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不憫少女が異世界でなんだかんだと幸せになる話。  作者: やなぎ怜


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(19)

 生理が終わってからの気晴らしと、以前から興味があったようなのでというノアの言から本日は彼のお仕事見学である。


 場所は海に向かって張り出した展望台のようなところ。その先端には空に向かって伸びる楕円形に近いモニュメントのようなものが建っていた。


 ノアたちはその足元に集まって空を変える準備をしている。そう、ノアは夜を出してたたむ担当なので、それとは別に夕方を出してたたむ担当がいるのである。その担当とは――わたしからすると――おどろいたことにレウだったのだ。


 そう、わたしの義腕を作ってくれた恩人であり、ノアのいとこでもあるレウ。どうやら義手やらを作る以外の本業とはこれのことだったらしい。


 ノアたちによると彼らの「家」は代々空に関わる仕事を生業とすることが多いようで、他のいとこたちも似たような仕事に就いているとのことだった。


 そうこうしているあいだに準備が終わったらしい。


 レウが空に向かって何度か手を振った。すると急に頭上に広がる日暮れの色が揺れる。次いでざわざわと、かすかなささやきのような音が空から降ってくる。


 かと思えば空に亀裂が走った。ガラスになにかをぶつけたときのようなクモの巣状の傷ではなく、まるでパズルピースの境目が急に現れたような変化だった。


 その境目に沿って空が分離し――降ってきた。


「うぁっ」


 おどろいたわたしは反射的に腕で顔をおおう。けれどもすぐにそんなことをする必要はないと気づく。


 それらはバラバラになりながらも一点へと収束して行く。そう、レウが手にした大きな白い――とは言ってもいささか経年劣化が見られる――袋へと、それらはゆっくりと集まって行く。


 そしてそれと入れ替えにノアが手元の袋の口を開けた。そこから勢いよくなにかが飛び出した。目を凝らしてみれば、それは鳥のように見える。大きな黒い鳥。カラスに似ているかもしれない。


 それが夕暮れのパズルピースと入れ替わるようにして意気揚々と空へ上がって行く。それらは空の一点に到達すると、動きを止めそれからさらに大きくなったような気がした。鳥の羽ばたきはいつしか境界が溶けて消えるようになくなり、夜の闇が作られて行く。


 それでもまだ、太陽があるので明るい。濃紺の空に浮かぶ太陽というのは、なかなかに不思議な光景だった。


 レウが最後の仕上げとばかりにもう一度空に向かって手を振った。すると太陽が音もなく小さくなって行き、目に見えないほどまでになると急にその点が消えた。どうやらレウの手元に向かって落ちて行ったらしい。


 太陽を回収したレウはそれを夕暮れが詰まっているだろう袋へ無造作に放り込んだ。


 途端、当たりが真っ暗になった。常闇(とこやみ)、というのはこういうことを言うのだろうというような暗さである。あわてて視線を下に向けて見るも、足元どころか腕すらも見えはしない。


 ちょっとしたパニックに陥りかけていると、急にふわっと光りが上がった。蛍のような光が、思ったよりも強く周囲を照らしながら上って行く。それは月だった。


 ついでバサリ、と布をはためかせた音が響き渡る。わたしの視界を占める暗闇に、小さな白い点が瞬き始めた。星だ。


 星はきらきらと見たこともない美しさで輝きながら、月を追うようにして空へと上って行く。


 月は空の一点にさしかかると、急に動きを止めてそれから大きくなった。月光が地上へと差し込み、わたしの足元に濃い影を落とす。そしてその周囲では星たちが定位置へとついて、よりいっそう輝きを持った。


 それらの美しさにわたしが息を止めているあいだに、夜は完成したのだった。


「初めて見たときはおどろくと同時に感動したわ」


 わたしの隣にいる車イスに座った両脚のない美少女――レウのつがいであるチルベがそう言った。


 わたしがノアについて仕事場にくるのだと知って、彼女はわざわざついて行きたいとレウに頼んだそうだ。それを先んじて聞いていたときはどんな相手が来るのかと恐怖半分だったが、知り合ってみればチルベはレウと同様、気さくで付き合いやすい感じの少女だった。


「貴女はどう?」


 チルベの問いにわたしは言葉もなく何度もうなずいた。彼女が最初に抱いた感想と、わたしが抱いた気持ちには一句も違いがなかったからだ。


 それに、心が震えて声が出ない。こんなにも不思議で、そして美しい光景がこの世にはあったのだと思うと、感動という一語だけでは今の気持ちを到底表しきれない。


「本当に……すごくて。言葉もないです」

「そうよね。わたしもそうだったわ。こうして空は作られているんだって思うと同時に、それに携わっているレウたちを誇りに思ったの」

「はい……わたしも」


 ぼんやりと空を見上げていたわたしだったが、チルベがこちらを見ていることに気づいて口でも間抜けに開けていたかとあわてる。


 けれどもチルベが言いたいのはそういうことではなかったようだ。


「ねえ、あなたたちのこと、どう思われているか知っている?」

「……いいえ」


 恐れ半分、チルベをそういう目で見ると彼女はおかしそうに笑った。しかしその笑い方に嫌な感じはしない。微笑ましげな、そういう笑い方だった。


「そんなにびくびくしなくても大丈夫。そりゃあ貴女たちのことを悪く言うひともいるけれど、まあそんなひとはどこにでもいるものね」

「まあ、そうですね……」

「大多数のひとはロマンチックなおとぎ話でも聞くような感じだから、大丈夫よ」

「えっ」


 チルベによるとわたしとノアがつがいになった概ねの経緯は広く流布しているらしかった。出所はあの場に居合わせた雄たちなんだろう。


 チルベ曰く「ロマンチックなおとぎ話」というのは食用のわたしにひと目惚れしたノアが、その命を救ったことがなんだか――チルベの言いぶんを総合すると――美化されているかららしかった。


 もちろんそうでないひともいるわけで、そういうひとたちからはノアは大変な変人だと思われているとのことだった。


 わたしとしては後者のほうが気持ちはわかる。この世界のひとたちとほとんど変わらない姿をしていると言っても、わたしは異世界の人間で、そして食用の生物だったのだ。そんな存在を大事な「つがい」にするなんて変なヤツ、と思うのが恐らくは一般論なんじゃないだろうか。


「ロマンチック……ですか」

「ピンときていない顔ね」

「ええ、まあ」


 わたしがなんとも言えない顔をしているのを見て、チルベはまたおかしそうに微笑んだ。


「異世界から来た貴女にはなじみがないのも仕方がないけれど、そういうおとぎ話があるのよ。聖女として呼び出された女の子に王子様がひと目惚れしてしまって、つがいになるために課せられた試練をくぐりぬけて行くの。よくあるおとぎ話だけれど、だれでも知っているような話なのよ」

「……なるほど、そういうわけで」


 納得は行った。おとぎ話だと思っていたことがほぼ現実に起こって、それでみんな興奮して正常な判断力を失っているんだ。……冷静に考えればノアが変わっていることにそのうちみんな気づくのだろうが、そのときにはもう周囲は慣れてしまっていそうだ。


 チルベの話がどこまで本当かはわからない。もしかしたら、わたしに気を使って好意的な意見だけを伝えたのかもしれない。


 それでも、たとえ少数だとしてもわたしたちのことを好意的に受け入れてくれる、レウのようなひとたちがいることを知れたのはよかった。それだけでもずいぶんと救われるというか、ほっとしたというか……とにかく安心した。


「なんにしてもノアが幸せそうでよかったわ」

「幸せそう……ですか」

「ええ。わからない?」


 わたしにはわからなかった。だからゆっくりとうなずいた。


「つがいの幸せな顔は、そのうちわかるようになるわ」

「そうだといいんですけど……」

「大丈夫よ、貴女なら。ノアは今、とても幸せそうな顔をしているもの。わたしが言うことじゃないとは思うけど、ノアをよろしくね?」

「……はい。どちらかといえばわたしがノアによろしくされているほうだとは思いますが……」

「それでいいのよ」


 チルベの白い腕が伸びて、わたしの肩に小さな手が触れる。その手は温かく、柔らかかった。


 チルベは下手をすればわたしよりも年下に見えるのだが、その物言いや所作は、わたしよりもずっと大人びている。だからこそ、なんだか安心感があった。


「雌はどんと構えて雄を迎え入れてあげればいいの。大丈夫よ」

「……はい。ありがとうございます」


 大丈夫。チルベにそう言われると、なんだか本当に大丈夫なような気がして心が楽になった。


 まだわたしにはこの世界で生きて行くという決意の証――花紋の刺青はないけれども、なんとなく、それをしても大丈夫だろうという気持ちが湧き出てきた。


 それでもまだ恐れがあるのは、わたしの心が弱いからだろう。ノアの優しさを利用しながら、そこには完全に身を委ねられないという弱さが、まだわたしの中には残っていた。


 わたしたちと同様に世間話を終えたのか、あるいはこちらの話が終わるのを待っていたのか、ノアとレウがこちらへと歩いてくる影が見える。


 月光が照らすノアを見て、その黒い目と視線が交わった。暗がりの中でもわかる。今、ノアが微笑んだ。


 それを見たわたしの中に、自然と愛おしいという言葉が浮かんできた。


 ああ、わたしはノアのことを――。


 黒い海が波しぶきを上げてうなる。それはまるでわたしの心の中のようだった。

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