♪79 だまし討ち
こんな先輩の姿は初めて見る。
局の飲み会でカラオケに行った時、たしかに歌はうまかった。プロみたいですね、なんて言った気もする。
でも、モニター越しに見る章灯はまるで別人だ。眼鏡を外しているから? いや、違う。何だろう。何が違うんだろう。
カラオケで聞いた時とは比べ物にならない。これが本当のプロの声なんだと思った。
ただうまいだけじゃなくて、心臓を半分えぐりとられるような……。何だろう、言葉が思い浮かばないや。
……先輩、意外なところ、ちゃんと持ってるじゃないですか。
明花はじっとモニターを見て、メディア初公開となる『ORANGE ROD』の演奏に聞き入っていたが、そのモニターの横からスケッチブックがゆっくりと顔を出す。
『演奏が終わったら、こっちに戻してください。ユニットについての告知等もあります。』
ADの特徴的な字でそう書かれている。
あまり表情に出さないようにしてその字を目で追うと、ADはぺらりとページをめくった。
「……ありがとうございました。【ORANGE ROD】でした!」
演奏が終わり、額に汗を浮かべて胸ポケットの眼鏡を装着する。やはりこれがないとアナウンサーに戻れない。
イヤーモニターから「先輩、CDの告知はいいんですか?」という声が聞こえてくる。ナイス、汀! この満足感ですっかり忘れるところだった。
「告知が終わったら、第1スタジオに戻してください」という声が聞こえ、軽く頷いた。
「えー、本日4月7日、我々のデビューシングル『START!』が発売となります。この『シャキッと!』のメインテーマ、『START!』、お聞きいただきましたエンディングテーマ『ORANGE morning』と、アニメ『歌う! 応援団!』の主題歌『POWER VOCAL』を含め、全4曲収録されております。なお、CDはここ日のテレ本社ビル1階の『日のテレショップ』でもお買い求めいただけます。どうぞよろしくお願い致します!」
はきはきとそう言い「では、第1スタジオにお返しします」と締めた。
「はい、【ORANGE ROD】の皆さん、ありがとうございました!」
主導権が戻ってきた第1スタジオには、まだ少し呆然としているコメンテーター達の中、1人溌剌とした表情の汀明花がいる。
明花はスタッフから手渡されたメモを片手ににっこりと笑っている。番組終了まであと5分もない。何かあるのだろうか、と章灯はモニターをじっと見つめている。もちろん、カメラが残っているということは、この姿もお茶の間に流れているはずなので、気が抜けない。
「えー、突然の山海アナの変身に我々も驚かされちゃいましたね」
そう言って、コメンテーターの方を見ると、皆、深く頷き、お笑いコンビ松竹の竹田仁志は「山海さん、めっちゃ別人でしたやん!」と興奮気味だ。
「ですので、最後は、山海アナに驚いていただきましょう、ということで、第2スタジオの山海さーん」
不敵な笑みを浮かべて明花が呼びかける。
何だ何だ、と一度振り向いてメンバーを見るが、晶はもちろん、湖上や長田すらも首を傾げている。
「はい、何でしょうか」精一杯平静を装って笑顔で応える。
「えーとですね、この後、お昼12時から日のテレ本社ビル前で、デビューシングル先着500枚手売り&握手会イベントだそうです~」
「……は、はい?」
目を丸くして隣を見ると、その視線に気付いた晶は顔をしかめて首をぶんぶんと振っている。
「それでですね、その500枚なんですが、初回盤に付けられる『ORANGE morning』のミュージッククリップにプラスして、何と、そのメイキング映像も入っているスペシャル仕様みたいです~」
「え? メイ……キング……?」
再度隣を見るが、晶は先ほどよりも激しく首を振った。
「山海さーん、本番中ですよぉ~」
しばし呆然としている章灯に明花の明るい声が届く。そ、そうだ、まだ本番中だ……。
「では、皆さん、お時間に余裕がある方は、ぜひ、イベントへのご参加お待ちしております。それでは『シャキッと!』また明日お会いしましょう!」
「ま、また明日!」
最後は何とか笑顔で締めたものの、完全に明花に持っていかれる形となって記念すべき第1回放送は終了した。スタッフからの「OKでーす」の声で、章灯は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「何だよメイキングって……。聞いてないぞ、俺……」
あの内容からして、痛いのは俺だけだ。くっそぉ……。
「いや~、まさかあんなに集まるとはなぁ」
日の出テレビ6階にある第1会議室にて、カナリヤレコード社長の渡辺が革張りのソファにふんぞり返って笑っている。向かいに座った日の出テレビ社長の日野も上機嫌だ。
「……警察も来たみたいです」
ぐったりとした表情の章灯がぽつりと答える。
「上々な滑り出しだね、いやぁ、君を見つけてくれた榊君に感謝しないとな」
日野はほくほく顔だ。
「とりあえず、ここから始まるからな、山海。詳しいことは白石に伝えてあるけど、明日から、午後は全部埋まってると思え」
「わかります。売れます。少なくとも、社長はそう思っています。ですから、これから、本当に忙しくなります。章灯さん、頑張ってください」
晶の言葉通りだ。これからは本当に忙しくなるんだ……。
章灯はズボンのポケットに入れた『お守り』を服越しに握った。
ぐったりとして第1会議室から出て、携帯を確認すると、案の定メールや着信の山だ。
そのほとんどが友人や知人で、内容も似たり寄ったりなものだった。その中に埋もれて家族からも届いている。全員に返信なんて無理だぞ、とまた疲労が襲ってくる。
白石さんから何か連絡は来ていないかと探していると、湖上から着信が来た。ちょうどボタンに触れていたため、自分の意思とは関係なく出てしまう。
「もしもし……」
「おう、お疲れぃ! 疲れた声出してんじゃねぇぞ」
何でこのおっさんはこんなに元気なんだ、と思ったが、そういえば湖上はサポートなのでイベントには参加していないのだ。そりゃ元気なはずだよ。
「だって……、疲れたんですもん……。俺、あんなたくさんの人と握手したことなんてないっす……」
「そのうち慣れるって。よかったじゃねぇか、完売してさ。あれで売れ残ったりなんかしたら目も当てられねぇよ、俺」
「そりゃそうですけど……。で、何のご用ですか?」
「まったく、つれねぇなぁ……。お疲れって言うだけでかけちゃダメなのかよ」
「え? ああ、何だ……。ありがとうございます……。てっきりまた何かあったのかと思って……」
「まぁ、これから何かあるとは思ってるけどな。とりあえず、いまメールとかわんさか来てんだろ? その中に必ず麻美子ちゃんからのがあるはずだから、それだけは忘れんなよ! じゃ」
そう言うと一方的に電話は切れた。だから、その『麻美子ちゃん』からのメールを探してる途中だったんだけどな。
「これから何かあるって、何だろうな……」
そうつぶやきながらとぼとぼと廊下を歩いた。
自分のデスクに戻るのが憂鬱である。
本番後、ばたばたとイベントの準備をし、終了後はそのまま第1会議室に呼ばれたのだ。
局の皆は一体どんな言葉を浴びせてくるのだろう……。いっそ、何もなかったように接してくれねぇかなぁ……。
汀は怒ってないだろうか。コンビなのに一言も知らせてなかったしな……。
ふぅ、と大きく息を吐いてからドアを開ける。
控えめな声で「お疲れさまでーす」と言うと、章灯の姿に気付いた佐伯啓介が「おーい、ロックスターのご帰還だぞ~」と声を上げた。
佐伯……お前がか……。
章灯は顔を真っ赤にして俯いた。




