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(2)

 妙に体が熱い。特に胃のあたりが。その不快感にわたしは気がつけば腕を伸ばしてもがいていた。


 そんなことをしばらくしてから、ようやくまぶたを開いた。ねぼけまなこで周囲を見渡せば、明らかに見知らぬ場所だったのでおどろいて上半身を起こす。


 室内は控えめながらもロココ調の片鱗が見られる華美な装飾がいくつかあった。そしてわたしが寝かせられていたベッドは天蓋つきである。こんな事態でなければ珍しい体験にひそかな喜びを覚えたことだろう。


 見知らぬ場所にいるという懸念以外にあったのは、なぜか体が熱っぽく、脈拍が速いという点だ。それから頭がぼんやりとしてモヤがかかったようになっている。この症状には覚えがあった。酔いだ。


 もちろんごく普通のそれなりに真面目な中学生であるわたしは、積極的に酒類を摂取したことなんてない。ただわたしは体質的にアルコールに弱いらしく、チョコレートボンボンに入っているごく少量のウィスキーだけでも酔ってしまうくらいなのだ。


「あ、クロハ、起きたんだ~」


 よく聞き馴染んだ間延びした声が聞こえて、わたしは同じ部屋にナナがいることを知った。ナナは白を基調に金のツタ模様が入った豪奢なソファに腰を落ち着けて、なにか飲み物に口をつけていた。


 まず真っ先にわたしが問うたのはここがどこかということだ。ナナは答えた。「異世界」だと。


 わたしはわけがわからなかった。だから次にわたしになにかを飲ませたかということを聞いた。ナナは「気つけ薬? とかなんとかを飲ませて行ったよ」と答えた。気つけ薬の正体が酒であろうことをわたしは察した。


「ねえ、どうしてそんなに冷静なの?」

「ええ~? ヒステリックにわめいてもなにも変わらないじゃん? え? クロハは怖いの?」


 ナナはあの件でわたしを許してはいないんだろう。わたしに許しを求めながら。それは彼女の稚拙な挑発からも察せられた。


 わたしはそんな挑発には乗るまいと思いつつも、少しだけ冷静さを失った。ただでさえ「気つけ薬」とかのせいで思考力がにぶっているのだ。それは同時にわたしの頭から理性がわずかながら流出してしまっていることを意味していた。


 幸いにもナナの言葉は的を射てはいなかった。頭がぼんやりしているせいで、わたしの心もにぶっていたのだ。


 次にわたしたちはどうしてこの部屋にいるのかと聞いた。ナナは「疲れているだろうからしばらく休んで、だって」と不機嫌そうに答えた。


 ナナは明らかにわたしの態度に不満を持っている。それでも最低限の受け答えをしてくれるのは、恐らく彼女も今の状況に不安を抱いているからなんだろうと思いたい。


 それからナナは信じがたいことを話しだした。


 曰く、わたしたちを呼んだひとたち? とやらはわたしたちに「聖女」になって欲しいらしい。わたしはその荒唐無稽さに仰天した。しかしナナはすでにそれを受けると答えてしまったと言う。なんて迂闊なことをしたんだろうとわたしはまたおどろいた。


 そもそもわたしたちを呼んだってなんなんだろう? そういえばナナはここが異世界だって言ってたっけ? 頭の中に大量のクエスチョンマークが飛び交い、わたしは混乱した。


 わたしはナナに聞いた。どうしてそのわたしたちを呼んだ? ひとたちを信じているのかと。ナナは言った。


「うーん、たしかに怪しいけど本気で困ってるみたいだったし、優しいしイケメンだし~。困ってるひとを助けるのは当たり前のことでしょ?」


 わたしは頭を抱えたくなった。恐らくナナはイケメンに優しくされて舞い上がっている。彼女がかなりのメンクイであることは幼馴染ゆえに嫌というほど知っていた。それで痛い目を見たことがあることも知っている。だというのに、まったく学習していないらしい。


 わたしはこれを夢だと思いたかった。


「なにが『助けて欲しい』だよ……こんなの拉致と同じじゃん。犯罪だよ」


 小さく吐き捨てるようにそう言ったものの、ここが異世界ならばそれらが違法であるという保障はどこにもないことに気づいた。むしろ合法だからこそ、堂々とわたしたちを呼び出して「聖女」がどうのという話をした可能性もある。いや、その確率が高い。


「ねえ、部屋からは出ちゃダメなの?」

「え? 出るなとは言われてないけど」


 ベッドから足を下ろして毛足の長いカーペットを踏む。足取りはまだそれなりにしっかりとしていた。それでも逃げようと考えれば心許ないものであるものであることも、また確かだった。


 逃げる。周囲の状況はわからないけど、逃げ出したほうがよさそうな気がする。直感的にわたしはそう思い、それはにぶった思考力の中でいつしか確固としたものになっていた。


 けれどもひとまずは部屋の周囲を歩いて回ってみよう。外出を咎められても「気分転換がしたくて」とか言えば大丈夫だろう。たぶん。


「ねえクロハ、どこ行くの?!」


 わたしが大きな観音開きの扉に手をかけると、背に焦ったようなナナの声がかかった。けれどもわたしはそっけなく「外の空気を吸ってくる」とだけ答えて足早に部屋をあとにした。


 異世界と言われたからどんな光景が目に入るかと思ったが、そこはわたしたちのいた世界とそう変わらなかった。


 扉を出てすぐの白亜の廊下は中庭に面していて、空からはわたしの気など知らない穏やかな陽光が、燦々と降り注いでいた。


 わたしは異世界になんかには来ていなくて、ナナにかつがれているんじゃないかと思った。


 けれどもその考えはすぐに失われ、わたしはまた頭を抱えることになるのだった。


「このままではあなたがたは殺されます」


 だれかに見咎められるところまでは予測できた。でも、こんなセリフを投げつけられるなんてことを予測しろと言うのは、ちょっと無理だろう。


「信じがたいとは思いますが」

「ええ。……その、帰ることはできないんですか? その、元の世界? に」

「はい。残念ながら」


 中庭に備え付けられたこれまた白いベンチに並んで腰かけているのは、年の頃二〇歳前後に見える、取り立てるような特徴のない地味な男。


 失礼を承知で言えば、まず間違いなくナナの言うイケメンには入らないような顔立ちである。かといってブサイクというわけでもないのだが。


 異様なのはカッチリとした服の裾から覗く、ツタ模様の黒いタトゥー。それは手の甲から指の先まで及び、首元からもくねくねとしたツタ模様が覗いている。なにかしら文化的な背景があるのだろうが、見慣れない装飾に思わずチラ見してしまう。


 わたしは髪に手をやって、そこで初めて毛先が乱れていることに気づいた。恐らく、ベッドに寝ているあいだに乱れてしまったのだろう。ちょっと恥ずかしくなって、慌てて髪を整える。


 それを見てかかはわからないが、男は衝撃的なセリフを放った口を困ったようにゆるりと緩めた。


「冷静ですね」

「そうですか?」

「他の方はまったく信じてくださらなくて、大変でしたので」

「他の方……えっと、もしかして茶髪で右の目元にほくろのある?」

「そうです」


 間違いなくナナだ。というかナナはこんな物騒なことを言った男の存在を隠していたのだろうか? いや、丸きり嘘だと思って早々に忘れてしまったのだろう。ナナの性格を鑑みれば、そうである可能性が高い。


「それは……大変でしたね」

「……ねぎらいの言葉をかけてくださるなんて、変わってらっしゃる」


 男は眉を下げたままちょっと笑った。わたしはそれを見て笑っているほうが愛嬌があっていいなと場違いなことを考える。


「まあ、そんなことより本題に行きましょうよ」

「そうでした」

「それで――殺される、でしたっけ? 穏やかじゃありませんね」

「そうですね。信じがたいことかとは思いますが、残念ながら事実です」


 言うまでもないがわたしの頭は未だにぼんやりとしたままだ。当初よりは多少クリアになってはいるものの、相変わらず思考は霧がかったような状態である。


 よってわたしは不穏当な話題にも特に緊張することなく、他人事のような目で場を俯瞰していた。


 それでもナナの主張する「聖女がどう」という話よりも、彼の言葉のほうがなんとなく信頼できそうな気がしてはいた。だって「あなたは聖女です!」って言われて「まあそうなのね! わかったわ! まかせて!」って超速理解した上で受け入れてしまうなんて、相当能天気でなければできない芸当だと思ってしまう。


 しかしナナの話よりも彼の話のほうが現実味があると考えてしまうのは、わたしがひねくれているだけだからかもしれない。


「……殺されるのは嫌ですね」

「だれだってそうでしょう」

「ですよね」

「『聖女』とは『聖餐(せいさん)の乙女』とも言い変えられて――早い話があなたがたは『食材』なんです」

「カニバリズムですか」

「ええっと、ちょっと意味は違うと思うのですが……とりあえず『食べられてしまう』ということを理解してくだされば」

「なるほど」


 そう言えばなんで言葉通じてるんだろう? と思ったことを口にすれば、魔力と呼ばれるものを肉体に通すと生物であれば一時的に意思疎通が可能になるんだそうだ。


「話を戻しますが、あなたはもちろん食べられてしまうのは嫌ですよね?」

「そりゃ、もちろん。痛そうですし」

「それで、一応抜け道と言いますか、食べられずに済む方法があるんです」

「おお」


 テレビショッピングの出演者のごとく大げさな声を出すと、男はそれが面白かったのかクスリと笑った。


「それで、その方法とは」

「はい。手足を切り落とせばいいんです」


 ……え?


「……それは、手足は食べてもいいので命だけはカンベンしてくださいっていうような、お話ですか?」

「いいえ」


 男はゆるく首を横に振る。


「手足を切り落として、この世界の『雌』となり、『雄』と『つがい』になれば、生きながらえることができると、そういうお話です」

「手足を切り落として……? えーっと、この世界の『雌』とやらは手足がその……ないんですか」

「いえ。ある方もいらっしゃいます。けれどもないほうがいいですね」

「いいんですか」

「生まれつきの欠損箇所が多いほど美しいとされるからです。まあ、ですから手足すべて切り落とせとは申しませんが……」


 言葉も通じていたし身なりも普通の人間と変わりがなかったから、なんとなくこの世界はわたしのいた世界とそう大差がないのかと思っていた。けれどもどうやらそれは、大きな勘違いであったらしい。


「それで、どうされますか?」

「どうもこうも」

「まあ、そうでしょうね。けれど時間がないんです。明日、明後日にも聖餐の宴が開かれます。手足を切り落とすのであれば、それまでに済ませなくてはなりません」


 そうは言いながらも、男にはあまり切羽詰まったような様子は見られない。


「痛くないんですか?」

「麻酔を使いますので、痛みは術後に少々という感じでしょうか」

「術後はどうすればいいんでしょう。えっと、つまり、生活はどうすれば?」

「僭越ながら私が『雄』として面倒を見ます」

「それはつまり、結婚するということですか?」

「似たようなものだと、思っていただければ」


 わたしは男の説明を聞きながら、もしかして嘘なんじゃないだろうかという思いが芽生え始めていた。


 しかし仮にそうだとして、男の目的は? 嘘だとしてもナナの言う他のひとたちが本当のことを言っている保障もないよね? でもだとしたらどっちにしろ痛い思いはしなきゃならないわけで……。


 ……頭が痛くなってきた。


 ただでさえ毎日親の態度に悩んで思春期らしく感情が高ぶって泣いたりして、それで学校ではナナたちに見下されて、それでいて保険に切るための使い勝手のいいカード扱い。先生はそれを知ってるのに助けてはくれない。わたしをいいように使おうとするのはおばさんも同じで――。


 こんなに悩んで、悩みがいっぱいあるっていうのに、その上異世界とやらでもまた頭を悩ませることになるなんて。


 ……なんか、なにもかもが嫌になってきた。


 わたしはもうひとつの可能性を思い出した。


 これが夢だという可能性だ。


 そうだ、異世界なんて馬鹿馬鹿しい。聖女とか、食材になるとかも非現実的すぎる。なら、これは夢に違いない。夢。そうだこれは夢なんだ。


「面倒、見てくれるんですよね?」

「もちろん。決して、たがえたりはしません」

「最期まで?」

「最期まで」


 なんだか教会で誓いの言葉でも交わしているかのようだ。現実はもっと、物騒で血なまぐさいわけだが。


「じゃあ、わかりました。あ、でも手足すべて切り落とすのはいやです。腕だけで――えっと、片腕だけでお願いできます……?」

「わかりました」


 それはほとんど投げやりの言葉だった。けれども男の顔はぱっと華やぐ。その笑顔はやはり妙に愛嬌があって、ずっとにこにこしていればいいのにとわたしは他人事のように思った。


 あーあ。夢なら早く覚めてくれないかな。


 いっそ、わたしが現実だと思っていることも、夢だったらいいのに……。

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