(25)
ふたりにはびくびくとおもねって欲しいわけじゃない。それでもよくデカい態度を取れるなあとわたしは感心していた。
ふたりは現状を受け入れたくないばかりに、拒絶的な態度を取っているのかもしれない。それはいわば熱病のようなもので、いずれ落ち着けばノアという存在のありがたさを理解できるだろう。
ふたりとはほとんど決裂していたが、わたしはそんな気持ちで彼女たちを受け入れていた。
しかし、そんな姿はどれほど滑稽だっただろう。
バカみたいにふたりとわかりあえると、わかりあおうとしていたのは、わたしの中に「元の世界」への未練があったからかもしれない。
けれどもそのことに気づけたのは、すべてが終わってからのことだった。
あるとき、ふたりが「お使い」から帰ってから少し様子がおかしかったことがあった。
いつもは不機嫌そうなオーラを出して周囲を威嚇しているリカとサヤは、その日は一日中なにかと顔を突き合わせて話し合っているようだった。
もしかしたらいよいよ己の行動を鑑みて改心することにしたのかとわたしは少しだけ期待した。
けれども翌日にはまたいつもの態度に戻っていたため、それは大いなる勘違いだったのだと気づき落胆したものだ。
実のところ、ふたりが「お使い」から持ち帰った手紙を受け取って、ノアの様子も少しだけ変わっていたのだが、彼女らのことで頭がいっぱいだったわたしは、不覚なことに気づかなかった。
そんな諸々のことがあってからきっかり一週間後の夜、わたしはベッドがぐっと下へ沈みこんだ感覚に、うつらうつらとしながらも目を覚ました。
そして心臓が飛び出そうなほど仰天した。
ベッドの端に乗っていた何者かが――リカがものすごい勢いでわたしに覆い被さって馬乗りになると、ハンカチだろう布製のさるぐつわを無理やり噛ませたのだ。
当然、わたしは反射で抵抗する。しかし腕を動かそうとしたところでリカが恫喝を始めた。
「ちょっと大人しくしててよ」
そう言って台所から失敬したのか、よく研がれた包丁の先をゆらゆらと見せびらかすように揺らした。
わたしの頭は疑問でいっぱいだった。よくよく見るとベッドの脇にはサヤが控えていて、その手には庭仕事で使っていたロープを持っている。こちらも勝手に拝借したものなのだろう。
彼女らはわたしを殺すつもりなのだろうか?
殺したいほどに憎んでいたのだろうか?
そう思うと心臓が冷たくなって、冷や水でもかぶせられたような気になった。
しかし、ふたりの目的はわたしの殺害ではなかった。
リカは包丁を突きつけたまま、注意深くわたしから離れる。
「動かないでよ。さるぐつわを取ったら……やってやるから」
思い返せばリカの手は震えていたように思える。いや、わたしがそう思いたいだけかもしれないけれど。
けれどもそのときのわたしは突然持ち出された凶器に釘づけで、仮にそれが事実であったとしても、そんなことに気づく余裕はなかった。
リカの命令通りに上半身を起こし、手を後ろに回す。そこへサヤが近寄ってきて手早く、しかし慣れない手つきで粗雑な拘束をした。
次にサヤはわたしの布団をはぐとその両足首にもロープを巻きつける。
「これでいいよね?」
「ちゃんとしばった?」
リカとサヤはいつものように顔を突き合わせてそんな物騒な会話を交わす。
わたしはふたりに問いただしたいことはたくさんあったが、口がふさがれているのでどうしようもない。
そのうちにサヤがひとり寝室の外へと出て行ったかと思うと、しばらくしてファミリアを連れ立って入ってきた。
あとから聞いたところ、このファミリアはノアのものではなく、ふたりが手引きして入れた無色の人間とのことだったが、このときのわたしには知る由もない。
「運んで」
短くそれだけ命令を飛ばしてサヤは一歩下がる。リカは包丁をわたしに向けたまま、同じように距離を取った。
わたしはリカの包丁が離れたのをいいことに、体を動かしてベッドから落ちようとした。落下したときの音で異常に気づかないかと思ったのだ。
けれどもそれはすぐ無色のひとによって阻まれる。わたしの体が床に落ちる前に、ぐいと恐るべき力で持ち上げて、肩にかついでしまったのだ。
「ちょっと、動かないでって言ったでしょ?!」
小声ながらも興奮した様子のリカの声が聞こえたが、次いでサヤがなだめにかかったので、わたしへの怒りはあまり持続しなかったらしい。
ここへくるとふたりがなにかしらの計画らしきものに沿って動いているのだろうということは、おぼろげながらにもわかってきた。
ふたりは計画を遂行することでいっぱいなので、余裕がないのだ。
しかし余裕がないのはわたしも同じだった。なにせ、なにをされるのかがわからない。目的も不明だ。だから、どういう行動を取るのが適切なのか――逆らったほうがいいのか、従ったほうがいいのかが、まったくもってわからない。
幸いにも目隠しはされなかったが、いよいよもってわたしはどこかへと拉致されるようだった。
体をひねってみても無色のひとの力は凄まじく、逆にロープが肌にすれて段々と痛くなってきた。そのうちにわたしの力では抵抗は無理なのだと悟った。
先導するのは無色のひとで、そのうしろにわたしの目の前へ包丁を向けているリカ、そしてサヤが続く。
屋敷を出て、門扉をくぐって道路に出たかと思うと、三人は森のほうへと進んで行った。
そしてその鬱蒼とした薄暗い森の中には、隠されるようにして立派な馬車が一台、停まっていた。
車の部分に雑に乗せられると、ふたりも同じように車の中へと入り、無言のままイス部分に腰を落ちつけた。どうやら御者は無色のひとらしい。車部分の扉を閉めると、じきに馬の吐息が聞こえて、馬車はわだちを刻み始めた。
わたしはじっと身を固くして周囲の音へと気を配る。しかし車が枝に当たる音や、夜鳥の泣き声に、車輪が回る音ばかりでなんの情報も得られなかった。
ロープは粗雑な巻き方だったのでほどけるのではと思って、後ろ手でもぞもぞと動きを繰り返しているものの、なかなかゆるむ気配を見せない。
おまけにロープのざらざらとした表面のせいで、肌がかなり痛くなってきた。それでもわたしはそのこっそりとした動きをやめなかった。
車の中の空気は重く、いつもは饒舌なリカとサヤは馬車に乗ってからも押し黙ったままだった。
ときおりたわむれのように動くリカが持つ包丁の刃が、カーテンの隙間から入ってくる月光を反射するのがまぶしかった。
馬車はどれほどの道を行ったのだろうか。永遠とも呼べる時間は終わりを告げて、馬車は車輪を止めた。
次いで続けられたのは乗るときと似たようなものだった。まずふたりが降りて、次にわたしが無色のひとにかつがれて馬車から出る。
どうにかこうにか顔を動かして周囲を見ても、夜なので景色がよくわからない。ただ、眼前に広がる景色のほとんどを占めていたのは、灯りの中、闇に浮かぶ、それはそれは豪奢なお屋敷だった。
お屋敷を見てサヤはため息をついた。それがどういう種類のものであったかはわからないが、恐らくは安堵だろう。
その吐息のようなため息を聞いて、わたしはこの計画の首謀者が屋敷にいるのではないかと直感的に考えた。
「ようこそようこそ。よくきてくれましたねえ」
応接間らしき部屋に通された三人を出迎えたのは、神経質そうな顔をした雄だ。両手を揉みこむようにくねくねと動いているのを見て、なんとなくいい印象は抱けなかった。首謀者かもしれないという疑念があったからかもしれない。
しかしそれを抜きにしてみても、その雄の笑顔はねとねとしているというか、どことなく信用ならない感じがするものだった。
「約束通り連れてきたわよ」
リカからその言葉を聞いても、「ああ、やっぱりか」という思いしかなかった。やはりこの雄が今回の首謀者なのだ。
雄は無色――恐らくは彼のファミリアだろう――に命じてわたしを床に下ろした。といっても両手足を拘束されているため、立ったり座ったりはできない。転がされる、というのが正しいだろう。
不幸中の幸いは、下が毛足の長いお高そうな絨毯だったことくらいだろうか。
無色のひとはわたしを床に置くと、雄に「下がれ」と命じられて部屋を出て行った。
パタン、と扉の閉まる音がするのとほとんど同時に雄はまたニコッとうさんくさい笑みを浮かべる。
「――それで、約束は守ってくれますよね?!」
どこか落ち着かない様子でリカが言い募ると、雄は「まあまあ」と腰を上げた彼女をソファに座らせた。
「契約書はすでに用意してありますから」
「本当よね? 嘘じゃないわよね?」
「ええ、ええ、もちろん。嘘なんてつきませんとも」
まだ完全に話が見えたというわけではないものの、わたしはなにかしらの取引の材料にされたのだ、ということはわかった。
雄はそのままふたりを促して部屋から出て行った。
ぽつんとわたしはひとりその場に残される。縛られているとはいえ、ここまで無視されるとは思わなかったと、場違いな感想を抱きつつ上半身を起こして周囲を見回す。
屋敷の外観にたがわずなかなかに豪華な装飾が目立つ部屋だ。応接間ならここで金銭の豊かさを顕示するのだろうということが想像できた。
おっと、そんなことを考えている暇はない。
わたしはまたもぞもぞとした動きを再開させる。ロープはだいぶゆるんできて、もう少しで手首を抜くことができそうだった。
しかし、それがなかなか進まない。そしてやはりロープの表面が肌に傷をつけて行くのが痛い。
その地味な痛みがわたしのいら立ちを募らせる。
――あ~っ! もうっ!
そうしてそのイライラが頂点に達した瞬間、ふわりとなにかが右腕に流れたような気がした。
そしてブチィッ! という盛大な音が聞こえたかと思うと、気がつけばわたしは義腕のはまった右腕でロープをぶち切っていたのだった。
え? なにこれ?
そう思いつつ体は冷静にさるぐつわを外す。
残りは足の拘束だが、ためしに義腕に意識を集中させて、ロープをちぎるイメージを思い描く。
そうするとまたふわりと温かな感触が右腕に流れて、いとも簡単にロープを引きちぎることができた。
「な、なにこれ……」
よくはわからないが、あの「ふわり」とした感じは覚えがある。魔力が流れたときと、同じ感覚だ。
となればこの右腕の馬鹿力は魔力を利用した、魔法のようなものなのだろう。
しかしこんな機能があるとは知らなかった……。帰ったらノアに聞いてみよう。
そう場に似合わぬのん気なことを考えながら、わたしは外したロープを床に放り投げて立ち上がった。
心臓をドキドキとさせながら部屋の扉をひっそりと小さく開け……ようとして失敗した。外からかかっていた南京錠を破壊してしまったのだ。けれどもその音は幸いにもあまり響かなかった。
気を取り直して扉の隙間から外を観察してみてる。しかし見張りらしき人間の姿はなく、高級ホテルのような洗練された印象の廊下が広がるばかりだ。
思い切って、扉を大きく開ける。廊下に一歩、足を踏み出す。足音は思ったよりも大きく響かない。いい家なんだろうな~と、爆発しそうな緊張をほぐしたくて、そんなことを考える。
廊下を進めばすぐにエントランスホールが見えた。装飾の多い、大きな玄関扉はすぐそこだ。
さっさと逃げてしまおう。そう思って扉に向かって足を踏み出そうとした瞬間、「助けて」という声が聞こえてわたしは振り返った。
それとほとんど同時に、廊下の奥、角から出てきたサヤが足をもつれさせて転んだ。
どすん。サヤの体が床にぶつかって転がる音がやけに大きく聞こえた。
ついで角から出てきたのは、さきほどの笑顔をどこかへやった、醜悪な顔をした雄だった。
「逃げるな!」
そう言うや男はサヤの背中を躊躇もなく踏みつけた。「ぐえっ」。サヤから平素では聞かないような声が漏れ出る。
「逃げるな! 逃げるな!」
男は何度もサヤの背中を踏みつける。そのたびにサヤは哀願の言葉を漏らそうとしたが、すぐにそれらはカエルを潰したような声にかき消された。
わたしの心臓は聞いたこともないほどに速く鼓動を刻んでいた。
突然眼前に晒された暴力に、体がすくむ。足が震える。心臓が痛い。
けれどもサヤを助けるべきかと理性的に考える前に、目の前で繰り広げられる暴力を止めたくて、体が――右腕が動いた。
「げえっ」
サヤに代わって喉からそんな声をひり出したのは、雄のほうだった。
わたしのロープを引きちぎる馬鹿力で突き飛ばされた雄の体は一瞬だけ宙を舞い、壁に叩きつけられたのである。
「ク、クロ……」
「早く!」
そのまま右手でぐいっとサヤの体を引き起こし、腕を引っ張った。
リカのことは気にはなったが、ひとまず脱出するのが先決だ。
よろよろと立ち上がったサヤの手を引いて廊下から一直線、エントランスホールへと出る。
「つかまえろ! つかまえろ!」
廊下の奥から雄の声が恐ろしく響き渡る。その声に呼応してわらわらと奥の部屋から雄のファミリアたちが現れた。
「玄関! 鍵!」
サヤが焦ったように声を上げる。玄関扉には鍵がかかっているのではと言いたいのだろう。
しかしわたしは躊躇なく右腕を振り上げた。
一撃。一撃では扉は壊れなかったが、木目に沿ってヒビが入った。
二撃。ヒビが割れて木片が飛び散る。それでも隙間が開いた程度。
だが三撃目を振るう必要はなかった。
扉にできた隙間から見えたのは――
「手を上げろ!」
屈強な雄たちが扉を破ってなだれ込む。それに押されてわたしはサヤの手を離してしまった。
怒号が飛び交う視界の端でサヤが雄に拘束されるのと同時に、わたしもあっという間に後ろ手にされて手錠をかけられた。
――それからノアと再会するまでは、目が回りそうな電光石火の出来事だった。




