第2話 エコール・ド・マギ
早朝、路地裏の屋敷で悲鳴が上がる。
今日からーー昨日召喚とやらされたのに、今日から!ーー時坂空は魔術師の学校へ通う。
悲鳴は空にあてがわれた部屋の鏡の前からだった。
ヴラドだろうか。遠慮がちにコンコンとノックがあり、どうされましたか、と低い声がする。
「何でも……何でもない……! で、でも」
慌てふためいた空の声にヴラドはかちゃりとドアを開けた。
そこには鏡と見つめ合い、エコール・ド・マギの制服姿の時坂空の姿。
「……?」
ヴラドに引き続いてルミエールも部屋にやってくる。そして空を見つめて。
「ああーーそれこそが、トキサカ家の証だね」
何ともなく、言ってのけた。
そう、空が悲鳴をあげたのは、黒髪黒目の日本人らしい容姿が、一晩にして姿を変え、髪はそのまま黒にしても、目が透き通るような青色に変化していたからだ。
「時坂家の……?」
「トキサカの目はみんな青いよ。こちらに来て、君の中で魔力が目覚めつつあるんだらう。そのせいで、青くなったのかも」
「そんな……」
「ま、とにかく君は今日から学校だね」
何がおかしいのかルミエールはくすりと笑う。
「僕は学校に行ったことがない。少し憧れるね。楽しんでおいで」
そうそう、それからね。
ルミエールは、一人、人を後ろから連れて来た。
「君の護衛にあたるエデンだ。立派な騎士だよ」
エデン、と紹介された人物はす、と前に出て空に会釈をし、胸に手を当てる。凛々しい顔立ちなのに見つめる目は優しい。茶色い短い髪が揺れている。誰かを護るために居る、そんな佇まいだ。
「護衛がつくの?」
「無論。トキサカの魔術師を失うわけにはいかないからね」
「ねえ、それって学校で目立つと思うんだけど」
あなたは学校に行ったことがないから知らないのかもしれないけどね、と空は付け足して、肩を竦めた。護衛が後ろからついてあるく学校生活だなんて。
「大丈夫。エトワール家のご令嬢も今通学中で、彼女にも護衛はついている。魔術師の家系には貴族の者もいるし、そういった者も護衛がいたりするそうだから、問題ない」
断言された。
「そ、そう……」
勢いよく答えたルミエールに何も言い返せない。そして、自分が行かなかった学校に憧れでも抱いているのか、嬉しそうに手を振るルミエールに送り出され、空はエコール・ド・マギへ向かった。
***
空が召喚された家、そこは《路地裏亭》と主であるルミエールが呼ぶ、魔術師としてのルミエールの工房だった。
路地裏亭の名前が示す通り、入り組んだ路地の奥にある。
どうやらこの街は、王宮と広場を中心に放射状に家々が立ち並んでいるらしい。
エコール・ド・マギはその「威風」ーールミエールの言葉を借りれば、だが、威風堂々、王宮と川を挟んで向かい側に存在する。魔術の名門校と聞いた。
名門校、と言うからには名門ではない学校も存在して、空が日本で通っていたような公立の高校も存在するのだろうか。
細い路地を抜けて大通りに出ると、馬車が待機していた。エデンがさあ、お乗りくださいと促す。どうやら、名門校に名門中の名門であるトキサカは瀟洒な馬車に乗って通学するらしい。今何回名門と考えたか覚えていない。とにかく昨晩、耳にタコができるほどルミエールから名門、と言う言葉を聞かされたのだ。
「エデン。魔術の学校って、どんなことをするの?」
「うーん。俺は一剣士ですから、魔術師についてはあまり詳しくなく。昨日、ルミエール様に聞いておいた方が良かったかも知れませんね」
魔術師とそうでない人には一線が存在するらしい。まあ、そうかも知れない。父は医者で、よく患者の話を家でしていたけれど、それだって専門的な知識で空にはわからないことが時たまあったから。と言うか、父の跡を継いで、医者になろうと思ってたんだけどなーーそれが魔術師、か。
「けれどソラ様、大丈夫ですよ。すぐに馴染めると思います」
エデンが優しい目で空を見て、左腕をポンポン、と叩いてくれる。
「ねえ、様ってつけるのはやめて? 私、そう言うの不慣れなの」
主に仕えます! とばかり仰々しく様付けされるのに空は不慣れだ。当たり前だ、現代日本人なのだから。
「む……少し、時たま、付けてしまうこともあるかも知れませんが、ソラ様、失礼、ソラがそう言うなら」
「できるだけ、フランクに接して欲しいの」
そう、フランクに、友達みたいに。
ふぅ、と馬車の中でため息をついて、そっとカーテンを押しのける。
アルドランド。街中を流れる川の向こうに、壮麗な王宮が見える。そしてその向こうに見えるのが、きっと、例の魔術師学校だ。
学校の門は、日本の公立高校に通い慣れた空には、校門とは思い難くむしろ結婚式場のそれに見えた。しかも門から学校の入り口は遠い。豪邸探索のようだ。ほら、テレビでやってるみたいな。
馬車から降りた空の後ろを、エデンが付いてくる。エデンは流石に甲冑姿などではなく、簡素な、それでいて威圧感のある衛兵のような格好をして、帯刀している。
校門から校舎まで少しの旅路をして、たどり着いたのは大きなホール。華麗としか言いようがないシャンデリアに、ホールの広さを強調するように、両サイドから螺旋階段が二階へと繋ぐ道を作っている。
生徒と思しき人間がちらほらと見え、魔術師というからには使い魔のようなものなのか、動物やちょっと日本で見たことのない生物を連れている者もいる。
「まずは校長室へと言われています。俺がお連れします。付いてきてください」
***
「ーーで、あるからして、魔術とは家系に代々蓄積されていく知識。それぞれの秘術で真理へと至る道を探求する術。ゆめゆめ忘れるでない」
教師がこほんと咳払いして、ほとんど寝ている生徒を隅から隅へと眺めていく。立派な階段教室だということを除けば、日本の数学の授業の時間だって変わりない。寝ちゃうよねー、と思いながら、隣の生徒を見やると、彼女は健気にも起きていて、熱心にノートを取っている。
文字は、言葉もだけれど、こんな異世界に連れられてきて、なぜだか読めるし、聞こえも話もできた。ただ、書くことだけはできなかった。だから、空のノートは日本語だ。医者になろうと思ったくらいだったから、それなりに真面目なのだ、時坂空は。
午前の終業を示すチャイムがなると、一斉に机に突っ伏した魔術師候補は起き出して、それを意に介せず教師は教室を後にする。ランチタイムだ。ランチタイムがいかに重要か、空は知っている。そう、日本の高校だってそうだ、誰とご飯を食べるか、一人孤独に食べるか、グループがある。嫌いな言葉だけれど、スクール・カーストというやつも。
「ソラ、どうする?」
フランクに、の約束を守ってくれたエデンが親しげに声をかけてくれる。知り合いはおろか友達もいない空にはエデンが唯一の食事を共にする「友人」だ。
「エデン……!」
護衛、という話の時は正直驚いたけれど、あなたがいてくれてよかった、そんな気持ちだ。
「一緒にお昼ご飯、食べてくれない?」
「もちろん、俺は構わないですよ」
パチン、とウインクまでしてくれる。優しい。あまりにも。
そんな二人のやりとりに、隣の立派な魔術師の卵から声がかかる。
「あの」
「はい?」
彼女は綺麗な金髪で、翡翠のような緑の目が美しかった。ゆるくウェーブした髪は腰あたりまである。制服が豪華だ。一目で、身分の高い生徒だと分かった。
エコール・ド・マギの制服は身分によって少しデザインが違うらしい。空が与えられたそれは、「王宮に仕えるトキサカ家」らしく貴族階級が身に纏う物らしいが、彼女の制服も同じ物だ。
「あなたのノート、見慣れない言葉ね。古代の文字? それともあなたの家系に伝わる文字なのかしら?」
あ、と空はノートを見た。一応の板書はしてある。ところどころ、居眠りの形跡はあったが。
「う、うん、まあね。家系に伝わる文字、ってとこかな」
「そう、古い家系なのね」
まさか異世界の言葉ですというのもおかしくて、「家系に代々伝わる文字」ということにさせていただいた。そういうものもあるらしい。
「よろしければ、ランチをご一緒しない? 名乗るのが遅れましたわ、わたくし、ロゼ・エトワール」
あなたは? と聞かれ、空は口をあんぐり開けた。後ろに控えたエデンもぽりぽりと頭を掻いている。
「時坂……トキサカ・ソラ」
聞いた瞬間、ロゼは「トキサカ!」と叫んだ。
「まあ! トキサカの座が空位になったのは存じておりましたけれど、同じような年頃とは。まさかこんなところでお会いできるとは思いませんでしたわ。仲良くしましょ」
貴族然とした威圧的な態度が少し柔和になったのを感じる。
「カフェテリアで食べましょう。さぁ!」
ロゼは有無を言わさずに空の腕を掴んで、カフェテリアへと向かった。エデンを振り返れば、肩をすくめて、よかったのやら悪かったのやらという顔をしている。全くもって、同じ気持ちだ。
***
「初登校はどうだった?」
帰宅して、夕食の時間。主であるルミエールは調理はしないらしく、ヴラドが料理をする。なかなか手さばきもよく、空は感心していた。
「早速、エトワール家のご令嬢と会われました。昼食も一緒に」
あまりにも色々ありすぎて、空が何か言おうとする前に、エデンが今日一の出来事を報告する。
「へえ! それはそれは。仲良くなれるなら越したことはない」
「仲良く、ね……」
空は出されたポトフのキャベツをざっくりと切りながら、ふぅ、とため息をついた。
ロゼ・エトワールは確かに気さくだったし、会話も彼女がグイグイと引っ張っていく様子で話はしやすかった。けれど、空が魔術について無知であることを知ると、どことなしに、信じられないというような雰囲気になってしまうのだ。
「あのね、エトワール家の令嬢のことよりも、私聞きたいことがある」
授業の合間にぼんやり考えていたこと。昨日、召喚されてびっくりしてびっくりして、考えにも及ばなかった疑問が次から次へ空の中に湧き上がったくるのだ。そちらの方が知りたい。エトワール家のことよりも。
「まずね、ルミエール、どうしてあなたが私を召喚したの?」
「僕にトキサカの魔術師を擁立する義務があるからだ」
ルミエールは案外あっさりと答えてくれる。何も教えてくれないから、秘密ばかりと思っていたのに。
「それはなぜ?」
「なぜって、それは……」
片方の眉を上げて、ルミエールは当たり前すぎることを聞かないでくれと訴える。その当たり前が分からないというのに。
「ルミエール様が、この国の第7王子であり、王子の中で唯一の魔術師の素養を持ったものだったからです」
エデンが代わりに答えた。
かん。
柔らかいキャベツを切り裂きすぎたナイフが食器に当たって大きな音を立てる。
「お、王子……?」
「ああ、7番目くらいのね。王宮のために働かないといけなくて」
「な、7番目くらいの、って。そんな……」
考えてみれば、当たり前の話だったのかもしれない。時坂家が王宮に仕える魔術師で、その魔術師が必要で時坂空を召喚したというのなら。その召喚者は、王宮の関係者ということで、当然だ。
まさか王子だったとは。そりゃあ、豪奢な衣装を着ているなとは思っていたけど。こんな簡素な山小屋みたいな家にこもっている人間が、王子だなんて誰が予測できただろうか。
こほん、と咳払いして、空は続ける。気づかなかったことが恥ずかしいくらいだ。あ、いや、やっぱり気づかなくて当たり前だったかもしれない。
「それとヴラド! ヴラドは、じゃあルミエール……さま、の護衛?」
王子と知って思わずさま、とつけてしまう。
聞いたルミエールはすぐさま仰々しくしないでと言った。
「ヴラドは、僕の使い魔。吸血種だ」
こん。
今度はソーセージを切っていたナイフが、勢い余ってスープを散らしながら食器に当たる。
「吸血種……!?」
「そう、バンパネラ。血も吸うけど、彼は基本的に生きているものからエナジーを吸い取ることで生きてる。君が想像したのは人を殺しちゃう種族かもしれないけど、そうではないよ。使い魔として昔からいる類だ」
ヴラドなりの思いやりか、不器用そうに笑顔を作った。普段無表情気味な彼としては珍しい。
「魔術師が使い魔にできるものは多い。悪魔の類でも構わないし、神の遣いのようなものでもそう。それから、古典的には動物。もちろん、魔術師の実力によって従うかどうかは決まるわけだね」
ということはルミーエルはやはりというべきか、力ある魔術師ということにでもなるのだろうか。
「多分、ソラの頭には疑問がぎっしりだろ。僕がある程度は説明するよ」
ルミエールは少し申し訳なさそうに言う。無理やり国から連れて来た召喚への後ろめたさからだろうか。
「トキサカの座が空位なのは、トキサカの血が途絶えたから。この国で。世界っていうのはね、難しいかもしれないけど多重に存在する。だから、他の次元のトキサカをこちらの国に呼ぶーーつまり、召喚して、トキサカの座を埋めてもらうしかなかった。それで、君が選ばれた」
多重に存在する次元の中の、たまたま一人の時坂空だったということだろうか。そんなつまらない理由で現実世界から無理やり引き剥がされて、こんなわけのわからないところに連れてこられるなんて、たまったものじゃない。
怒りがこみ上げる。怒りというより……遣る瀬無さ?
「ソラ、ごめんね。君を故郷から引き離したことは申し訳ないと思ってる。でもトキサカ・ソラ、君じゃなきゃいけない理由があるんだ」
「私じゃなきゃいけない理由……?」
「そう。エトワール家もホラント家も、なぜ王宮に仕えるなんて任務を任されているのかというと、《はじまりのもの》の血が入っているから。《はじまりのもの》っていうのは、そうだね、吸血種の最初になった12人の魔術師たちのこと。ヴラドもその血を引いた純吸血種。12人の魔術師は今はバラバラになってしまって、王家もその子孫の一つの家系だけれど、祖先が辿れるものが少ないーートキサカ・ソラには《はじまりのもの》の血が入っている。だから、君が選ばれた」
「私に、吸血種の血が……?」
人の血をすすりたいなんて1ミリも思ったことがないのに。
「薄れているから吸血種としての働きは、純血種との契約もない限り、出てこないさ。安心して」
「そんな……」
パラレルワールドにいるたくさんの時坂から時坂空が選ばれた理由はわかったけれど。驚くことばかりで。
「できるだけ早くきちんと説明しなきゃいけないと思ってた。国を離れて辛いだろう。本当にすまない」
ルミエールが頭をさげる。
相手が王子だということに改めて気づいて、空は思わず、顔を上げてください、と叫んだ。
「私……私、びっくりしたけど、大丈夫だから! だから、お願い」
悪く思わないで、なんてそこまでは言えないけど。愛着のある高校に友人、思い描いていた夢。
「……受け入れるわ。運命なら」
父が魔術師だったというのも気になる。きっとここに呼ばれるのが自分の運命だったのだろう。
「でもごめんなさい、ご飯、ちょっと残すわ。部屋で休む……明日も学校だし」
「ソラ、無理をしなくてもいいんだよ」
ルミエールが言い、エデンもまた背中を優しくさすってくれる。
つ、と涙が流れた。
私は知らない世界にやって来た。私は日常とは切り離された。これ以上涙があふれて、無様に泣き喚いてしまわないように、必死でこらえて背中を丸めた。
「大丈夫」
言って、空は二階にあてがわれた自室へとこもった。