(12)
結局わたしはひとまず庭園の手入れという仕事をもぎとった。
庭園の手入れといっても本格的なことは当然ながらできない。そのうえ、今の庭の惨憺たるようすたるや筆舌に尽くしがたい。
枝は好きな方向へ伸び放題、雑草は生え放題、お陰でもとは綺麗に整えられていただろう砂利道もぐちゃぐちゃと、あんまりなありさまなのだ。
「ここに引っ越してきたときは綺麗だったんですけどね」
とはノアの弁であるが、そこからなにもせず放置していたらしい。
なぜかと問えば特に外へ出ることがないいわゆるインドア派なので、庭の様子も気にならなかったそうだ。
たまにサンルームから庭を見ても、「まあこれはこれでいいか」と思っていたらしい。……さすがにこのありさまはよくないと思うんだけれど。
そういうわけでわたしはこの庭園を最低限見れるように整える、という仕事を拝命した次第なのである。
といってもすること――というか、できることは雑草抜いて枝葉を切って、砂利をまた敷くくらいのことだけだが。
そんなことを言い合いながらわたしはノアに庭園を案内される。ファミリアもひとりだけ同道していた。彼女――めんどうだからこれからは彼女で統一する――は相変わらず無表情で押し黙ったままだ。
けれどもそれは不機嫌だからとかではなく、デフォルトのごく自然な状態なのだと短いあいだでもわかった。それでもなんとなく気にはなってしまうのは、わたしが異世界人だからだろうか。
「ところで義腕の調子はどうですか?」
「ちょっと試してみてください」とノアは膝よりも上の位置まで伸びていた雑草を指差す。先のほうを手にとってみるが、うまくつかめない。力が入らずするりと抜けてしまうのだ。
しばらく格闘して力の込め方のコツをつかんだわたしは、勢いよく雑草をつかんだ。今度は成功したが力が強すぎたらしい。引きぬこうとした途端、ぶちりと音を立てて葉が真っ二つに引き裂かれてしまった。
「うーん……」
「庭園を整備しているあいだに練習するといいですよ。幸い、壊されて困るようなものはここにはありませんから」
そう言ってくれるとありがたい。ノアの言葉に甘えて、義腕を使う練習はここでしよう。左手だけで食事をしたり所用を済ませたりするのはなかなかつらい。
「ノアさん、あそこはなんですか?」
ふと、もさもさと草木が生い茂った庭園の奥に鉄製の柵扉が垣間見えた。わたしはそれを指さす。ノアはそれを見て「ああ」と合点した声を出す。
「丘園ですね」
「きゅうえん?」
「丘があるんです。行ってみますか?」
「入ってもいいのなら行ってみたいです」
「それじゃあ行きましょうか」
「あ、でも……」
近づけば鉄でできた柵の扉にはごつい南京錠がかけられている。ノアが鍵を持ってきていなければ手間をかけさせることになる、と思って彼を見た。しかしノアはすたすたと扉のほうへ歩いて行ったので、わたしは鍵は常に持っているのかな? と思った。
だがその錠に形ある鍵は必要ないらしい。ノアが少し錆びの浮いた錠を手にとってしばらくすると、たしかにカチャリという音がしたのだ。間違いなく、錠が開いた音だろう。わたしは何度かおどろきにまばたきをした。
「さあ行きましょうか」
ノアは振り返ってそう言ったあと、おどろいた顔をしたわたしを見て、おや、というような表情を作る。そのあとまた「ああ」というような顔をした。
「これは魔力錠といって特定の魔力を流さないと開かない錠前なんですよ」
「この世界の錠前ってみんなこんな感じなんですか?」
だとしたらわたしはどうやったって開けない……。と思ったが違うらしい。
「いえ、普通の魔力を使わない錠前のほうが多いですよ。魔力を持つのは雄だけですから。まあ供給を受けていれば雌でも開けられないこともないのですが……」
「へえー」
色々なところで出てくるなあ、魔力。それだけ便利に使えるもの、ということなのかな。
そんなことを思いつつノアに先導されて門をくぐる。
丘園には目立った木々はなく、芝肌が乱れた広々とした土地があるばかりだ。中心部にあるという丘は思ったよりも勾配はなだらかで、萌黄色の斜面に寝転んだら心地よさそうである。ピクニックシートを敷いた光景がなんとも似合う場所とも言える。
そして丘を取り囲むようにして川と河原がぐるりと広がっていた。ところどころに平らに切り出した板を渡しただけの橋がある。
「ここはあまり荒れていませんね」
「芝ばかりで荒れようがないですからね」
「ここにもほとんどきていないんですか? 寝転がったら気持ちよさそうですけれど」
そよそよと穏やかな風も吹いている。名前も知らない花も咲いているし、リラックスするには絶好の場所ではないだろうか。
わたしからすれば絵に描いたような――「穏やかさ」を体現したような場所に見える。
けれどもノアからすればまた違うようだ。
「ここはあまりいい思い出がないので……」
「そうなんですか?」
「はい。ここ、ずいぶんと開けているでしょう」
「そうですね。かなり広いです」
そう言ってからぐるりと周囲に目をやる。遮蔽物がまったくなく、どこまでも萌黄色が続いている。
ときおり聞こえるのはさわさわという雑草の葉がこすれあう音と、さらさらと川を水が流れて行く音くらいだ。あとはどこか遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「ですから魔力の練習には最適なんですよ」
そのひとことだけで、わたしはなんとなくノアの言わんとしていることを察した。
「今の仕事ができるようになるまで何度もここで練習をしたんです。私は優等生というわけではないので、なかなかうまく行かなくて……。そのお陰で今の私があるのですが……。まあそういうわけで、あんまりいい思い出のない場所なんですよ」
ノアが優等生ではなかったというのはちょっとおどろいた。なんとなく雰囲気としては優等生的であったからかもしれない。振り返ってもなにごともそつなくこなしている印象があったから、ちょっと意外だ。
「……そういえばノアさんってどういったお仕事をされているんですか?」
「夜を作る仕事です」
「??? 夜を……? 作る?」
わたしは頭上に特大のクエスチョンマークを点灯させた。
それを見てノアはちょっと困ったように笑った。
「そのままの意味ですね。朝から昼のあいだにその日の夜を作って、月や星の配置を決めて、夕方の終わりに夜を出しに行くんです」
ノアの説明は簡潔だった。恐らく、そうとしか説明できないのだろうが、わたしの想像を超える言葉の数々について行けない。
夜って毎回作るのかとか、出し入れするものなのか、とか月や星の位置ってノアが決めてるのかとか疑問は尽きない。
「まあ機会があれば見学されるというのもいいかもしれませんね」
「ぜひそうしたいです」
すごくファンタジーな光景が見られそうなその言葉にわたしは食いついた。
ノアはノアで自身の仕事に興味を持ってもらえるのは嫌ではないらしく、いつもより三割増しでにこにことしているように見える。
それを見て、わたしもちょっとだけふわふわとした気分になった。
「足元に気をつけてくださいね」
ちょうど、川を渡る橋にさしかかる。橋と言っても先述したように単なる板切れだ。とりあえず渡れるならOKというような雑な作りの橋である。このことからもこの丘園の利用者がごくごく限定されていたということが察せられた。
さすがにノアは慣れているのか、すたすたと橋を進んで行ってしまう。重心を置くたびにギッと嫌な音が立つにもかかわらず、だ。わたしは及び腰になりそうな己を叱咤して橋をおっかなびっくり進んで行く。
「あ、ここはちょっと危ないですね。クロハさん、ここは避けて歩いてください」
「は、はい~……」
先を行くノアが足元を見てそんなことを言う。しかし余裕のないわたしから漏れるのはやや情けない声。それを聞いてかノアは少し行った先、橋の終わりで振り返ってわたしを待ってくれているようだった。
……それにしても意外と川幅がある。おかげで橋も長くて見た目から思ったよりも渡るのに時間がかかる。
そんなことをつらつらと考えていたとき、大きな音が背後から上がって思わず振り向いた。
わたしのうしろにはファミリアがついて歩いていた。振り返ると彼女の姿勢が大きく崩れて行くのが、スローモーションで流れて行く。
「あぶなっ!」
思わずファミリアの腕を取ってこちらへと引っ張った。けれども恐らくそれがよくなかったらしい。一度かつ急にかかったふたりぶんの重さに板切れは耐えきれなかったのか、バキッと致命的な音を立てて、割れた。途端、足元を失ったわたしたちは宙へと放り出される。行きつく先は川の水だ。
「うぁっぷ」
一度頭の先まで沈んで、それから浮き上がる。空に向かって顔を上げて、口の中に入った水を吐きだした。
「クロハさん!」
ノアのあわてた声が頭上から聞こえてくる。その声に続いてどぶんと水に重い物が飛び込む音がした。
わたしは水中で足をばたつかせたが、爪先は底につかない。思ったよりもこの川は深いようだ。
しかしそれでパニックになるということはなかった。ただ、わたしの頭はいっしょに落ちたファミリアを捜していた。
自分がおぼつかないというのに、そんなことを考えていたことを思えば、ある種のパニックには陥っていたのだろう。あとからそうは思ったものの、そのときのわたしにそんなことを考える余裕はなかった。
きょろきょろと視線を彷徨わせているうちに、じょじょに川の冷たさに指の先端から冷え上がっていくのがわかった。ヤバイ。そんな言葉が頭をよぎる。
けれども完全にわたしがおぼれてしまうより、ノアがこちらへ到達するほうが早かった。
「クロハさん、そのまま動かないでください」
そう言うやノアはこちらがなにかするより早く、わたしの体を捕らえて、あっというまに川岸までたどりついてしまう。
いつかのようにノアに肩を貸されて河原の砂利の上にあがったわたしは、げほげほと何度か咳をした。思ったよりも水を飲んでしまっていたらしい。そのことに気づかないほど、わたしは冷静な判断ができなくなっていたのだ。そう思うとゾッとした。
「クロハさん、大丈夫ですか?」
「――そうだ、あの」
ファミリアの方は? そう思ってノアの顔を見ようと頭を上げた。すると彼の肩の向こうに、わたしたちと同じ濡れ鼠となったファミリアが平然とした顔で立っている。そのことにおどろいてわたしは目を丸くした。
「――あの」
「ファミリアなら心配ありませんよ」
わたしの言いたいことを的確に汲み取ってくれるノアは、そう言って一度だけファミリアのほうを向いてから、再びわたしに向き直った。
「湖から生まれるので水中でも呼吸ができますから」
……ということは。
「……わたしが助けなくても大丈夫だったんですね……あはは」
恥ずかしさに自嘲的な笑いをこぼしてしまうが、じっとこちらを見るノアの目は真剣そのものだった。それが妙に居心地が悪くて、わたしは無意識のうちに彼から視線をそらす。
「説明していませんでしたからね」
「そう、ですね。すいません、ご迷惑をおかけして――」
「迷惑?」
ノアの目がキラリと光ったような気がした。その光は剣呑なものだ。
「心配したとは思わないのですか?」
「え……」
「……心配しました。いえ、心臓が飛び出るかと思いました。クロハさんになにかあったらと思うと気が気でなく」
心配?
イマイチぴんとこなくてわたしは中途半端な笑みを口に浮かべたまま、固まった。
「心配なんて、しなくても……」
「なぜですか? わたしたちは『つがい』なんですよ。……心配しますし、無事かどうか冷や冷やしましたよ」
「いえ、でも、わたしなんて――」
「クロハさん」
ノアの声がいつもよりクッキリとしたものに聞こえた。力強い視線と共に、ノアはわたしの手を取る。わたしの手はひんやりとしていて、ノアの手はひどく熱く感じられた。
「どうしてそんなことを言うのですか? ……悲しいです」
「……すみません」
「なぜ謝るのですか?」
「わたしのせい? で、悲しませてしまったので……」
ノアはじっとわたしを見ている。その視線の意味がわからなくて、わたしはなんとなく怖くなった。
「クロハさん、もしかして、心配しているわたしの気持ちがわかりませんか?」
わたしは逡巡した。そうしていくらか考えたあと、ゆっくりと首を縦に振った。水滴がいくらか砂利に落ちて、あっという間に吸い込まれて行く。
「心配される、というのがよくわからなくて」
心配だなんて言われたことは、今までに一度もなかった。だからわたしは「心配される」ことなんて必要ない人間だと――思っていた。いっぱしの立派な人間気取りだったのだ。
けれども現実は違った。少なくとも、ノアの前では。
「大切だからです」
「大切、だから……」
「クロハさんのことが大切だから、大事だから、好いているから、心配するのです」
「だい、じ……」
ノアの言葉を聞いて胸が詰まったようになった。次いで目頭がじんわりと熱くなってくる。
ダメだ、いけない。――泣いてしまう。こんなところで。
そうは思っても止められない。
気がつけばわたしはぼろぼろと涙をこぼしていた。
「クロハさん、私があなたを大切だと思うこと、覚えていてくださいね」
微笑むノアに、わたしは何度も首を縦に振った。




