃんと結婚した人でね、ぼくの義理のお姉さん。母さんは一緒に北欧で暮らそうって言ったんだけど、ぼくはここが好きだし、南と一緒にいたかったから・・・
話したいことはいろいろあるのに、何からどう話したらいいのか・・・
今はまだ自分ののどに力が入らなくて、思うように言葉を作り出せない。
困ってるぼくをじっと見てた南が椅子から立ちあがった。
「オレ、力になるから。なんでも。オレを頼れよ」
そう言って、ぼくの頭にそっと手を置いて一度だけクシャっとかき回した。いつもと違うクシャに、優しさが感じられる。
帰ろうと席を立った瞬間、南に正面からハグされた。頭と体に手を回して上半身いっぱいをギューっと抱きしめてくる。
ぼくの顔が当たる位置にある南の胸に温かさを感じ、少し気持ちがほぐれる。
南の背中にはすでにランドセルが担がれていたから、ランドセルごと手を回してぎゅっとハグし返した。
体を離したぼくは南にこれ以上心配かけたくなくて、少しがんばって笑顔を作ってみせる。
「ありがとう、南。ほんとに頼りにしちゃうよ?」って言ったら、サッと真横に顔を背けた南が「うん」と返事してくれた。
帰り道、上りの坂道の途中まではお互いずっと無言で並んで歩いていた。でも、もうすぐ別れ道ってところで南が口を開いた。
「オレ、考えたんだ。大切な人に突然会えなくなったらどんな気持ちになるんだろうって。もし・・・もしもオレ、突然翔太と会えなくなったら後悔するっ!伝えたいこと伝えないと後悔する。大切な人に大切だって、伝えておかないと後悔する」
そこまで言った南がぼくの前に回りこんで、視線を合わせてきた。
南から視線を合わせてくることが珍しいのと力の入った言葉に、つい南の眼をじっと見つめる。
「オレ、翔太のこと大好きだからっ!大切だからっ。・・・覚えておいて」
最後のひと言で合っていた視線が南のほうから逸れていったけど、一生懸命な思いが伝わってきた。
「うん。ぼくも南のこと好きだよ。南と友達で本当によかったって思ってる」
南のおかげで、ぼくは久しぶりに自然と笑顔になれた。
その後は家まで、南の言葉を思い出しながら考えた。
あーちゃんと最後に交わした言葉は、『いってらっしゃい』だったっけ。
言わなくても態度でわかってるって思ってたから、あーちゃんに大好きってちゃんと伝えたことなかったかも。
あぁ、確かに。もっといろんな気持ち、伝えておけばよかった・・・
鍵を開けてうちに入ると、みおが先に帰ってきてることが揃えられた靴でわかった。いつものように玄関で帰宅を知らせながら入る。
「ただいまー」
「おかえりー」
みおがリビングの一人がけソファーに、何をするでもなく膝を抱えた格好で座っていた。固まったままの姿で、心ここにあらずと言った感じ。
ぼくより7つも年上なのに、そうしてると小さく見える。あーちゃんがいなくなって、まだ1週間。寂しいのはみおも同じだ。ぼくが守ってあげなくっちゃ。男の子は女の子に優しく、だ。
部屋にランドセルを置いて洗面所で手を洗い、キッチンで冷蔵庫から出したお茶を2つのグラスに入れて、リビングへ持っていく。
グラスをサイドテーブルに置いて、ぼくはみおの足元に座る。今度はすぐ傍で静かに「ただいま」と言って見上げると、穏やかな声で「おかえり」と返事が返ってきた。
・・・よかった。ちゃんとこっち見てくれて。
みおが姿勢を変えて下ろした足に寄りかかる。再び美緒を見上げて、帰り道に考えていたことを口にした。
「ねえ、みお。ぼくもっと、みおに大好きって言いたいな」
説明を省いて切り出したから無理もない。みおは少し首をかしげて、「何かあったの?」と聞いてきた。
さっきの南とのやり取りを話していくうちに、みおが目を潤ませながらうんうんと頷いた。
「そうだね、本当だね。私も伝えたい。これからはそうしよう」
「みお、大好きだよ」
「私も翔太くんが大好き」
みおにグラスを渡して、お互いに微笑んでからお茶を飲んだ。
こうしてぼくたちには、大切な人に言葉にして気持ちを伝えるという、約束ができた。