17
「…なんてことだい、亡くなったあんたのお母さんの味をウチのゆうくんが…それなのに誤解して騒ぎ立てて、その上怪我までさせてしまってすまなかったねぇ」
「いえ、気にしていませんのでお気になさらず」
「いや気にしろよ、お前首がスパッといったんだけど」
勇人青年の祖母が振り回した薙刀はそれはもう綺麗にスパッとシリウス青年の頚動脈を切りつけましたが、彼の驚異的な再生力は血が噴出す前にその傷を跡形も無く塞いだのでございました
切りつけてしまった瞬間、流石に頭に上った血も一瞬で冷め やってしまった! と我に返った祖母はありえないその光景を眼にし、ぽかんと呆けてしまったのでございます
「けどさすがに徳が高いだけあるねぇ、それだけ身体が丈夫なら健康で長生きできそうだねぇ」
「いやいやいやいや、もう徳が高いとか高くないとか身体が丈夫だとかひ弱だとかコレそういう次元の問題じゃないよね? 確かに健康で長生きはしそうだけどさぁ、主に憎まれっ子世に憚る的なアレで且つガッツリとふてぶてしく」
「失礼ですね」
「ニクマレッコ?」
「また分からない単語出た」
「こちらの言葉は、ごぶっ、むずかしいでぇっぶ」
「ニクマレッコヨニハバカルとは、一体どんな意味ですの?」
「こいつのような性格のヤツの方がかえって世間的に力を持ち長生きしそうだ、ってことだ」
「失礼ですね」
シリウス青年は、彼女の疎外感を読み取ることができましたので、誤解を解き現在に至る次第でございました
勇人青年に義母を救ってもらったように、彼女の不安を解消してあげたいと思ったのでございましょう
そうでなくとも彼の義母はかなりの老齢でございましたので、彼個人としても、こういった年齢層の女性に対し何か思うところがあったのやもしれません
いずれにせよ、年寄りの高血圧というのは塩分過多や過度の冷房、熱い長風呂と同じく避けたほうが無難でございます、その点においても功労があったというものでございましょう
まぁしかし、下手をすれば傷口が再生するなどという衝撃的な光景に心不全に陥るという諸刃の剣的な可能性もございましたが、勇人青年の祖母は幸いなことに心臓はお強いようでございました
しかしそれよりも勇人青年は、切りつけられても眉一つ動かさないシリウス青年に対し、無表情なのはいつものこととは言え、流石に今回ばかりは、大丈夫かこいつ、とわりと本気で心配になったのでございました
ちなみに彼の義母の話に引き摺られるように巫女たちの出自の話にもなり、彼女達の育った環境と、なぜ勇人青年が母と呼ばれるようになったのかが明かされ自動的に誤解は解けたのでございますが、自分が言っても聞く耳を持たれなかったのに、なぜ他人の言葉は素直に聞くのか、という一般的子世代にわりとありがちな理不尽さを感じた勇人青年でございます
何にせよ、危ないので薙刀は没収したいところではございますが、彼女はこの薙刀を使って色々と、本当に色々と功績を立てているのでそれを考えると没収することもできず、しかし今回無実の罪で怪我をさせてしまったことを鑑みて、せめてもと模造刀にすることが決定したのでございました
*** *** ***
幼い弟妹がそろそろ眠くなる時間のことでございます
巫女たちの そろそろ いとまをする、との申し出に、神代家の面々は酷く残念そうに見送ることにしたのでございます
庭木の大きさになったあの樹には、シリウス青年によってその中ほどが大きく膨れ虚が開けられており、その向こうがあの世界へと繋がっているのでございました
「ほんとにもう帰っちゃうのか?」
「お兄ちゃんと一緒に泊まっていけばいいのに」
「ヒデト殿、セイコ殿、皆様、ありがとうございます、その気持ちだけで嬉しいですわ」
「向こうで果たすべき責任ある、でもまた来る」
「頑張ってね」
「無理は禁物だぞ」
「疲れても疲れなくてもいつでもおいで」
「ありがとうございますぅ、また、げうっふ、お土産いっぱい、ごほっ、持ってくるですぅ」
「土産は気にしなくていいから、遠慮せずに来いよ」
勇人青年らの言葉に力強く頷いた巫女たちは、現在、立派に大役を果たした功績を受けてそれぞれが高い地位に就き、自分達が育った環境を少しでも改善しようとしているのだそうでございます
一方で、イマガミミカドの属した巫女一行はあの旅でまんまと、いえ、無事三人とも子を授かり、その子供達は従来の教育を受けているようでございます
同期の子供達を不憫に思っても、今はまだ彼らを救い出す程の力は彼女達には無く、けれど人の心を捨てるように育てられるよりも、人は人として、心を感じて育つ方がよほどいいと、彼女達は強く思ったのでございましょう
「とりあえず次は来週あたりですね」
「早いな」
しんみりと巫女たちを見送ったところで、虚を閉じる為に最後に残ったシリウス青年の一言が場に水を差したのでございました
「この樹は、完全に根付いたのであちらとこちらは繋がったままです、この樹の虚を通る限り、あちらとこちらの時間の差異はありません、けれど何の加護も無くこの中を通れば身体にどんな影響があるかは分かりません、だから万一が無いよう、この虚は我々が使用する時以外は塞いでいきます」
「そっか…ほんとに気軽になったんだな…」
呆れたような関心したような、そんな気持ちで勇人青年が呟くと、そこへ電話の着信音が響いたのでございます
「誰だよ…ってあいつか、もしもし? 何だよお前…は? 来なくていい、来るな、照れてないっ、デュフフじゃねぇよっ、いつもいつもコポォとかフォカヌポウとか意味分かんねぇよ、ワラワラうるさいっ、普通に喋れないのかお前は! は? そろそろ高速降りるところ?! ふざけんなお前らの分の飯は無いからな!」
ぶちっと怒りに任せて通話を切った勇人青年に弟妹がどうかしたのかと心配そうに彼を見上げなさいました
「兄ちゃんどうしたんだ?」
「誰か来るの?」
「あいつ彼氏使って高速飛ばして来やがった」
「え、もしかしてよっちゃん? お兄ちゃんのお婿さん見たがってたからかなぁ」
「婿じゃない」
「まぁあの子こんな遅くに彼氏を連れてくるのかい」
「大変、冷蔵庫の中は明日の朝食の分しか残ってないわ」
「この辺りじゃ今からだと高速近くのコンビニしか開いてないな、父さんがちょっと行って買ってくるか」
「こんな非常識な時間に訪ねてくるやつに食わせるものはない、ほら、お前も厄介ごとが来る前に早めに退散しとけ」
「そんなに強く引っ張らないで下さい、破け、」
相変わらず脆いあちらの生地は、シリウス青年を虚に押し込もうと力いっぱい引っ張った瞬間にビリリと破け、彼は無防備にも、虚の中へと勢いのまますっぽりと入ってしまったのでございました
「チィッ! まったく世話の掛かる!!」
慌てて間髪入れずに手を突き入れ力いっぱい引き戻された拍子に、勢い余って背中から地面に倒れたシリウス青年の上に頭から突っ込んだ勇人青年でございました
「重いです、どいてくだ…」
「わり、今どくよ、引っ張り出してくれてありが…どした?」
勇人青年によって胸を強打し、やや息苦しそうに片手で勇人青年の胸を押し退けるようにして抗議の声を上げたシリウス青年の不自然に途切れた言葉に、不思議に感じて彼の顔を見れば、その顔は珍しく無表情ではなく、呆気に捕られたような顔をしていたのでございました
恐らく初めて見るであろうその表情は、シリウス青年を随分と幼く感じさせるものでございました
彼は、押し退けた体勢のまま残る片手で眼を二度三度とこすり、恐る恐るその手も勇人青年の胸に押し当てたのでございます
「…本物?」
「は? …え?」
二人して凝視する先には、たわわに実る豊かな胸がございました
「痛覚とかあるんですかこれ」
「触った感触はある…やわらか過ぎてなんか怖いなこれ、あ、それ以上力入れたら多分痛い、やめろ」
「そういった感覚が予め分かるものなんですか」
「多分…っていうかこれ何だ」
「明らかに胸でしょう、鼓動も伝わってくるし体温もある、生身のようですね…厳密に言うと乳房ですか」
「厳密に言うな」
男二人…いえ、厳密には精神的カウントでいえば男二人集まり女性的な胸があれば猥談に走るものでございます
…が。
片や彼女居ない暦イコール年齢、片や重度のマザコンでございます、性的興味よりも知的好奇心の方が勝った瞬間でございました
二人してぷにゅぷにゅふにふにと経験に無い感触をじっくりと検証する姿はいっそ滑稽ですらあるのでございます
しかし、そのようなある種の微笑ましい光景でも逆鱗に触れる存在が一人いたのでございました
「…あんたたち」
「「あ。」」
「このわたしの眼の黒いうちは婚前交渉なんて許しゃしないよっウチのゆうくんを嫁を貰えない身体にした上にわたしらの前でそんな破廉恥な真似までして」
「え、あ、いや、ちがっ、あ! も、元には戻れる、こいつが元に」
「戻せませんよ」
「え。」
「以前のわたしのこの二つの眼と同じです、それが当たり前の状態になっているようですから、戻せませんよ」
いざとなればシリウス青年の治癒で即座に元に戻れると余裕の勇人青年でございましたが、そうは問屋が卸さないようでございました
「え、あ、う、ま、マジで?」
「マジです」
「え、ぇ、あ、取り敢えずお前胸から手ぇ離せ、なんとか少しでも体裁を整えろっ」
「まず貴女がわたしの上からどいて下さい」
「あれ、今、"あなた"の漢字おかしくなかったか? そういえば自嘲の時も…お前漢字分かんの?」
「母に教わりましたから」
「あんたたちぃ…無駄話はそこまでだよ!」
恐怖のあまり現実逃避に走る勇人青年の頭上では月明かりに薙刀の切っ先がぎらりと怪しい光を放ち、絹を裂くような女の悲鳴が山々に響き渡ったのでございます
とはいえ、それは断末魔の叫びなどではなく、人生山もあれば谷もあり、俺たちの冒険はこれからだ! …とばかりにこれからも続くのでございましょう
つーびーこんてぬー …で、ございますか?
というわけでタグ通りTSにて完結いたしました、ここまでお付き合い下さり ありがとうございました!!




