(7)
「なんか、理不尽……」
正直な言葉がわたしの口を突いて出る。
「なぜそうお思いに?」
ノアはわたしを批難するような口調ではなく、純粋に疑問だという顔で問うた。一瞬、失言かとあわてたわたしはそんなノアの様子にちょっとだけ安堵する。
「『愛が重い』って抽象的すぎないでしょうか」
「まあ、たしかに愛の重さは現実には測れませんね」
「ですから、なんだかそれを利用して浮気を正当化していると言いますか……ノアさんのせいにしているような、そんな感じがしてしまいまして」
わたしは言わなかったが、そういうひとは愛が重くなかったらそれはそれで『愛が実感できない』とか言って浮気しそうな気がする。浮気するやつは何度でもするし、しないやつは絶対にしない――というのが自論だった。
「……まあ、その魔力? とやらの影響もあるのかもしれませんが」
そのあたりはちょっと未だによくわからないので、最終的にわたしの言葉は尻すぼみになる。なんだか、カッコわるい。
居心地の悪さにノアから目線をそらし、なんとはなしにもぞもぞと尻のあたりを動かした。髪に手をやろうとして、そういえばもうないのだったと思い出す。
ショッキングな体験というよりは、すでにめんどうくささが上回っているあたり、わたしの精神状態は正常ではないのかもしれない。
「クロハさんはなかなか情のあるお方のようですね」
「……いきなりどうしたんですか」
「信頼関係を構築する過程で得た感想です」
「そうですか……」
なんだか機械に結果の紙を吐き出されて目の前に掲示されたような気分である。ノアはやっぱりマイペースだ。それもかなりの。
「情がある」と言われるとなんだか不思議な気分になる。今までそんなことを言われたことはなかったし、自分自身でもそうだと思ったことなんて一度もなかったから。
「冷めているとなら言われたことはありますが」
「まあ、それも感じますね」
「正直な方ですね」
普通だったら建前としては否定したりするものだ。
けれどもノアはそれは素晴らしくにっこりと笑って、
「私たちは今信頼関係を築こうと対話をしている最中ですので。栓ないうそは避けるべきだと思いました」
と、やっぱりどこかズレた返答をしたのであった。
そこはウソやおべっかを使ってでも相手を良い気分にさせて信頼を勝ち取ろう、と思っても不思議ではないのに。そういう点においては、ノアの話したことはおおむね信用してもいいのかもしれない。
実のところノアの話をどこまで信用すべきか、は常に考えていた。酒精に流されたとはいえ、特に最初の「食べられる」云々という話とか。まあこれはのちのちうそだとわかっても、もうどうしようもない段階まで来てしまっているのだが。
となると次に重要なのはノアがわたしの面倒を見てくれるという点だろう。なにせわたしはなにか特別なスキルを持っているとかいうこともない、ごく普通の中学生なのだ。よくわからない世界に放り出されてしまっては、すぐにのたれ死んでしまう可能性が高い。
しかし今のところわたしをぞんざいに扱うようなそぶりは見えない。これはまだ保留にしておくべきか。
「それでは、今度はクロハさんのことを教えてくださいませんか」
「わ、わたしのことですか」
やっぱり来たか。
これはつまり秘密の開示とかなんとかいうやつだ。自分の秘密を打ち明けることで、相手も心理的に秘密を開示したくなる、しなければならない気になるとかなんとかかんとか……。
でもまあ身の上については話しても問題ないか。なにせ、異世界だし。犯罪者でーす、とかいう告白でもなければなにか問題になるということもないだろう。
「えーと、そうですね……」
「話したくないのでしたらそれでも私はかまいませんが」
「いえ、話します。おもしろい話ではない……と言いますか、しょうもない話だと思いますが」
「それでも、かまいません」
ノアはゆるく首を横に振った。
「私はクロハさんのことが知りたいんです。クロハさんの言う、しょうもない話でもなんでも」
「それなら、いいんですけれど」
さて、なにから話したらいいんだろうか。というか、どこまで話せばいいのだろうか。いざ話せと言われると結構迷ってしまうな。
そう思いつつもわたしはオーソドックスに生い立ちから話すことにした。
「えーっと、わたしは今一四歳で、父親と母親とわたしの三人暮らしで……」
それからつらつらと普段の生活を並べて見るが、口に出してそのつまらなさにおどろいた。しかしノアはふんふんと興味深そうに聞いている。やはり異世界だとそもそもの生活様式とかに違いがあるのだろうか。
ひと通り説明を終えたあとで、ノアが「質問してもいいですか?」と聞いてきた。
「父親と母親に育てられる、というのはクロハさんの世界では普通のことなのですか?」
「普通かどうかって?」
難しいこと質問するなあ。と思っていたらノアの疑問は少々別のところにあった。
「私たちはつがいのあいだに子供が生まれると雄であれば雄の家へ、雌であれば雌の家へ預けますので」
「へえー、そうなんですか。わたしの世界ではですね、まあ普通問題がなければ親が子供を育てるんですよ」
この世界ではどうやら子育ては親がするものではないらしい。ノアの言い分だと子育てはその子の祖父母にあたる人物が行うのだろうか? ……と思っていたらまたしてもちょっと違うらしい。
「雄と雌にはみなそれぞれ『家』があるんです。これは、『両親が住んでいる家』という意味ではなく、両親の『実家』でもあり、そのまた両親の『実家』でもあるんです。私たちは『家』で育てられ必要な教育を施されます。他にもつがいの契約も一般的には『家』が代行します」
「ううーん、わかるような、わからないような……」
「すいません。私もこれ以上はどう説明してよいのやら……」
「あ、ノアは悪くないですよ。ただわたしの世界と違いすぎるのが……うん」
異文化コミュニケーションというのは楽ではない。そんなことを実感することになろうとは。
わたしがうんうんと頭を回転させているあいだに、ノアもうんうんと考え込んでいるようだった。
やがてノアは顔を上げていいたとえが思いついたとばかりの表情で口を開く。
「そうですね――『家』は『農場』のようなものなんです」
「えっ」
「農場は『家』、そこで働く人が『無色』や選ばれた『雄』や『雌』で、その人たちが育てた作物が『私たち』」
どうですかと言わんばかりのノアの言葉であったが、わたしはそのたとえよりも「無色」という単語が理解できなかった。
「……無色?」
「『雄』と『雌』以外の、魔力を持たないひとたちのことです。この屋敷でもたくさん働いていますよ」
それは労働者階級というやつなのだろうか。
「クロハさんは見ていないんでしたっけ。神殿でクロハさんをお連れしたひとたちなんですが……」
「あ、あー……。すいません見ていません。どういった方たちなんですか?」
「そうですね。『無色』は『雄』でも『雌』でもないものたちです。湖から生まれて、それから頭髪がありませんね」
なんだかすごいことを聞いてしまった気がする。湖から生まれるってどういうこと。
「さあ? そういう理としか言いようがありませんね」
「……ですよね」
「まあこの話はこれくらいにして、クロハさんの話をもっと聞かせてください。そうですね。好きなものはなんですか?」
「好きなもの、ですか」
色々とまだ細々とした疑問はあったがノアにさっさと切り上げられて質問を投げかけられて、となればなんとはなく、それに答えなければならないような気になってしまう。さすがに無視して疑問をぶつけるわけにもいかないし。
「ええ……改めて聞かれるとなかなか……」
「それでは、甘いものはお好きですか?」
「人並みには」
「外で遊ぶのと室内で遊ぶのは、どちらがお好きで?」
「どちらかといえば部屋にいるほうが好きでしょうか……。外に出るのが嫌というわけではないですけれど」
「じゃあ、『雄』の好みの特徴などはありますか?」
思わずノアの顔を凝視する。彼は変わらずおだやかな微笑みをたたえたまま、わたしの返答を待っているようだった。
「……そういうこと聞いちゃいますか」
「聞いちゃいます」
「うーん……」
改めて好きなタイプは? なんて聞かれると返答に窮する。浮かんで来るのは無難な回答ばかりだ。
「まあ……まず優しい人。暴力振るうようなのは絶対無理」
「でしょうね。クロハさんはこういった状態ですし」
「ですねー。利き腕が使えませんからね。まだ足がありますけど」
今さらながら切るのを片腕だけにしておいてよかった、と思った。もう右腕では抵抗できないし殴れないけど、両足はそろっているから蹴ることもできるし走って逃げることもできる。その事実に少しだけほっとした。
「あとはわたしを支えてくれるひととか、味方でいてくれるひととか……」
「そういう方とつがいだったんですか?」
「違います。そもそもわたしの歳じゃ結婚できませんから」
「じゃあ恋人ですか」
「違います」
と言ったあとでこの世界にも「恋人」という意味は通じるのか。一足飛びに「つがい」とやらになったから、もしかしたらそういった概念がないのかと考えてしまっていたのだ。
「つがいの相手は『家』に決められることが多いのですが、本人たちの意思で『つがい』になることもありますので」
ということらしい。
「ふむ……クロハさんの好みの『雄』は優しくて、クロハさんに心身ともに寄り添ってくれる方、ということなのですね」
「そうなりますね」
まとめられたあとで、変なことは言ってないよねとちょっと不安になった。
別にさほどぜいたくな注文ではないはずだ。人間として、パートナーとなる相手として、必要最低限のことを求めているにすぎない……はずである。はずであるのだが改めて確認されると不安になってしまうのは、ひとのサガだろうか。
ノアはふんふんとなにかを考えるそぶりを見せたあと、ぱっと花のように笑った。
「それではそんな『雄』になれるよう、がんばりますね」
「……はい」
あ、やっぱりそういう目的のリサーチだったんだ。と、だれの目にもわかりきっていたことを確認する。
「……がんばってください」
そしてわたしはそう言うしかないのであった。
「はい、がんばります」
ノアはにこにこ笑っている。
まあ、わたしがパートナーに求める必要最低限の要求を満たそうと努力してくれるのは……たぶんこちらにとっても悪い話ではないはずだ。たぶん。きっと。おそらく。
その後はわたしからも色々と質問した。本当に些細な疑問だ。
医者はいるけど病院はあるのか――小さなところしかないらしい。
王様みたいなひとはいるのか――いるけど、土地管理者のような感じで権限は大きくないらしい。法やらなんやらは「評議会」が決めるとかなんとか。
そしてもっとも聞きたかったのがこれだ。
「義手とかって作れますか?」
この質問を聞いたノアは目をぱちくりとさせてから、思いっきり首をかしげた。
「義手――この場合は義腕でしょうか? 欲しいのですか?」
「ええ、まあ、その場合ノアさんに金銭的負担を強いてしまいますが――」
「その点は気にしなくても構いませんよ。わたしのつがいなのですから。――しかし、せっかく切ったのに、ですか?」
そうだった。この世界では「雌」は欠損箇所が多ければ多いほどいいのである。それを隠す? 補う? ような義手――義腕が欲しいと言うわたしの意見は、ノアにとっては予想外のものだったのだろう。
「よくない目で見られることもありますよ。基本的に義手の類いは雄がつけるものですから」
「ダメですかね……」
「いえ。クロハさんが欲しいと言うのであれば買いますよ、もちろん。ただ奇異な目で見られるのは避けられませんよ。わたしみたいに目立たない位置ではありませんからね」
……え?
「ノアさんって義手をつけているんですか?!」
「そういえば言っていませんでしたね。義手ではなく義足なんです。左足首から先がないんですよ」
えええ……まったく気づかなかった。そんな感想を素直に伝える。するとノアはちょっと困ったように笑った。
「魔力を補助に動かしていますからね。わたしのことをよく知らない方は気づきませんよ」
「魔力を補助に……? 魔力って、そんなこともできるんですね」
魔力……知れば知るほど夢の万能エネルギーって感じだ。ひとの感情も変えられるし、義足の動きも補助できるとは。
「ええ。ですからわたしの魔力を使えばクロハさんの義腕も自由に動かせるようになりますよ」
おどろきの事実が次から次へとわたしにぶつかってくる。
そんなに便利なら他の「雌」はどうしてつけないんだろうと思ったが、つけるとこの世界では「ブス」ということになるからか……。なるほど。
「ところでクロハさん」
「はい、なんでしょう」
「意外と今でも落ち着いておられるようですね」
「え? ええ、ああー……」
「もっと時間が経過されれば取り乱されるかと思っていました」
それはわたしも思っている。だって、生き残るためとはいえ右腕を切断したのだ。……なのにわたしの衝撃はさほど大きくない。はっきり言って、異常だと思う。たとえ、魔力とやらを流されているせいだとしても、だ。
たしかにじたばたしたって、もうどうしようもないことくらいはわかっている。頭ではそう理解できている。けれども心は?
「たぶん、夢を見ているような気分なのだと思います」
つまり、わたしは現実を直視していないのかもしれない。目をそらして、非現実の世界へ心を逃げ込ませているのかもしれない。そう思うと怖いような、なんだか不思議なような、なんとも言えない気分になった。
だって、「異世界」だ。物語の中でしかお目にかかれないような、超レアな事態に巻き込まれているのだ。脳が正常に危険を認識できなくても仕方がない。そう思いたい。
「では、そのまま夢を見ていてください」
ひどいこと言うなーとわたしは思った。たとえそれが優しさからくるものだとしても、だ。
けれどもそれがわたしにとってもノアにとっても、互いにとってハッピーな選択なのかもしれない。
「じゃあ、夢を見させてください。わたしが目覚めないように」
「夢の中のほうが幸せだと思えるように、努力はしますよ」
ノアは微笑う。今さらながら、彼が笑うことの意味を理解したような気がした。
「まあそれでも不安になりましたら言ってください。魔力を流して差し上げますので」
「怖いんだけど」
なんか、シリアスな空気が台無しだ。いや、ノアが言ってることはかなり怖いんだけれども。
けれども彼の思う壺か、なんとなく力が抜けて、わたしは形だけでも笑うだけの気力が戻ってきたのだった。