星と花火の空の下【画像あり】(FA御礼SS)
◆ひより さまより「睡蓮の恋」「睡蓮に恋をする」に素敵なイラストをいただきました! どうしたらいいか分からないくらい嬉しいので、精一杯の感謝を込めてSSを。リクエストも頂戴していました、番外イタリア編で書ききれなかった場面です。お楽しみいただければ何よりです。
ひよりさま「夏の日の通り雨」に引き続き、本当にありがとうございます!!
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(イラスト:ひより さま/2枚とも)
* * *
イタリア、ボローニャの冬は気温こそそれなりに低いが、雪は滅多に降らないらしい。大晦日の今日、午後まで降っていた雨はすっかり上がって、空にはチラチラと星も見える。
飛行機の中で覚悟を決めて降り立ってみれば、おじいさまも大樹さんの幼馴染も近所の人たちも、それはあたたかく迎え入れてくれた。まるで昔からの友人のように気さくに接してくれて、そう時間もかからずに私の緊張も解けたのだった。
瞬く間に数日が過ぎ、気心の知れた人たちとの大晦日の夕食の後。新年を祝って零時に上がるという花火を見ようと誘われて、軽くコートを引っ掛けて私と大樹さんは二人でベランダに出た。薄いカーテンがかかった背後のリビングからは、おじいさまたちが、旧市街の中心地で行われるカウントダウンの様子を中継するテレビをお喋りしながら楽しんでいる声が漏れ聞こえてくる。
「寒い?」
「たくさん食べて飲んで、火照っていましたから。ちょうどいいです」
すう、と頬を撫でる風は冬の色をしているけれど、暖かい室内から出たばかりで寒さはそこまで感じない。手すりに両手をつけて少し身を乗り出して空を見上げている私に、大樹さんは少し眉を寄せた。
「ワインはそんなに得意じゃないだろ、断ってもよかったのに」
「そこまでたくさん飲んでないですよ。ちょっとふわふわしますけど、気分も悪くないですし。それにあんなに美味しい赤ワイン初めてでした」
「ルカのセレクトだからな、味は保証する」
今日も美味そうにしてたなぁ、と半分呆れたように笑って手摺から体を離される。せっかく星を見ていたのにと抗議すると、足元が危なっかしいと言われた……そこまで酔ってないと思うけど。外の空気に当たって随分すっきりもしたし。確かに普段ワインなんてほとんど飲まないけれど、別に嫌いなわけじゃなくて種類が多すぎて選べないだけだ。
ここイタリアでは年越しの夕食に、それはもう、ご馳走が並ぶ。サラダだけでも葉っぱのや、シーフード、それにカルチョーフィのと種類豊富。リゾットやグラタン、近くに本場がある生ハムやサラミ、モッツァレラチーズ。あとお正月に欠かせないというレンズ豆と豚肉の煮物。ドルチェは軽く滑らかなチョコレートムースにバニラアイス。もう、どれもこれも頬が緩みっぱなし。
美味しい料理、それにぴったり合う美味しいお酒。なによりも、食卓を囲む人たちの笑顔――それはなんて至福の時間。
「ルカさんって料理上手ですよね。この前いただいたラザーニャも美味しかったですけど、今日のリゾットも最高でした。なんでしたっけ、あのキノコ。ポルチーニじゃなくて、ええと、フィ……フェリ?」
「フィンフェルリ」
「そう、それ! すっごく香りがよくって」
大樹さんの幼馴染のルカさんは銀細工の工房で働く職人さんで、おばあさまから習った料理が趣味だという。今日はお手伝いをさせてもらって一緒にキッチンに立っていたけれど、まるでプロのような手際にすっかり見惚れてしまった。
帰るまでにまた来てくれるというから、次は名物トルテッリーニの作り方を教えてもらう約束をした……楽しみ。
「随分ルカと仲良くなったみたいだけど。何話していたんだ?」
「え、いろいろ?」
私の返事に不満そうにした大樹さんに、引き寄せられたままくるりと向かい合わせにされた。え、ちょ、ちょっと、近いのですけど。窓の向こうでカーテンが引いてあるとはいえ、すぐ後ろに皆さんがいるのですけどっ?
あれ、と思う間にさらに距離は詰められて、すっかり拘束されてしまう。
「じいさんとルカと三人で、話、弾んでいたな」
「ちょ、ち、近いですって課ちょ「大樹」」
きゅう、と音がしそうなくらいの密着にせっかく冷めていた体温がまた上がる。耳元で呼び方を正されたその声に少しだけ滲んでいたものは――。
「大樹さん。もしかしてヤキモチ、とか?」
「……」
ぴくりと震えて、固まった。いつもいつも私ばっかり慌てさせられていたけれど、ちょっとした形勢逆転になんだか口元が上がってしまう。そんな私の気持ちが伝わったのか、大樹さんは肩口に顔を埋めたまま大きなため息を吐いた。
何も心配することないのに。
「話していたのは、大樹さんのことですよ」
「俺の?」
「ルカさんとの馴れ初めから二人の冒険譚まで」
ようやく見えたその顔は明らかに驚きの表情。
「言葉の教室で一緒だったって」
「……そう、か」
ルカさんは日本語が分からないし、私だってイタリア語が話せない。お互い片言の英語と、おじいさまの通訳でのお喋りだった。ルカさんのご両親や妹さん夫婦とリビングで話している大樹さんの方を見ながら、懐かしそうに昔話をしてくれた。
『俺さ、子どもの頃吃音だったんだ。ヒロキは日本語とイタリア語がごっちゃになっちゃってて言葉が遅くて教室に来て、そこで会ったんだ』
吃音を揶揄われてばかりいた頃に出会った日本人の少年と、人種と言葉の壁を越えて友人になるのに時間はかからなかったと言う。
『ヒロキは、言葉は理解していたから俺の吃音にも気づいていたのに、驚くこともバカにすることもなかった。全然、なんでもないって顔してさ――実際、何とも思ってなかったって後から聞いたけど。そんなヤツ、初めてだった』
フライパンの中を覗き込みながら、面白そうに目を細めるルカさん。おじいさまはすぐ横のテーブルに腰掛けて、片肘をつきながらエスプレッソを飲んでいる。窓の外は雨、シトシトと柔らかく降る冬の午後。
『言葉っていうものは言いたいことが伝わればいいんだよ、ルカ』
『おじいちゃんはそう言うけどさ、子どもの世界は残酷なワケ』
『ああ、それは違いない。そのおかげで、二人は友人を得たわけだ』
『親友をね』
もう一度向こうに目をやれば、別室から戻って来た妹さんの双子ちゃんによじ登られている大樹さん。きゃあきゃあとはしゃぐ楽しそうな笑い声……雨なのに、リビングは明るく感じた。
「銀細工に目覚めたルカさんと、フィレンツェに乗り込んだ話とか」
「小学生二人で無茶してな、怒られたの何のって。けど……あいつが自分から言うとはな――」
カーテン越しに透けて見える室内に向けて、何かイタリア語で呟いてそのまま私の両手をとった。低く聞こえてくるテレビからはカウントダウンが始まっている。空に向けた視線につられて見上げれば、響く花火の音。同じように外に出ていた人たちの歓声も聞こえる。
「……やっぱり、花火は日本のがいいな」
「ここでそれを言うんですか。まあ、同意しますけど」
うん、言わないでおこうと思ったのに。どちらかと言うと景気付けメインのような花火は音ばかりで、花が小さい。大輪の菊や牡丹や凝った細工の尺玉は、やはり日本ならではなのだろう。
くすくすと笑いあって、新年の挨拶を交わす。こういう風に年を越すとは思いもしなかった。そんなのに気を取られていたら、繋がれたままの手元に何かを感じた。
「……え」
大樹さんの手の中に納められた、私の薬指には柔らかい金色の輪。淡く光るイエローゴールド。
「葉、vuoi sposarmi?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に向ける眼差しは柔らかいのに、あくまで真剣で逸らせない。言葉は分からなかったけれど、その意味は何故かわかってしまった。
「大樹、さん」
「返事は『Sì』か『はい』だから。早くはないよ、少なくとも俺はね」
四年だからな、と持ち上げた指先に小さく告げて爪先に唇を寄せる。すぐでなくていいけれど、その二つ以外の返事は聞かないと本気か冗談か分からない調子で言って、少しだけ二人の間に距離を取る。私を見つめる瞳の奥に、微かに緊張の色が覗いていた。
……過去を丸ごと受け入れて、その上でこうして一緒にいたいと言ってくれる。恋人になってからの時間はまだほんの少しだ……それでも。
この人だったからこそ私は――。
さやと吹く風にさえ、さらわれてしまいそうな声しか出なかったけれど。
私はまた、その腕の中に舞い戻った。