高瀬 ~七夕~
修一と美緒が来るのが待ち遠しい。
インターホンに何度も目線をやりチャイムが鳴るのを期待していたら、先に修一からメールで「下に着いた。今行く」と、簡潔な連絡が入った。
まだ足が痛くて早く動けない俺にしたら、玄関の鍵を開けにゆっくり歩けるから助かる。修一のそんな気遣いがありがたい。
玄関を開けて待っていると、開いたエレベーターからふたりが出てきた。
「ただいま」
「ただいまですー。おじゃましまーす」
ふたりが買い物袋を一つずつ提げて近づいてくる。
ここに着くまで修一と美緒はどんな会話をしてきたんだろう。機嫌良い自然な笑顔の美緒に、俺はちょっとドギマギした。
「おかえりぃ。俺もう、腹減ってんだけどー」
照れがあって、待ってたとは素直に言えなかった代わりに、空腹を訴えることで待ってたことを表す。
「おぅ。今から美味いの作ってやるからな」
そう言いながら修一は、さっさと部屋に上がり手を洗い食材を並べ、美緒に指示を出していく。
「ミオ、まずは海老の殻剥いて。ワタもとるんだぞ。はい、つまようじ」
言われた美緒も戸惑うことなくテキパキと作業し始める。
「先輩、海老のカラで出汁とってみたいです。こないだ本でとり方読んだんです。いい出汁がとれるんですって。やってみていいですか?」
「いいよ。やってみ。うまく出来たら使ってやるよ」
スーパーに行ってた短時間で、ずいぶん仲良くなったな、おまえら。
軽い口調でツッコミたいのに言えない、ヘタレな自分・・・
ソファーの背もたれ越しにふたりの作業を黙って見ていたら、一旦殻剥きを中断して手を洗った美緒が買い物袋の中を漁って小袋を取り出し、ニコッと俺に差し出した。
「はい。ひとりで待ってた隼人先輩に。このお菓子、コーヒー豆をチョコでコーティングしてあるんですよ。確か先輩、コーヒーもチョコも好きですよね?」
・・・おぉ、うれしい。しかも、俺の好きなもの知ってたんだ。
「ありがと。今食べていい?」
だだ下がりだった機嫌がみるみる上がっていくのが、自分でもわかる。
「ご飯前だから、ちょこっとだけですよ」
そんなこと言われなくても・・・俺はそんなに子どもじゃないよ?
ところが、一粒食べたらその食感と甘さと苦さの絶妙さに、ついつい手が止まらなくなって、結局ストップをかけられてしまった・・・
お菓子から俺の気を逸らせる狙いもあったのかもしれない。
「手伝ってくれると、早くご飯が食べられますよ?」という誘いに乗って、海老の背ワタ抜きと下味つけを手伝ってたら本当に、ご飯ができるまでの時間が短く感じられた。
3人で作って食べた料理は、最高だった。
海老の殻で出汁をとったスープがこんなに美味いなんて知らなかった。
回鍋肉もエビチリも、店で食べるのと遜色ない美味さだ。
「隼人が手伝ってくれたおかげで、一段と美味いな」
さすがに修一のその褒め言葉は言いすぎだろう。
「褒めすぎだって。俺、ほんのちょっとしか手伝ってねーし」
「何言ってんだよ、おまえの下ごしらえが味を左右する大事なポイントだったんだぜ」
・・・へぇ。俺、役立ってたんだ。そう言われると、ちょっと心動かされるなぁ。
美緒はご機嫌で箸を動かしながらも、修一の言葉を肯定して俺に頷いてみせる。
少し照れると同時に嬉しさもこみ上げてきて、しばし箸が止まった。その間、横で食べ続ける美緒に視線を向けると、相変わらず美味しそうな表情で、見ていてこっちまで気分が上がる。
へぇ・・・美緒は付け合わせのパセリも食べるのか。特に好きなものや苦手な食べ物、あるのかな。こいつと一緒にもっと、いろんなものを食べてみたい。
デザートに出てきたのは杏仁豆腐だった。
時間の都合で市販品だと修一が言ったけれど、全然かまわない。
「修、お疲れさま。修の料理、めっちゃ美味しかった」
俺はスプーンにのった杏仁豆腐をプルプル揺らして、目で柔らかさを楽しみながら口へ運ぶのを繰り返す。
洗い物を終えた美緒も、また食卓についてデザートを食べようと手を伸ばしかけ、ピクリと何かに反応した。
スマホの着信音だろう。「失礼します」と言って隅に置いてあったバッグの前に膝をつき、中からスマホを探り出し操作する。その場で小さな声で話し始めた。
うちはワンルームマンションだ。
元は事務所だったところを建築事務所がリノベーションしたとかで、ちょっとばかりおしゃれな内装に仕上がっている。
コンクリート打ちっぱなしの天井にダウンライトが規則的にはめ込まれ、床はダークブラウンの斜め格子状のフローリングになっていて視覚的に広く感じる。横長な窓のおかげで開放感もある。
風呂とトイレだけは個室だが、約20畳のワンルームと収納の間取りで全部。
ベッドまわりは本棚で間仕切りをしているけれど、このフルオープンな空間から移動しようがない。
だから、自然と電話の声が耳に入ってくるのは仕方ないよな?聞き耳たててなんか、ないからな。
「・・・うん。・・・大丈夫」
声量を落としぎみに会話する美緒。
細かい会話は聞こえてこないが、柔らかく優しい口調が気になる。
「・・・ありがと。・・・ん。私も大好きだよ。・・ん。また明日ね」
耳からスマホを離して通話を終えた美緒の横顔がとっても幸せそうだ。
それだけでも誰と話してたのか、気になるところなのに・・・
聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。大好きだよ、って何!?誰に!?
聞きたいけど、聞けない。でも、気になる、めっちゃ気になる。
なんでさりげなく聞けないんだ、俺!
「今の誰?仲良さそうだったねー」
修一が軽い口調で美緒に聞いた。
でかした!フレンドリー修!
「あ、弟です。今修学旅行で関西方面に行ってるんですけど、今日、私の誕生日だったんでわざわざ電話してきてくれたんです」
なんと!!弟~。
で!?誕生日!!
「えー!言ってくれたら、ケーキ用意したのに」
修一の残念そうな声はそのまま俺の心の声だ。俺も美緒の誕生日をお祝いしたかった。
でも美緒は、「そんな図々しいこと言えないですよ~」と笑って言うだけで、何も要求してこない。
じゃあ言葉だけでもと、美緒に向けて花吹雪に見立てた両手を軽く振りながら「美緒、誕生日おめでと~」と言うのが、今の俺には精一杯だった。
そんな俺の後ろから修一が、「大好きって、聞こえたよ。弟、に言うの?」と、するどいツッコミが入った。言われてみれば、自分の兄弟には言わないかも。俺は言ったこと、ないな。
・・・今のホントに弟?
「言いますよ、私たち」
意外なほど、さらっと美緒が答えた。
「だってその時々に、大切な人に自分の気持ちを伝えておかなくちゃ。伝えなかったことで後悔するのは嫌じゃないですか?」
美緒が何の気負いも照れもなく答える姿がカッコいいと思えた。
質問した修一は少し考えてから、「それはそうだな。誕生日おめでとう、ミオ」
そう言ってちゃっかり、美緒の頭に手を置いてやさしくなでた。
おいっ!!フレンドリー修めっ。
「明日の朝、迎えに寄るから」
修一は今夜は泊まらず、美緒を送ってくと言って帰っていった。
まだ松葉杖が手放せない俺を送り迎えしてくれるところは有り難いが、美緒を車で送って行くって・・・うらやましい。
美緒は「近いから歩いて帰ります」と遠慮したけど修一は、「夜道を一人で帰る女の子を送らない俺は俺じゃない」と譲らなかった。
あぁ、次の約束もしておくんだった・・・。
ようやく松葉杖なしで歩けるようになって、今日も修一と一緒に学食に来ていた。
食堂の出入り口の傍らに立てかけられた大きな竹を見て、そっかもうすぐ七夕なんだと気がついた。茂った葉にはすでにいくつも短冊が結ばれている。
軽く首を巡らせて学食内全体を見渡した。
・・・別に俺は意識なんてしてないんだけど、さ。・・・ん~・・見当たらないな。
「誰か探してんの?」
「え、いや別に。もうすぐ七夕なんだなーって思ってただけ」
美緒を探していることを修一に悟られないように目線の動きに気をつけながら食事を済ませ、席を立つ。
竹を囲んで女子が、笹の葉に短冊を結んでいる。
お互いの願い事に盛り上がって楽しそうだ。
「え~!夏までに痩せたいなんて、今からじゃ遅いって~」
「も~!アカネだって彼氏がほしいなんて書いて、それ年中言ってるじゃ~ん」
短冊に書く願い事なんて、そんなもんだよな。自分も子どもの頃は短冊に、宇宙飛行士になりたいとか給食は週一回カレーがいいとか書いてたっけ。叶わないんだよな、結局。
もう他人事だと思いながら通り過ぎようとしたとき、美緒 という文字が目に飛び込んできた。
!??
数歩戻って、見直すとそこには『次は 豚まんが作りたいです 美緒』と、ちょうど目線の高さにあった。
俺たちに気が付いてもらいやすいように、狙った高さなのかな、コレ。
一緒に戻ってきた修一もそれを見て、ふっと笑った。
「伝言板じゃないっつーの」
竹の横には自由に書けるように短冊とペンが置いてあり、黄色の紙を選んだ修一は大きめの力強い文字を書き込んだ。
『望むところだ! とびきり美味いやつ作ろうぜ! 修』
書き終えて、美緒の短冊と同じ根元に結びつけている。・・・おまえだって伝言板として使ってんじゃん。
結んでる途中で「おい。これ、隼人宛てじゃね?」と、修一がさらに上を指差した。
自分でも手が届くかどうかの笹の葉の最高地点には、緑色の短冊に『先輩の怪我が早く治りますように。美緒』とあった。
「なんでそんなに高いところに結んだんだよ。わかんねーだろ」
照れてしまって素直に嬉しいと言えないのが俺の悪いところで、口から出たのはふてくされた言葉だった。
でもこれってもしかして、願い事がとどくように精一杯高いところを目指して結んでくれたんじゃないか、って思えて胸の奥が絞られるような感覚が襲ってきた。
じっと見ていたら修一が、「返事どうするよ?」と聞いてきたけど、胸が一杯でいい返事が浮かばなくって、「別に、いいよ」 としか答えられなかった。