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「潮の匂いがする」
列車を降りた途端にした独特な匂いにエペちゃんが鼻をくんくんしている。
影人形が現れてから四日。あれからは何事もなく順調に旅は進み、漸くロンシャンに着いた。
駅を降りて海側へ出た私達は、ぶらぶらと歩きまわっていた。
賑やかなガヤ。通りに並ぶ露店には瑞々しい果物や野菜、新鮮な魚介類が立ち並んでいる。
行き交う人達は活気に満ちていた。
「いい町ね。賑やかだわ」
「漁港でもあり、主要な貿易都市でもあるからな。随分と栄えている」
ジャンやデリクもロンシャンは初めてらしく、物珍しそうにキョロキョロしていた。
皇国の南端にあり海に面したこのロンシャンは、外国の船もよく乗り入れていて、様々な人種や品が入り乱れている国際色豊かな町だ。
「そこの可愛いお嬢さん。西国の珍しい髪飾りもあるよ、どうだい?」
「ありがとう、また後で寄らせてもらうわ」
まただわ。ナランの居たお店の店主も私の事を嬢ちゃんって呼んでたし、私は実年齢よりよく幼く見られる。
私の故郷はこの皇国よりもっと東にある国で、そこは小柄な人種で私も例に漏れない。
そのせいか実際よりも幼く見えてしまうらしいのよね。ヒールの靴を履いて無いと、本当に子供みたいな扱いを受ける事もある。今ですらきっと十代の少女だと思われてるんでしょう。
一々訂正するのも面倒だし、おまけしてくれる事が多いからいいんだけどね。
色々と見て回っているだけで、ジャンやデリクは若い売り子達にチヤホヤされ、私やナランはおじさんやおばさんに食べ物をめぐんでもらった。
果物も良かったけど、焼き菓子もとても美味しかったわ。
これからお世話になる屋敷の管理人さんへのお土産を買って、私達は港から離れた。
街の南は海が広がり、広い港がそれを迎え入れ、少し北に上がると駅。線路の更に北へ上がると急な斜面坂道になる。山を削ってその斜面に住宅が立ち並んでいる。
住宅街の少し外れに、大きな邸宅があった。
豪奢ではないが、重厚でどっしりとした造りの立派な屋敷だ。その手前に綺麗に整えられた庭、敷地をぐるりと囲む高い塀と門。
「ここね……。庶民にはなかなか敷居の高い家だわ」
「一年も王宮乗っ取ってた奴が何言ってんだ」
「人聞きの悪い。お借りしてたのよ」
皇女のお許しを得て、ちょこっと皆さんに暗示をかけてね。
しかも住んでたって言っても私は王宮の片隅にある小屋みたいなところを間借りしていただけだし。人の気配が多い所だと落ち着いて眠れないから。
「四の五の言ってても仕方ないわね。入りましょう」
鉄の門に手を掛けた時、引っかかるような違和感を覚えた。だけどそれは一瞬の事で、後は大した抵抗もなく門は開いた。
「なんか、人がいる感じがしないけど」
デリクが用心深く周囲を見渡す。
確かに、静まり返っていて人が居るようには見えないけど、落ち葉一つない手入れの行き届いた庭は、毎日人の手が入っている証拠だし、誰かしらは居るはずよ。
アニエスも住み込みの管理人が居ると言っていたし。
「全員出払ってるとかじゃないの」
「そんな事ある?」
「分かんないよ。でも別荘だろ。多い人数は置いてないだろうし有り得ない事じゃ」
ガチャ、と屋敷の玄関扉を開ける。
「おじいさん、早く早く。皆さんが着いてしまうよ」
「おおお、行くぞ、今行くぞ、見ておれ、これがわしの全力疾走じゃぁー……!」
「あ、いた」
エントランスの正面に楕円を描くように左右に階段が伸びて二階に繋がっている。
その左からお爺さんが、右からお婆さんが何故か別れて二階から一階へと下りてきている。
一段の幅が狭いからそこまで危なくないはずだけど、せかせかと必死で足を動かしている二人を見ていると、止めて! と手を伸ばしたくなるわ。
お婆さんは杖をついてバランスを取りながら、お爺さんは少し曲がった腰に両手を回して、二人共猛烈に急いでいるように見える。けど、実際にはなかなか一階へ辿り着かない。
転ばないかとハラハラして、手に汗握りながら見守る私達の所までお二人がやって来たのはそれから数分後の事。
「おお、なんとも立派な魔女さん、じゃなぁ……。初めまして、わしはここの、管理を、任されている、アントンです」
「妻、のシーナ、です。いやぁ、大きな魔女さんで」
息も絶え絶えだった。二人共足がガクガクしている。お婆さんなんて杖ついてる意味あるの? ってくらい震えてるわ。無駄に全力疾走なんてするから。
こっちの心臓が止まっちゃいそうだったわよ。
そしてお二人共、それは錬金術師のジャンです。魔女こっち。ちょっとジャンとデリクの後ろにいて隠れちゃってるかもしれないけど、こっちだから。
ていうか男女の区別くらいはつくでしょ!?
「魔女はこの人だよ」
めっちゃ笑いを堪えながらデリクが私を指差した。腹立つわね。
「あらまぁ、これはこれは失礼を。ふさふさで可愛らしい方が魔女さんかね」
可愛らしいはいい。言われ慣れてる。でも、ふさふさ?
そう思って注意深くお婆さんの視線の先を辿っていると、どうも私の肩に乗っているエペちゃんの方を向いていた。
そっち!? 私とエペちゃんならまず私を見るでしょ!?
わざととしか思えない外し方したよこの人!!
「私が、これからお世話になるルクレティア・バレンティーニです。宜しくお願いします」
「ほっほっほ、分かっておるとも。ちょっとしたじょーくじゃ」
どこからどこまでが? 階段からの件からもう演技始まってたの?
ただのボケ老人なのか食わせ者なのかはっきりしないわね。
まぁ、王族の別荘を預かろうって人だから只者じゃないんでしょうけど。
「では改めまして。ようこそおいで下さいました、東の魔女様。アニエス様より聞き及んでおります。多少の不便はおかけしますが、これからはここを我が家と思い暮らして下さい」
「ありがとう。それで、いきなり我が侭を言って申し訳ないのだけど、この子も一緒にここで生活していく事になったの。いいかしら?」
ずっと一番後ろで所在なさ気にしていたナランの肩を抱いて前へと出す。
老夫婦二人の両目がジッとナランを見つめる。落ちくぼんだ瞳が、何を思ってナランを観察しているのか、私には分からない。
数秒間そうしていて、ふとシーナが破顔した。
「また、可愛らしいお坊ちゃんだこと。ええ、ええ。是非に。では、此方のお二人は?」
「この二人はただの付き添いなので」
もしかしたら数日ここに滞在するかもしれないけど、適当な所でアニエスの所へ帰るでしょう。
「え? そうなんですか。てっきりあたしは二人共魔女の夫とばかり」
「シーナさん、そのとんでもない発想はどこから来るんですか」
二人共って。皇国は重婚を認めてないでしょ。
魔女はどこの国にも属していないし、やろうと思えば旦那が二人ってのも可能なんでしょう。けど、皺だらけの目をカッと見開いて驚愕してるトコ大変申し訳ないんだけど、普通やらないわよ。
「で、二人はどうするの? 暫くロンシャンにいる?」
「いや、俺は明日には発つ」
「僕も。取り敢えず今日だけ泊めて」
「そうですか……それは寂しいですなぁ」
分かっているのかいないのか。ふむふむとアントンさんが頷く。
「まぁ立ち話もなんですから、此方へどうぞ」
ぷるぷると震え、覚束ない足取りでシーナさんがゆっくりと部屋へと案内してくれた。
「あの、この屋敷ってアントンさん達二人だけで管理してたんですか?」
「そうですとも。広いのでねぇ、二人ではなかなか行き届かず、何か不備がありましたら何なりと申し付け下さい」
「いえ」
すると、あのお庭はこの二人のどちらかが手入れしてるって事になるけど……出来るの?
実は隠れた三人目がいるとか、ないわよね?
ホラー要素は入りません