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二人を放って、ふらりと歩き出した私だったんだけど。
グイッ!
「いたっ!」
髪を思いっきり引っ張られて悲鳴を上げる。
誰よ!? とまだ掴まれている髪の束のその先を目で追う。
「え?」
私の髪を掴んでいるのは、小さな男の子だった。
褐色の肌に、灰色の髪をした痩せこけた小さな男の子。
げっそりと頬がこけている。大き過ぎる目が私をジッと見上げていた。ケージの中から。
人がケージの中に入っている。
その事実を認識するのに少しかかった。この国では珍しい、奴隷だ。
しかもこの子の肌も髪の色も、この大陸にはいない人種だから、海を越えて連れて来られたのか。
「アフロディーテ……」
呆然としたように少年は私を凝視しながらそう呟く。
「アフロ? 髪型?」
いつの間にか隣に来ていたジャンがわけの分らない事を言う。アフロって髪型があるの?
「アフロディーテ……!」
「ありがとう、でもごめんね。私はそんな素敵なものじゃないのよ」
ふるふると首を横に振って、少年にも伝わるようにする。
期待の籠った目で見られているけど、私はアフロディーテじゃない。
「西方の子だよね、あんた言葉通じるの?」
「いえ、単語の意味を知ってただけ」
単語の意味は恥ずかしいから言わないけど。
アフロディーテって確か、美を司る女神の名前だったと思う。なんだかもうそんな大それたものじゃなくってごめんなさいねって感じ。
私よりも彼自身の方が美を司ってそうだわ。栄養状態が悪くてガリガリだし、髪もバサバサだけど、この子って元はメチャクチャ綺麗な子なんじゃないかと思うのよ。瞳の色もモスグリーンに金が入ってる? 光を反射して輝いて見える。
少年のこの肌の色と、身につけている不思議な形状の服装から見て、彼は海の向こう、西方の移住民族だろう。
確かあの辺りは戦争で負けて、滅ぼされたと聞いている。
掴まって、奴隷にされたのね。
「あの、そろそろ髪を離して欲しいんだけど……」
ぎゅうと髪の先を握られたままだから身動きが取れない。少し私も自分の方へ髪を引っ張ってアピールするけど、少年は絶対に離そうとしない。弱った……どうしよう。
「あんたの髪って不思議な色合いだけど綺麗だよね」
「ありがとうデリク! でも今それどころじゃないかな!」
私の髪は頭皮に近い所から先端に掛けて色が変わっていく不思議な色合いをしている。元の方は白金でそこから徐々に赤みを帯びていく。
アニエスは桃みたいって言ってたわ。髪を果物に例えられたのは後にも先にもアニエスだけだったけど。
て、今はそんな説明をしている場合では無くて。言葉が通じない少年にどうやって手を離してもらうかを考えなきゃ。
「ちょっと、ちょっとすみませーん店主さん!」
「はいよ。おやまぁ、……腕は、切り落とさないでやって欲しいんだけど」
「しませんよそんな事」
髪を離さないなら、手を切り落とせばいいじゃない。なんてどこの暴君だ。
だけど相手が奴隷ならそれをしても罪にならない。彼らには人権というものが大凡存在しないから。
私が極悪非道に見えるから店主がつい言ってしまった、とかではなく、奴隷が少しでも粗相を仕出かしたら何をされても文句は言えないものなのよ。
なのでこの男の子の行動は非常に危うい。自分の状況が理解出来ない程幼くもないように見えるけど。もしかしてどうなってもいいと思っているのだろうか。
骨の浮いた小さな手を握ると、少年は驚いたのか大きな目を更に見開いた。
「お嬢ちゃん、その子が気に入ったか? 安くしとくよ」
この辺じゃ奴隷は売れにくくてね、と苦笑いされた。
皇国は仁道に篤い王が何代か続いたからね、奴隷解放まではされてはないけど、あまり売買は良い顔されない風潮が強い。
この店主も西方の得意先に半ば強引にこの子を押し付けられたらしい。家畜と違って人間はお金が掛かるから、店としても在庫を抱えていたくはないんだろう。
人の命の重みを感じさせない金額が提示された。
「随分と痩せてるみたいだけど」
「俺じゃないよ。ここに来た時からそうだったんだ」
劣悪な環境で海を渡ってきたのだろうか。
私が手を離そうとすると、目をうるうるさせて縋りついてくる。
何この罪悪感。この子をここに置き去りにしていく事がまるで罪のように感じるんだけど。
捨てられた子犬を連れて帰りたくなる人の気持ちが分かったわ。
『ご主人さま、その子かうの?』
「かわないわよ。この子は人間だからね」
もう片方の手を使って、少年の手を引き剥がす。悲壮感漂う少年は、何も言わずにただ私を見つめていた。
空いた両手でお金を取り出すと店主に渡す。
「え、こんなに!?」
「この子は私が引き取るわ。今まで面倒を見てくれてありがとう、の金額よ」
私は人間を買取ったりしないし、飼いもしない。
この子が一人で生きていけるようになるまで教育を施して育てるだけ。
「そういうのを屁理屈って言うんじゃない?」
店主とのやり取りを見ていたデリクが怪訝そうに見てくる。
「いいのよ、私が自分で納得出来れば何だってね」
ケージの入口をを開くと、男の子がおずおずと出てきた。
あれだけ縋っていたわりに、自分が出られた事が信じられないみたいね。
本当に良いのかと言いたげに私を見つめてくるから、思わず笑ってしまった。
「うーん、出発を少し遅らせていいかしら?」
『いいよー』
エペちゃんは快く頷いてくれて、ジャンとデリクは仕方なさ気に肩を眇めた。
普通に行けば五日でロンシャンに到着するけど、別に日程を決められた旅というわけではないし、一日や二日遅れたって問題は無い筈。
この男の子をまず綺麗にして、服も買ってあげたいし、ちゃんと休ませてあげないと。
「ジャン、おぶってあげてもらえる?」
「任せておけ」
ケージの外には出たものの、男の子は弱り切っていて歩くのも覚束ない状態だった。
宿へ戻るのも難しそうだから、ここはやっぱりこの中で一番体格の良いジャンの出番よね。
頼むと彼は快諾してくれた。
男の子をひょいと抱きかかえて宿の方角へと歩きはじめる。
まさかのお姫様抱っこ!!
おぶってって私言ったよね、普通背負うよね。抱っこって。しかも女の子の憧れお姫様抱っこって!!
男の子とは言えまだ小さいし、かなり痩せちゃってるから軽いだろうけど!
ほらもう、男の子もぽかーんってしてるじゃない!
「ジャン、ああ見えて天然だからな」
「錬金術師……!」
天然で務まるのか……計算の早さととか理論の構成力に、天然は関係ないのか。学問って本当に奥深いわ。
「ところであんた、よくあんなにお金持ってたね」
「うん、先に交換所に行って通貨に替えてもらっといて良かったよ」
腰に提げていたポーチの中に無造作に入れていたものを、ジャラリと取り出す。
私の手の平に載せられたのは、赤や青、翠に輝く宝石達。
「な、なんでそんなの持ってるわけ!?」
「いざという時の為の蓄えは必要でしょ?」
「答えになって無いよ。それ、もしかして王宮から……」
「よく分かったわね」
「どろぼーーっ!!」
ちょ、大きい声で人聞きの悪い事言わないでったら!
慌ててデリクの口を塞ぐ。
「アニエス追い出してから毎日休みなく、政務室に籠って仕事した分の報酬としてちょこっと貰っただけよ! ……まあ無断でだけど」
「それを世間では泥棒と言う」
いいじゃない。腐るほどあったんだから少しくらい。
本当にこの一年は寝る間も惜しんで働いたんだからね。国庫の数字と睨めっこして官吏の不正を暴いてみたり、地方の整備に力を入れてみたり、河川の氾濫しないように工事してみたり。
タダ働きなんて冗談じゃないし、そんなボランティア精神持ち合わせてないのよ。しかも、ぶらり男探しの旅に出ちゃった皇女様のフォローまでさせられてたんだから、宝石の原石の幾つかくらい貰ったって罰は当たりませんて。
旅が終わって無事ロンシャンの屋敷に着いたら、その時に残ってた分はデリク達に預けて王宮へ返す予定にしてるし。
デリク達がその時点でちょろまかしたら、それはもう知らないけど。
男の子を抱えてスタスタ歩く美男のジャンは目立っていた。
みんながジャンを見ては驚いている。あ、美形だからってだけじゃなくて、男の子をお姫様抱っこしてるからよ。
なので、私とデリクは彼から一定の距離を保って他人を装いながら後をついて行った。