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page.8


 応接室へと通されて暫くすると、シーナさんがすっくと立ち上がった。

 

「折角ですんで、今夜は腕によりをかけてご馳走を作りましょうかね」


 普段は老齢の二人だけだから、そう手間のかかる料理なんて長い事していなかったのだと笑う。

 久々に大勢分作るのだから張り切らねばと。

 

「ふふ、腕がなりますねぇ」


 するり、とシーナさんが袖を捲ると、骨の浮いた枝のように細い腕が現れた。

 

「シーナさん!」


 私は思わず彼女を呼び止めてしまった。だって、あれ駄目だ!

 しかし彼女は笑うだけで足を止めようとしない。

 

「わ、私も手伝うから! 腕によりかけないで、ならさないで!」


 お願いだから! 折れちゃいそうだから!

 大慌てでシーナさんの後を追う。

 そして、ハッとしてデリク達に言った。

 

「アントンさん見てて! 無茶しそうだったら止めてねっ」


 放っておいたらおじいちゃんの方も動き回っちゃう気がする。この二人は、それで慌てる私達を見て楽しんでる節があるのがいただけない。

 

 私とシーナさんは厨房に入って、料理の支度を始めた。

 私は勝手がいまいち分らないから、シーナさんに指示してもらいながら作業をする。

 

 うん、お願いだから指示だけにしておいて! 私が全部するから!

 野菜を洗い、魚の鱗を取っていく。

 

「魔女様の故郷はどちらで?」

「ルクレティアと呼んで下さい。ベアトリスって小さな国ですが……今はただの荒れ地ですよ」


 この皇国よりもっとずっと東へ行った所にあった小国で産まれたんだけど、残念ながら今はその国はもうない。

 十数年前、大きな“災害”が起こって主要都市は尽く壊滅してしまい、間もなく国そのものが消失した。

 

「ああ、ベアトリスですか。あれは本当にひどい災難でしたね……」

「そうですね。私は小さかったのであんまり覚えてないんですけど」


 それでも覚えている事もある。

 逃げ惑う人々の悲鳴と、炎に街が包まれて行く様子、崩れていく建物。

 今でも目と耳に焼き付いている。

 

 私は親と故郷を失い、各地を転々として生きる羽目になった。

 

「ロンシャンは貴女方を歓迎しますよ。この町は何者も拒みません」


 人とは、自分と違う者、少しでも異質な者を拒絶する排他的な生き物だ。そうやって変化を受け入れず、己を守ろうとする。

 

 だけどこの港町は東も西もなく、旅人も魔女も飲み込んで、それぞれの分かと特徴を排他するのではなく取り入れて。

 そうして発展してきた町のようだった。

 確かにここは、魔女の私も西方のナランにも優しい町だろう。


 ナランは戦に負けて掴まり、奴隷として海を越えてこんな所まで連れて来られ、肌の色が違うから人気が無いとはした金で売り飛ばされ、私も魔女として重宝されたり迫害されたりした。

 別に各国を転々とする生活も嫌いではないけれど、定期的に拠点を変えなければ生きていけない私達を、この町は受け入れてくれるという。

 

 シーナさんが言っているだけだから、嘘か本当かは知らない。それを見極められるだけの情報が私にはない。

 

 けどまぁ、住み心地は悪くないみたいだから、私の正体がバレて追い出されるような事にならない限りは、厄介になろうかしらね。

 

「ところで、アニエスから私の事はどう聞きました?」

「アニエス様からですか? 今後、友人にこの屋敷の管理を任せる事になったから、と」


 それだけ?

 シーナさんに視線で問えば、老人らしい皺の多い顔で彼女はニコリと笑った。

 それはとても人の好さそうな感じがしたけど、同時に底の見えない感じもした。

 彼女はきっと、只の屋敷の手入れをするだけの老婆じゃない。

 

「なんですか? アニエス様のご友人という他になにかありますか?」

「いいえ。それ以外は、しがない流浪の魔女ってだけです」


 本当に何も聞いていないのか。聞いていて敢えて知らないふりをしているのか。

 それとも教えられていないけど、私がこの国で何をしたのか気付いているのか。それでもとぼけているのか。

 読めない人だわ。

 

 なんていうやり取りをしている内に、料理の下準備は終わった。


「シーナさん」


 私は彼女に向き直った。

 

「その無駄に大きい包丁を置くか、私に渡すかしてちょうだい」


 細かくプルプル震える手で、刃渡りがやたら長い使い込まれた包丁を握られると気が気じゃなくてお喋りどころじゃなくなるわ。

 

「ほっほ、使い慣れておるから大丈夫ですよ」

「大丈夫だと私も思うけど! でも見てられないから私に貸して!」


 鶏くらい私が捌くから!

 シーナさんから鶏と包丁を引っ手繰って、手際よく捌いていく。

 肝なんかは薬にも使えるから取って置きましょう。

 

 慣れた手つきで取り分けていると、シーナさんが見てふむふむと頷いていた。何か気になったのかしら。

 

『ご主人さまー!』

「エペちゃん?」


 応接室に残しておいたエペちゃんがテケテケと小さな身体で必死に走って私の足元までやって来た。

 

『ナランがご主人さま呼んできてって』

「ナランが?」


 何か緊急事態でも発生したのかしら。主にアントンさんの顔が浮かぶ。

 デリク達は何をやっているのよ、ちゃんと頼んでおいたのに。

 

「後はわたしがやっておきますよ。行って下さい」

「シーナさん、火元には注意して下さいね」


 もう切るものは全部私が切ったから包丁の出番はない。鍋で煮込んだり焼いたりするだけだけど、火を扱うからそれはそれで怖い。

 

「お優しい魔女さんだことで」


 シーナさんは笑いながら、早く行きなさいと手を振った。

 エペちゃんが早く早くと急かすから、私はもう一度シーナさんに念押しして厨房を離れた。

 

「で、エペちゃん何があったの? ナランが呼ぶなんて……ちょっと待って。ナラン?」


 ジャンでもデリクでもなく?

 思わず足を止めてしまった。エペちゃんも立ち止まって私を見上げる。何? どうしたの? と問いかけてくるように。

 うん、私も聞きたい。

 

「エペちゃんって、ナランの言ってる事分かるの?」

『分かるよ』


 それがどうしたと言わんばかりだった。

 だよね、そうだよね!

 ああもう、私とした事が気づかないなんて! 完全に盲点だったわ。

 

 エペちゃんは私達と会話が出来るけど、別に私達の言葉を喋っているわけじゃない。

 人間の言葉を自分に理解出来るように感じ取って、自分の伝えたい事を人間に伝わるように発しているだけ。

 枠組みは人間の言葉というだけで、そこに人種による言語の違いは考慮されていない。

 よって、私達東方の言葉もナランの西方の言葉も関係なく、エペちゃんは人間の言語と認識して感じ取れるのよね。

 

「こんな所に便利な通訳がいたなんて……!」


 ここ数日間の私達のあのたどたどしい意志疎通の努力は何だったの。

 エペちゃんを介せば、あんなまだるっこしい真似しなくて済んだっていうのに。

 

 エペちゃんも言ってくれればいいのにとは思ったけど、まぁリスだからね。使い魔になったとはいえ、知的レベルはそこまで向上しない。

 何やってるのかなーくらいにしか思ってなかったんでしょう。

 

 しかしあれね、何がどう作用するか分かんないものね。

 ジャン達との重苦しい旅の空気を少しでも和らげようと、愛玩用にと使い魔にしたエペちゃんが、まさかこんなお役立ちになるとは思いもしなかったわ。

 

 おいおいナランにはこちらの言葉も覚えていってもらわないといけないけど、暫くはエペちゃんが大活躍しそうね。

 

「で、何があったの!?」


 応接室の扉を勢いよく開けると、いきなりデリクの叫び声がした。

 

「じいさぁぁぁん!!」


 やっぱりアントンさんか。

 

『ルクレティアさま、ルクレティアさま!!』


 私が中に入るとナランが駆け寄ってきて、ぶつかるように私にしがみ付いてきた。

 そしてブンブンと振り回すように外を指差した。

 

「いやぁぁぁっ!! アントンさん!?」


 この応接室から庭に出られるようになっていて、その窓は今開け放たれていた。

 そして庭にアントンさんとジャンがいる。

 

 ジャンは手を中途半端に上げた状態で上を食い入るように見つめていて、その先にはアントンさんが居た。

 

 庭の、高い木にアントンさんが登っている。

 だけならまだしも、何故か幾つかの木の高い所にロープを括りつけて結んでいて、あろうことかアントンさんがそのロープの上を綱渡りして別の木へ移ろうとしているのだ。

 

「軽業師として名を馳せた技、まだまだ色褪せておりませんぞ!」


 足をガタガタ震わせながらも、絶妙なバランス感覚で一歩一歩慎重に前へと進んでいくアントンさん。

 平衡感覚を取りやすくするためか、スコップを両手にしっかりと掴んでいるけど、その重みのせいで余計にフラついているように見えて仕方がない。

 

「なんでこんな事になったの!?」

「知らないよ! 庭が綺麗だってジャンが褒めたら、じいさんのテンションが上がってあの通りだよ!」


 不用意に褒める事も出来ないなんて!

 

 ジャンがアントンさんの下にいるのは、万が一に備えて受け止める気でいるからなのね。自分の発言のせいでこうなった責任を感じているのかもしれない。

 

 私も大慌てで庭に出て、手を振りかざした。

 ふわりと風が舞い、アントンさんの周囲を包む。

 列車で使ったのと同じものよ。空気抵抗を軽くして動きやすくしてみた。万が一落ちてしまった時には地面との間にクッションになるようにもしている。

 

 本当は地面の土も柔らかくして落ちても衝撃を吸収するようにしたいんだけど、折角綺麗に手入れされている所を、本人に無断でぐちゃぐちゃには出来ない。

 

 軽業師と言っていたのは嘘ではないようで、アントンさんは覚束ない足取りながらも、着実に先にある木に近づいて行っている。

 

 結局、私達の心臓へ過度な負担を掛けつつも、アントンさんは無事綱渡りを成功させたのだった。

 

「アントンさん……お願いだからあまり無茶はしないでね?」

「魔女さんは心配性だのう。これくらいいつもやっとるし、大丈夫じゃよ」


 年寄りの大丈夫は大丈夫じゃないって、昔誰かが言っていたわ。

 怪我をしてからじゃ遅いんだから。治りだって私達とは違うんだし、骨が折れたりしたら大変なんだから。


 クドクドと私が言い聞かせても、アントンさんは笑うだけだった。「あんたは優しい子だねぇ」と。


 そういう事ではないのよ。

 これからこの人達との生活、大丈夫かしら。

 


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