千香ちゃんの話(旧 web拍手SS)
どちらかというと容姿を褒められることが多いが、私のそれは多分に嫌味を含まれている……曰く、男受けのする顔と体だと。放っておいてほしい。この派手な顔立ちも、身長の割にそこだけ育ってしまった胸も、別に好き好んで選んだわけじゃない。遺伝子の偶然の組み合わせだ。私は桜餅が好きなのに、なんで自分はこってりとバタークリームを塗りたくったデコレーションケーキみたいなんだ。
同性からは嫌味を言われ、異性からは不躾にいやらしい視線を向けられる。誰も彼も “高遠千香” という人間の皮だけを見て私を判断する……正直、不愉快だ。
そんな私が家族以外に心を許せるのは幼馴染の彼氏と、四年前に職場で出会った三枝葉。出会ったその時から私を外見で判断しなかったツワモノだが、今まで生きてきて二人しかいないと嘆けばいいのか、二人はいたと喜べばいいのか、判断しかねる。それほどまでに私の容れ物と中身はマッチしていない。遊んでないし男好きじゃないし、仕事に対する責任感だってあるんだい。
黒くしなやかな髪をバレッタで一つにまとめ、いつも制服のように同じ服を着て通勤する化粧っ気のない隣の課の同僚は、まさに私の理想とする桜餅、そして心優しい仕事の鬼だった。
この会社に来る前も営業事務だったとは聞いた。しかし急遽産休に入った前任者からの引き継ぎは十分とは言えなかったはずなのに、その仕事ぶりは五年在籍した彼女以上だった。特にデータ入力の速さには目をみはる。この手腕に助けられたことが私たちが知り合い、仲良くなるきっかけでもあった。
キーボードの上を自由自在に踊る指は、いつの間にか今日も大量の処理を終えている。二人分以上の仕事量を一人でこなしてしまう葉が在籍する限り、営業二課に追加の人員は補充されないだろう。
最近この友人には大きな変化があった。熱烈なアピールを受けて、彼氏ができたのだ。
過去のつらい恋を葉はあまり話さない。でも、ようやく前を向くことができるようになったかなと、そう言った顔は本当に綺麗だった。髪を切ったことも、私服の種類が増えたことも後付けで、葉自身がきらきらとするようになった。友人としてとても喜ばしいことだ。たとえ、私の方が恋人と喧嘩中だったとしても……そう、喧嘩中。もう一週間も口を聞いていない。ラインもメールも届くが絶賛無視だ。
「いやあ、ほんとうに、ねえ」
「な、なに、千香ちゃん?」
「ううん。とっても美味しかったわ。だけどね」
美味しいもの好き、という共通の趣味もあり結構な頻度で一緒に食事もする。今日は葉のお勧めの小料理屋に連れてきてもらった。いや、美味しかったよ、うん。だけどさぁ。
「……なんでいるの、片桐課長?」
小さめのテーブル席。私と葉で差し向かいで座り、大満足の食事も終盤になったころ突然現れて当然のように相席をしやがったのだ。もちろん、葉の隣にがっつり陣取って。
「何か問題が?」
「むしろ何故、問題ないと思うのかが分からないわ」
入店と同時に慣れた調子でオーダーした海鮮丼をぱくつく課長は、本当に分かっていないようだ。今日は、私の愚痴を葉にオールナイトで聞いてもらうはずだったのに。ついでに葉の惚気話も聞き出そうと意気込んでいたのに。なーんで当人が来ちゃうかな。
まあ、この上司も容姿で苦労してきたせいで他人のそれにも興味を持たない人だったから、わりかし私の中での評価は高いのだけど。恋愛対象として考えたことなどひとかけらもないけれどね、どう見られようと私は自分に彼氏がいるのによそ見なんかしないやい。
「せっかく女二人でじっくり楽しもうと思ったのに……」
「俺のことは気にせずに話してればいいじゃないか。食べたら帰るから、食事くらいは一緒に取らせてくれよ。全く、誰だよ週末に出張なんて組んだの」
おかげでせっかく可愛い恋人がいるのにデートもできない、と愚痴だか惚気だか分からないものをその端正な口元から撒き散らす課長は最愛の彼女から少しも離れたくないようで。あまりの距離の近さに葉が大変居心地悪そうにしているのもお気付きでない。
店内は常連客ばかりで、みんながいつものことだというふうに温い目で遠巻きに眺めているのがなんとも。
「片桐さん、葉さんのこと大好きですものねぇ」
「当然」
「お、女将さんまでっ」
お茶とデザートを運んできた女将さんのほんわかとした突っ込みに、あっさり返す課長……総務の子が聞いたら叫ぶよ。まあ、会社では抑えているが当の課長がこんな調子だし、公認になるのも時間の問題だろうけど。
真っ赤になってあっちを向いてしまった葉、可愛い。そう思ったのは私だけでないようで、課長はおもむろに箸を置くと、す、と手をのばし覗き込むようにして自分の方を向かせた。
「こっち見て。週末いないんだから、葉の顔よく見させて」
ぷあっ!?
おおい、何、人目も気にせず言っちゃってるのっ、ここに部下であり、葉の同僚兼友人でもあるワタクシも居るんですけど!? ああ、葉ってばますます赤くなって……ない。あら?
葉はちょっと真剣な顔になって課長の口元にそっと指を当てると、仕方ないなって顔で柔らかく微笑んだ。その表情は、女の私でもちょっとぐっとくるようなあどけなさと色っぽさが混在していて。
「……課長。お弁当ついてます」
「お、おう」
指先についた米粒をなんの迷いもなしに自分の口にぱくりといれると、おしぼりで軽く手を拭いてちょっと失礼と席を立った。
……課長、撃沈。
音がするほどに頭突きをかましたテーブルからは、湯気が出そうなくらい赤い顔がチラリと見える……ご愁傷さま。
「片桐さーん、今日もやられたね!」
「連敗記録更新だ。俺の勝ちー!」
盛り上がりを見せる他所のテーブルからは激励が飛んで来る……いつもやってるんかい。あれは反則だと涙目の課長に話しかける。全く、この二人ってば。
「課長、めっちゃダダ漏れですけど。隠すとか駆け引きとか、全くないんですねえ」
「する意味が分からない」
「……ナルホド」
ちょっと、羨ましい気がした。今回の喧嘩が長引いているのは私が謝れないからだ。せっかく向こうからきっかけをくれているのに、意地を張って無視して、可愛くない。
……ま、私のことはいい。課長。大事なことに気付いていないでしょう。
「年末、連れて行くんですか?」
「あ? ああ、そのつもりだ。まだ場所は伝えていないけどな、じいさんのところに行こうとは言ってある」
「ふうん。まあ、私からも行き先は言いませんけれど。ねえ、課長。葉を連れて行ったこと、後悔しないでくださいね」
「どういう意味だ、それは」
「さあ?」
まだ何か聞きたそうにしている課長を無視して、デザートのきな粉黒蜜かけバニラアイスを堪能する。
本当に、恋は盲目とはよく言ったものだ。席に戻ってきた葉を嬉しそうに迎える課長をちらりと眺めて軽く息を吐く……葉は、もう一度恋をして可愛くなった。それはいい。とてもいいことだ。
向かいに座る友人を見る。切れ長の瞳、キメの整った白い肌、ストレートの黒髪。今流行りの可愛らしいアイドル的な顔立ちでは確かにないが、いわゆるオリエンタルビューティーのタイプだ。
要するに、海外でモテる。確実に。それがさらに、愛されて満たされている幸せオーラをふわんと纏っていたら?
「……ライバル増やして帰って来ればいいわ」
「え、なあに、千香ちゃん?」
「ううん、なーんでも。じゃあ、課長、御馳走様でしたっ。葉、また月曜日ね」
「え、千香ちゃん、今日は私ん家に泊まるんでしょ? 前に話してたザッハトルテ用意したよ」
ああ、もう、可愛いなあ。横で私に向かってグッジョブしている課長を全く見ていなくって、さすが私の友。
「ごめーん。今度、埋め合わせさせてね」
女将さんたちにも御馳走さまを告げて、まだ困惑中の葉にひらひらと手を振って店を出た。はあ、さっさと退散しよう。あの二人を見ていたら、なんか意地を張って喧嘩してるのもバカらしくなったなあ。
自分の気持ちに真っ直ぐな課長に、天然で素直な葉。二人の関係は、近くにいるこっちまであたたかい気持ちになるから不思議だ……あったかい通り越して、あてられもするけれど。こいつらめ! って思うけど。
ちょうどその時、鞄の中のスマホがメールの着信を告げる。取り出してみれば差出人はもちろんあいつ……私も、少し素直になってみようか。歩きながら発信ボタンを押したスマホを耳に当てた。
年始休暇明け。「大好きなおじいちゃん」に本気でヤキモチを焼く課長が頻繁に見られるようになって、またちょっと面白い毎日が始まるのだった。
ちなみに喧嘩の原因
「っだあ! おまえ、葉ちゃんばっかり優先しすぎっ!」
「なによ、仕方ないでしょ? その日しか予定が合わなかったんだから」
「そんなことばっか言って……じゃあ、水曜は家来るんだろ?」
「んん? ああ、聞いてっ、水曜はね、葉とディナービュッフェ行くの! ドタキャンで一席だけ空いたって予約取れたのよ! ミラクル〜。魅惑の満漢全席……」
「っあああ、もうお前、知らんっ!」
ってなわけで、初めての女トモダチを満喫しすぎる千香ちゃんにほっとかれ気味の彼氏のヤキモチでした。
2016/10/04 初出