05
「…よし」
湯気の立つソレに二度三度と息を吹きかけてから口に含み、納得がいったのか大きな器にたっぷりと盛り付けてから箸を一膳持った勇人青年は、大儀を果たすように立ち上がったのでございました
「おい、飯だぞ」
彼女が旅立った場所に座り込み、風化した彼女が残していった装束を抱えて夜明けを知らせる空を見上げるシリウス青年の視界に割り込むように食事を差し出すと、彼は緩慢な動作でそれを受け取ったのでございます
恐らく、現在思考がほとんど働いてはいないのでございましょう、言われるがままに箸を付けたシリウス青年は、一口含み、動きを止めたのでございました
「それ、皺になるから畳むぞ、いいか」
動きの止った彼を気にも留めず、拒否の言葉がないのを了承ととって勇人青年が丁寧に土埃を落とし彼女の装束を畳んでいると、シリウス青年は食事をゆるゆると再開なさいます
それは、義母スピカの味でございました
毎日食べていても、恐らくこれほど意識して食べたことは過去一度もなかったことでございましょう
勇人青年は丁寧に畳んだソレを彼の組んだ膝の上に置くと、自分は彼の顔に背中を向けるように胡坐を組んで座りなおし、頬杖をついて日の昇る予兆を見るとも無しに見るのでございます
その背後で、彼が一粒、嗚咽も無く涙を零しても、気付かない素振りを貫いて
「どうするんだ、保養地に戻るのか」
『……あそこは既にポラリスの任地です、荷物も全てこの旅に持ってきています、わたし自身はこの眼を得た際に神属を解かれています、戻るべき場所は存在しません』
「そうか」
かたりと箸を置いた音を機に背を向けたまま問い掛ければ、今度はやや頼りなくもしっかりとした応えがございました
「どこか宛でもあるのか」
『あるように見えますか』
「だーかーら、ヘコんでる時くらい喧嘩腰とかやめろ」
『そういう態度をお望みですか』
「あー、うん、俺が悪かったわ、ごめん、許せ」
『自分の言動には責任を……』
「ん? どうしぅおっ?!」
唐突に途切れた言葉に、勇人青年が疑問の声を上げる間も無く、彼は襟首を掴まれて背後に放り投げられ
勇人青年の眼に、此方に背を向けて立ち塞がるシリウス青年の姿が映ったのでございます
「なん…だ…ソレ…俺にも見えるぞ」
『さて、わたしに聞かれても、答えかねます』
勇人青年の視界を遮るように足元から勢いよく突き出る腕の太さ程もある茨の数々が彼を半球状に覆うように絡み合い、その内側には棘は無く、その一方で外向きには指の長さ程もある鋭利な棘が隙間無くびっしりと生え、その先端からはぽたりぽたりと毒液が染み出しておりました
滴る毒液は勇人青年に掛かることはなく、茨の蔦をまんべんなく濡らすようにして伝っており、たとえ棘を避けることができたとしても毒液から逃れることは出来ないことが容易に想像できる程でございます
『貴方はそこで大人しくしていて下さい』
「言われるまでも無く動けねーよ!」
茨の隙間から見えるソレは、影でできた陽炎のようで、僅かにその向こうの景色が透けることで、その実体が存在しないことが伺えました
一体、いつ、どこから現れたのか
なんとか人型であると判断できるソレは、目測ではありますが恐らくシリウス青年よりも身の丈があり、その腰のあたりには尾のようなものが確認できたのでございます
『空間が閉ざされました、助けは期待しないように』
「は?」
『バケモノですよ、早々に母さまの元へ逝けそうです』
「はは、なんだそれ、笑えねーよ、とりあえずこっから出せ」
『この事態でも召喚の定義が通用するならば貴方は生きて還れるでしょう、この空間から出ることができれば、の話ですが』
「笑えねーって言ってんだろ、怒るぞお前、いいから言うこと聞け」
『そんな義理はありませんね』
彼の眼がバケモノと評すのならば、それは一体どれほどのものなのか、少なくともシリウス青年の判断では彼の死は確定しているようで、それに勇人青年が苛立つように自身の腰元に手を伸ばした時でございました
ソレがゆっくりと片手を差し出したのでございます
その瞬間、全身が総毛立つとでも申しましょうか、全身の肌がぞわりと粟立った彼らの眼に映ったものはしかし、意外な姿でございました
『母さま…?』
「なんだ、ケレスさま…はぁ?!」
それの手から映し出された姿は、黒髪の中年ほどの女性であり、その姿が同じ程に老いたとしても、勇人青年にはとても同一人物には見えません
けれどもいかにも日本人といったその容姿と、シリウス青年の言葉を考えれば、それが彼女で間違いはなさそうでございました
「あれが…お前に見えてたお袋さんの姿なのか?」
『生きている時の魂の形は分かりますが、わたしの知る限り人型ではありません、亡くなった母さまが身体から抜け出た時に変化した姿はあの容貌でしたが…』
ではあの時、彼はその魂と別れを交わしていたということなのでございましょう
固唾を呑むお二人の前で、彼女はそれはそれは嬉しそうに笑むのでございました




