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『そろそろですわね』
以前の二の舞にならないよう、勇人青年を空気の層で包み、中を適温と湿度を保たせつつ空を往くこと暫し、目的地が見えてまいりました
樹木程も肥大化した草花、奇形化した動植物、点々と見えていたそれらの姿が、やがて景色を埋め尽くし、それらはお互いを喰らい、取り込み、中央へ、中央へと集まっていくのでございます
『大分、げぇっほ、進化してるみたいですぅげふごほっ』
『中央だけ開けば問題ありませんね』
『充分ですわ…あの種の使い方、土の能力者とは知りませんでしたわ、あれほどのことが可能ならば、浄化が終わるまでお任せできそうですわね』
『あまり過度な期待はしないでもらいたいですね、万能というわけではないので』
そう言うシリウス青年は、浄化の力を込められた数粒の種を巫女アプスが風を使って澱みの坩堝へ送り込むとソレを発芽させたのでございます
爆発的に増殖したソレは手当たり次第に魔属化した動植物を刺し貫くように薙ぎ払い、強引にその混沌の中央に空白地帯を創り出したのでございました
『広さ充分』
『後は任せて、ごぅっふ、くださいですぅ』
ふわりと降り立った大地は、硬くひび割れ、黒く変色し、既に生物を育むことはできない姿へと変わり果てておりました
そこで巫女らは中央に土の巫女、その周りを囲うように火、水、風の巫女が位置を定め、厳かに舞い始めたのでございます
それぞれが、自身の周りにその足取りで幾何学的な紋様を描き輪を成すように
浄化の力は、それぞれの四元素に相対するものであり、舞いに定められた足運びは、その力を楔として大地に刻む陣を組むための特別な軌跡なのでございます
三方から囲むそれぞれの陣は、やがてその隣の陣と複雑に絡み合い、徐々に中央の土の陣へとその軌跡を伸ばしていくのでございました
懸命に舞う娘をじっと見つめる獣人正宗を、その妻カネスもまた、食い入るように見つめておりました
彼女は既に、サクラマユコと共に旅をしていた折に、そのことを知っていたのでございます
けれども、幼い頃に彼女を助けてくれた正宗の存在は、忘れ難いものであり、結末を知っていながらも、娘をもうけたのでございます
カネスの夫は、明るく、誠実で、頼りがいがあり、けれども、その内面はとても幼く、彼女は義母と呼ぶ舅に一度だけ、いいのか、と 分かっているのか、と問われたことがございました
その問いには、ただ、頷くことで返しましたが
いいと言っても、当然のことながら本心ではよくはなく、分かっていても選ばずにはいられなかった選択肢でございます
他人がどのようなめにあっても、誰も眼を向けないこの世界にあって、自分にとって何の益も無く他人であるカネスを救い、見返りを求めず、大丈夫かと心配し、手を差し伸べてくれた、それは愛情では無いかもしれません、ただの執着かもしれません、けれども、彼女にはどうしても離れ難かったのでございます
浄化の一行に加わったのも、助けてもらった当時は幼く付いていくことができず、せめて何か噂だけでも、と別の一行に加わったのでございました
再会し、仔供に恵まれ、覚悟はしたつもりでございました
まだ、まだもう少し、共に在ることができると
それが予想外に早まることになり、愕然としたのでございます
覚悟など、まるでできていなかったのだ、と
息も詰まるような真剣な顔つきで舞う、自分達のたった一人のかわいい娘
いつまでも、長く、長く、終わらなければよい、と願うカネスは、夫の、正宗の背中に顔を伏せたのでございました、彼の内面は、たとえ幼くとも、ぼろぼろと際限なく涙を流しながら娘を見つめ、拳を強く握り込み耐える姿に、追い縋ることもできないのでございます
彼らの見守る中、舞が終わると、その中心から澱んだ空気を吹き払うように風が吹き、波及するように黒く変色した大地は見る間に本来の色を取り戻し、シリウス青年が防いでいた茨の向こうでは魔属化した動植物が風に浚われた砂のように崩れ去り、静寂が、訪れたのでございます
浄化の波が行き届くまで、此処へ来るまでに後回しにしてしまった場所や動植物はまだ暫くそのままでしょうが、それもやがて解放されるでしょう
後は、他の浄化地は、他の者達が浄化するのを待つだけでございます
『…おわった』
『おわりましたわね』
『とうちゃんかぁちゃんおわったよ!』
『…でも、げほ、これからですぅ』
大儀を果たし嬉しそうに此方を振り返る娘の、なんと愛しいことでございましょう
その一方で、他の巫女たちの辛く歪む顔の、なんと切ないことでございましょう
『あ…れ…? とうちゃん、どうしたの? ばぁちゃんも、なんで…?』
巫女ポラリスの笑顔が引き攣り、慌ててこちらに走り寄ってくる、その必死な顔
『とうちゃん、どうしたの? なんで? なんで透けてるの? なんで泣いてるの?』
『くぅん(ポラリス)』
『ど、どうしたの、ねえかぁちゃん、とうちゃんどうしたの? ねぇ、ねえったら!』
妻と娘を抱き寄せ、ぼろぼろと涙を零す獣人正宗は、徐々に透けはじめ、若返り、仔犬に戻り
うろたえる巫女ポラリスの背後では、三人の巫女たちが、こちらに近寄ることもできずに、三人寄り添い、奥歯を噛み締めるようにして耐えておりました
自分のように、親と慕う者を失う恐怖を見せる者たち、シリウス青年は、同じく透けていく勇人青年の背を支えながら、ぽつり、と呟いたのでございました
『ああ…そうか…逃げ切る…そういうことですか…、わたしから母を奪い、ポラリスから父親を奪い、カネスから夫を奪い、巫女たちから母親を奪い、わたしの喧嘩相手をも奪う、確かに、確かに貴方は恨まれる存在だ……でも、』
『やだっやだっきえちゃやだ! とうちゃん! とうちゃん!!』
それだけではないでしょう、愛する者を失った者達の悲痛な絶叫の中、呟いた彼の言葉は、誰の耳にも届くことはございませんでした
巫女たちの渾身の舞いも例の視覚的アレで全部台無しなんですけどね、心の眼で美少女たちを堪能してください
一人だけ知らなかったポラリスはかわいそうですが、言えるわけないですよね




