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(じゃあ、今、旦那さんはお子さんのところにいるんですか)
(そうなの、わたしの傍にいるとね、この力でどんな影響があるか分からないから、だからあの人が亡くなる前に、その時には子供の傍で待っていてくださいねってお願いしたのよ)
(影響…ですか?)
(夫が亡くなるずいぶん前に聞いたことなの、霊感がある人の話なんだけれど、土に限らす継承者の傍には霊が集まって、消えていくんですって、きっと救われたい魂が集まっているのね)
(ああ、それで……)
以前にシリウス青年が見えると言った死者は、継承者の浄化の力に集まり縋る霊のことだったのでございましょう
巫女スピカと雑談をしながら、彼女の夫が、子供が、どんな人物であったのか、シリウス青年が幼い頃はどんな子供であったのか、彼女の思い出を反復させるように、ひとつひとつ勇人青年は尋ねたのでございます
独りきりで漠然と思い出すよりも、物事を絞って尋ねられた方が、より鮮明に記憶を起こし直すことができるというものです
(わたしったら、あの人をずいぶんと待たせてしまっているわね)
(そうですね…すごい遅刻ですから、きっと心配して首を長くして待ってますよ)
(きっと勇人くんの言う通りね…あの子は…わたしがいなくなっても大丈夫かしら)
(きっと最初は全然大丈夫じゃないですよ、断言できますよ俺)
(ふふふ、そうよねぇ)
(でも大丈夫になりますよ)
(なるかしら)
(なりますよ、だってあなたが望んだ通りの普通の子ですから)
(かわいいお嫁さんをもらってマイホームパパしたり?)
(あー…うん、きっとそうなります)
マザコンだと隠しもしないどころかむしろ堂々と公言するであろう男と そんな男だと分かった上で尚も嫁ぐヨメとは一体どんな地獄の猛者なのか、その上マイホームパパだなどと瞬時に幻聴として処理したくなるような異常事態など、たとえこの世が終末を迎え神も魔も滅びるような遠い幻想の彼方にあってもあり得ることなどないと勇人青年は確たる信を得ましたが、そこは典型的事なかれ主義の日本人の処世術を駆使してぐっと口を噤み、社交辞令に勤めたのでございます
たとえ普段どんなに女傑で鬼のような女性でも大概において息子の嫁という存在には夢と希望と理想を夢想しており、その妄想がどんなに荒唐無稽で無知蒙昧、ご都合主義であろうとも信じ願いたいものなのでございます
世の中には言わぬが花という言葉もあり、この場合彼が選んだ対応は最も最善の選択でございましょう
(ふふふ、楽しみねぇ、きっと夢枕なら逢いにこられるから、あの子許してくれるわよね)
(あいつがあなたを許さないなんてこと、あるはずが無いですよ)
(そうね、あの子は優しい子だものね、わたしの自慢の息子だものね)
翌日から幼獣ポラリスの土の能力者としての訓練が始まり、とうとうその二ヵ月後
彼に
シリウス青年に
来るべき日が来てしまったのでございます
*** *** ***
『おっきいばぁちゃんどうしたの?』
『彼女は少し眠いのですわ』
『邪魔するよくない』
『二人だけに、げほ、してあげるです』
横たわるスピカを不思議がる巫女ポラリスを獣人カネスが無言で抱き上げて夫に預け、巫女たちがそっと促し
最後に勇人青年が見えない場所にまで下がり
後には二人だけが残りました
『母さま…』
枯れ枝のような彼女の腕が伸ばされ、彼はその意を汲み取るように頭を下げなさいました
音にはならない声が、空気として掠れるように吐き出され、ゆっくりと、わずかに、その手は頭を撫ぜるのでございます
いいこ…
わたしの…
かわいい…
しりうす…
いいこね…
音にはならなくとも、彼女が精一杯の愛情を込めてその名を呼ぶ声が、彼には確かに聞こえたことでございましょう
たとえ額の第三の眼が無くとも、それは疑いようの無い真実なのでございます
彼女が、精一杯の慈しみを込めて、彼に愛情を示した、その、直後、無常にも、永き月日は、彼女を塵に変え、彼の、手の内から、零れ落ちてしまったのでございます
風が舞い、塵を巻き上げ、空に消えていく、その時
勇人青年は頬に、何かが掠めたような錯覚を覚えたのでございました
それに何かを感じ、彼が様子を確かめると、そこにはシリウス青年が、独り、座り込んだまま静かに空を見上げていたのでございます
彼は、泣いてはおりませんでした
ただ空を、何かを眼で追うように仰ぎ、そこに、座り込んでいるだけでございます
どんな感情が彼のその身を襲っているのでございましょう
それは他者には見えず、避けられないものであり、深く傷を残し、また、容易く癒えるものでもございません
今、彼がどんな気持ちなのか、何を見て、何を聞いたのか、勇人青年には想像することしかできず、それを理解することは恐らくこの先どんなに時を経て様々な経験を積んだとしても出来ないものでございます
今はただ、そっとしておくしかできないことは明白で、彼に声を掛けることもなさいませんでした
ただ、穏やかなそよ風だけが、二度、三度と彼ら二人の頬を撫ぜ
勇人青年はその風に乗せるように別れの言葉を送ったのでございます
「さよなら、ケレスさま…」




