fly me to the…… ?(旧 活動報告SS)
ゴオオ、という重低音とともに体に前面からかかる圧力。ハイバックの座席に背中を押し付けられた後に続く浮遊感。隣に目をやればなんだか面白そうな顔をした片桐課長が軽く首を傾げてこっちを見ていた。
ポーン、とアナウンスが鳴って着座を示す表示の明かりが消えると、周りからはカチャカチャとシートベルトを外す音。行き交う言葉は日本語と、その他外国語。
これは、やはり、そうなんだろうか。
「……何故に私は今、雲の上?」
「飛行機に乗っているからだな。もうじき飲み物が出るだろうから、まあ落ち着け」
「いや、別に空腹で不機嫌なんじゃないですよっ?」
課長とご飯を食べに行く(というか、連れて行かれる)ようになったのは秋の頃。なんだかんだと怒涛の押しに流されてお付き合いなるものを始め、迎えた年末。
今年の年末はカレンダーの並びがよくて、有給を一日加えたらまさかの11連休。初詣とか行くのかな、なんてのんびり考えていたら、子どもの頃一緒に暮らしていた祖父のところに行きたいと言われた。
『祖母も亡くなってずっと一人暮らしなんだ。ここしばらく忙しかったこともあって、何年も会いに行けていない。パスタの美味い店が近くにあるし一緒に行かないか』
『プッタネスカがいいです』
『ボロネーゼも美味いぞ』
鴨南蛮を食べながらの提案に深く考えずに頷いた。楽しみにしておけと笑う課長がおじいちゃんっ子なのは知っていたし、そこが好ましいとも思っていた。まだ付き合って日も浅いが、いきなりご両親に紹介されるよりハードルが低いと思ったものだ。
あの時の自分に文句を言いたい。何故、場所を確認しなかった。いくら美味しすぎる鴨南蛮に意識を持って行かれていたとはいえ、もう少し色々とリサーチが必要だったんじゃないか。
それ以前にさりげなくパスポートを確認された時にも何か気付けなかったものか……なんか、上手いんだよな。話の持っていき方とか流し方とか。そして、細かいことが気にならない程度には私も課長に気を許しているということで……。うう、こんなの久し振りすぎて、もう。
『ちょっと辺鄙なところだからまたしばらく行けないと思う。じいさんも歳だし、折角だから一週間くらいの準備はしておいて。あ、それなりに店や見るところはあるから退屈はしないよ、大丈夫』
離島なんだろうか、そう思ったがそれ以上は考えなかった……いや、うやむやにされたんだ。おいっ!
「課長?」
「葉、その呼び方は違うだろう」
楽しそうに指の背で人の顔を撫でていく……そうだよっ、この日本人らしからぬスキンシップの多さに気付けば良かったんだよ、察し悪いな、自分!
「……大樹さん、おじいさまがイタリアの方なんて聞いておりませんでしたが」
「葉は俺のバックグラウンドなんか興味ないんだよな、聞けば教えたのに」
ちょっとだけ不満気に言いながらも嬉しそうに鳶色の瞳を細める。うわ、なんか色々だだ漏れ。
「っ、興味ないわけじゃないですけど」
「うん。俺自身だけ見てくれているんだもんな。いいよ、そのままで」
つあっっっ! 危険ブツがいるっ、機内に持ち込んじゃだめだこれ。アリタリア航空の綺麗なお姉さんが薄ら笑いでサーブしてくれたクラッカーみたいなオヤツを齧りつつ、窓の外ぷかりぷかりと浮かぶ雲に思考を飛ばした。
その後、おじいさまとやたら意気投合した私は、課長そっちのけで仲良くお出かけしたりお茶したりしてえらい妬かれたり。いやほら、おじいさまはお歳のせいで膝が痛くなりやすいから、私が杖代わりに腕貸して歩くのも別におかしくな……え、ほっぺにキスってごく普通の挨拶って……あ、はい、そうですか。
あとは一週間の滞在で異様なくらいイタリア語が上達したり(ただし飲食物に限る)。
幼馴染だという陽気な銀細工職人さんがペアリングを持って現れたりといった、盛り沢山な年末年始を過ごしたのだった。
**
「おじーいちゃーん、ヒロキ帰って来た?」
「おやルカ、いらっしゃい。間も無くじゃないかな。ところで、誰と来るか聞いてるかい」
「聞いた聞いた、大量の惚気とともに」
勝手知ったる友人の家、明るい陽が差し込むリビングには、いつものようにヒロキのおじいちゃんがいた。日本に行った友人がよこすメールに “ヨウ” の名前が出るようになったのは秋の頃。数年前から繰り返し会社の話に出て来る「隣の部署の事務員」その人だとすぐ気付いた。随分時間掛けてんな、とは思ったけれど、こうして連れて来るのならいらぬ心配だったようだ。
しかもこの俺に仕事を依頼してきやがった。
「ヒロキが何か頼んだんだろう?」
「そうそ、聞いてよ。ちっさい写真一枚で作れっていうの。無理難題も酷くない?」
面白そうに尋ねてくるおじいちゃんにはすっかりお見通しのようだ。土産のワインを渡しながら定位置のソファーに腰を下ろす。
「フィレンツェの工房で腕を振るう親友に頼みたかったんだろうさ」
「そりゃあもちろん、俺以外に頼んだら絶交だけどね」
ここ地元ボローニャから約100キロ離れたフィレンツェの工房が俺の仕事場。月に1、2回こっちに戻ってきて、その度にヒロキの家にも顔を出す生活も、もう何年になるだろうか。
親父さんや兄弟子に揉まれながらも、独立してもやっていけると言われるくらいの腕は身につけた。まだ出ないけどな、今のトコ気に入ってるんだ。
「しかも顔がよく見えない角度の。確かに、手はバッチリ写ってるけどイメージ湧きにくいって」
「はっは、ヒロキは焼きもち焼きだったか」
『さすがオレの孫』じゃないよ、おじいちゃん。そんな写真で “彼女に似合うリング” を作ってくれって、俺の腕とセンスに対する挑戦とみたね。逆に燃えたね。
「まあ、精魂込めて作ってるけど? あとは仕上げ。多分今まで作ったアクセサリーの中で最高傑作」
「そりゃあ楽しみだ」
料理するときも眠るときもいつでも身につけていられるように、って、あの淡白なヒロキがそんなに惚れ込むとは意外だったけど。まあ、そういうわけだから石は無しで、ヘアラインとミル打ちでシックかつよく見りゃゴージャスに装飾を施し、第二の皮膚のように肌に馴染むような絶妙なカーブをつけた。
指に通すとしっとりと滑らかなリングは吸い付くようなはめ具合で外したくなくなるはず。いいね、作ってる俺が惚れるね。
「ついでにさ、ペアリングにしてやった」
「おお、ヒロキはいい友人を持ったなあ」
嬉しそうに手を叩くおじいちゃんは、離れて暮らす孫をずっと心配してた。イタリアでも日本でも時代は晩婚・未婚化が進んでいるとは言え、おばあちゃんとすっごく仲よかったから自分の孫もそうなってもらいたかったんだろう。俺も、ちゃんとした恋人を持ったことのない親友の初恋を面白く思う反面、どんな相手なのかはものすごく気になる。当事者からの話だけでは分かんないからな、この目で見ないことには……いい奴なんだよ、ヒロキは。そんなあいつの隣に立つにふさわしい子だといいと思う。
そして願わくは、ヒロキの連れてくる恋人がおじいちゃんとも仲良くなれる子でありますように。
そんな俺の心配が杞憂だったと知るまではあと少し。
酷くないか、ちょっと手の甲に挨拶のキスしただけですごい速さで引き離されたんだ。実際に手と指を確認しないと仕上げ加工が出来ないだろうが……と、いうことにしておこう。他意はないよ、多分。
あ〜、ヨウちゃん可愛かったなぁ。俺の特製ラザーニャをあんなに目を輝かして食べる人間が悪いヤツのわけがない、うん。いい子決定。
おじいちゃんと台所に立つ二人は初対面とは思えないほど和気あいあいとしていたし。教えられる言葉を素直に繰り返す様子は純粋な子どものよう、なのに仕草は年齢相応の落ち着きがあって、これはヒロキがベタ惚れするのもよく分かる。
おい、ヒロキ、そこでおじいちゃん相手に威嚇するな。普段と様子の違う幼馴染の新たな一面が面白すぎて仕方がない。
新年に合わせて、出来上がったリングを持って行った。ヒロキが渡すところは見られなかったが、戻って来て真っ赤な顔のままでリングを作った俺に言った「Grazie」は俺史上五本の指に入る可愛さだったね。
俺の作ったリングをそっと眺め、愛おしそうに指で触るヨウちゃん……ちくしょうヒロキめ。それ作ったの俺、オレだからな! 感謝しろよ!
・・・余談の設定と裏話・・・
おじいちゃんはボローニャ在住。
旅路ですが、行きはアリタリア航空でイタリア北部主要都市のどこか(多分、ヴェネツィア)へ直行、ちらりと観光&一泊してから翌日ボローニャに行き、帰りはボローニャ空港からルフトハンザとかでヨーロッパ経由で帰国したんじゃないか、と思われ。というか、私ならそうする。
ボローニャは美食と大学の街。ボロネーゼ、生ハムやパルミジャーノ・レッジャーノなんかが有名。
ミラノ・ヴェネツィア・フィレンツェのちょうど間にあり、ロミオとジュリエットの地ヴェローナなど観光地にも近く、なかなかよいところだそうで……ハイ、聞くばかりで行ったことありません(泣)
ついでにドゥカティ(カッコよろしいバイク)や、マセラティ(言わずと知れた高級車)、ア・テストーニ(イタリアといえば革製品。未だ手仕事らしいですよ、の靴)などの企業の発祥の地でもあります。工場や工房、見てみたいですね。
ちなみに、友人ルカは普段は燭台や食器なんかをメインに制作する職人さん。アクセサリーを作るのは特別で、紹介特注の一点物のみ受けてます。息をするように女性を褒めるテンプレ的なイタリア人。常時彼女募集中。
お読みいただき、ありがとうございます!
初出2016/10/27