♪64 カウンターパンチ
「さすがに飲みすぎたなぁ……」
明け方に目が覚め、隣を見るとまだすぅすぅと寝息を立てている晶の姿がある。章灯はしばらくそのあどけない寝顔を鑑賞した。
視界の隅でチカチカと光るものがあることに気付いてその方向を見ると、何てことはない、携帯の着信を示すランプである。
全然気付かなかったなぁ。
そう思いながら携帯を開くと、現在の時刻はまだ6時前である。まだまだ寝れんじゃん、と呟きながら着信の相手を確認した。
『2008/3/17 0:00 不在着信 非通知』
「午前0時……非通知……」
断片的に見た昨日の映画がフラッシュバックして背中に嫌な汗が流れ、のん気にすやすやと眠っている晶に思わず抱き付く。
「――えぇっ?! しょ、章灯さんっ?!」急に抱き付かれた晶は驚いて目を覚ました。「何するんですかっ! な、何もしないって……!」
手足をじたばたさせて必死に抵抗を試みるも、章灯の方でも必死なのか晶に抱き付いたまま離れない。
「章灯さん! 章灯さん!」
強めに背中を叩くとやっと我に返ったのか、小さく、ごめんと呟いて彼女から離れた。
「もう、どうしたんですか、朝から……」
晶は呆れた顔をして、髪の毛を手櫛で整えている。章灯はベッドの上に正座をしてうなだれ、気まずそうに着信履歴を見せた。
「あ……、あ――……」
それを見た晶は気まずそうな顔をしてぺこりと頭を下げた。「すみません……」
「――へ?」
「じゃ、これは、アキのいたずらってことで良いんだな……?」
「はい……」
「お前は何でそんな遊び心出しちゃうんだよ……。わざわざこの時間に起きて電話したってことだろ?」
早朝6時にベッドの上で大の大人が正座をして向かい合っているというのは、なかなかな異様な光景である。
「だって……」
晶は下を向いてぼそぼそとしゃべる。
「だって、何だよ……」
章灯もまた醜態を晒してしまった気まずさで顔を背けている。
「いつもやられっぱなしなので、一矢報いたくて……」
「一矢って……お前……。俺は報いられるほど酷いことをお前にしてるのか……?」
「昨日の章灯さん、面白かったですし……」
「は? ……まぁ、面白かったろうな、さぞかし。畜生」
「すみません……」
「良いけどさ……。心臓に悪いから、もうすんなよ」
「はい……。高確率で自分にも跳ね返ってくることを学びました……」
「そういえば、どうして今日は平日なのにお休みなんですか?」
さすがにあの状態からの二度寝は難しく、休日にしては早い朝食を囲んだ。
「もうそろそろ『卒業』だからな。俺の後を継ぐやつをこれからちょいちょい出していくんだと」
そう言うと章灯は晶の作ったクロックムッシュにかぶりつく。
「そういうもんなんですか」
「他の番組はわからんけどな。お、時間だ。ちょっと見てみるか」
リモコンを取って、テレビの電源をつける。チャンネルを日のテレに合わせてみるとちょうどCMに入ったところである。これが空ければ、章灯のいない『ホットニュース』が始まる。
『おはようございます! 今日の朝刊から、ホットなニュースをお届けします!』
画面ではやや緊張した面持ちの佐伯啓介というアナウンサーがおなじみの台詞を話している。
「こうやって見るの、何か変な感じだなぁ……」
画面から目を離さずにぽつりと呟く。晶にはそれが何だか寂しそうに聞こえた。
「章灯さん……」と呼びかけてみたものの、その後の言葉が思い浮かばない。
「なぁ、アキ、コイツと俺とどっちが『爽やかな朝の顔』だと思う?」
章灯は難しい顔をして画面を指差しながら問いかける。画面の中の佐伯は朝刊パネルの前に立って指示棒を使いながらニュースを伝えている。2mあるパネルと比較すると、身長はおそらく170にも満たないだろう。しかし、体重は章灯よりもありそうな印象である。
「えっ……?」
「俺だよなぁ……。絶対俺だよ」
問いかけておきながらうんうんと1人で納得している。
「今日デビューの方と比べるのは……。新人さんじゃないんですか?」
「とーこーろーが、同期なんだよなぁ……。たかだか10分のコーナーだし、視聴率になんて影響はないんだろうけど、やっぱり同期には負けたくないなぁって思うわけよ」そう言い終えると、卵スープに口を付けた。
「同期の方ですか……。……まぁ、爽やかさは章灯さんの圧勝ですね」
さらりと言った晶の言葉にどきりとしてむせた。
「――ゲホッ……! 圧勝って……、それは言い過ぎ……!」
晶は大丈夫ですか? と言いながらとんとんと背中を軽く叩き「言い過ぎではないと思いますが……」と追い打ちをかけた。
「お前……、さらっとすごいこと言うなぁ……」
「そうですか? 章灯さんの『ホットニュース』は何度か見てますけど、《《家とは別人のように》》爽やかです」
「家とは別人……。まぁ、その通りなんだろうけど……」
これは喜んで良いのか、どうなのか……。
「俺は、ここだと爽やかじゃないんだな……わかってたけどさ……」
「え?」
明らかに消沈している章灯の姿を見て、自分の失言に気付いた晶は思わず腰を浮かせた。
「え? いえ、その……、家での章灯さんは……、爽やかではないですけど……、その……!」
なかなか言葉が出てこず、晶は慌てふためいている。
「何だ、止めを刺しにきたか……?」
自覚はしているので実はそんなにダメージはないのだが、もう少しおちょくってやろう。さっきのお返しだ。そう思い、ほくそ笑んでいるのがバレないように下を向いた。
「違うんです! 止めとかじゃなくて……! えーと、何て言ったら良いんだろう……。何か、悪い感じの大人みたいな……」
悪い感じの……大人……?
ちょいワル親父……的な……?
「ああ、違う、そうじゃなくて……。女の人を騙す感じの……」
女の人を騙す……?
結婚詐欺師……とか……?
「ちょっと……、アキ、落ち着こうか……。俺、何かすげぇ罵倒されてないか?」
――おかしい。やり返そうとしたら、とんでもないところからカウンターパンチが来たぞ。
章灯は顔を上げ、必死に言葉を探している晶にテーブルの上の牛乳を勧めた。晶はいまにも泣きそうな顔をして、勧められるがままに牛乳を飲んだ。
「えーっと、つまり、アキには俺が女を騙すような悪い男に見えてるってことで良いのかな? ていうか女ってこの場合、アキってことで良いのか? 俺はアキを騙す悪い男なのか?」
「……違います。もうちょっと違う表現なんです」
「とすると……、たとえば、女に慣れてる感じ、みたいな? 騙すとか、悪いってのは」
「……そうです。でも、悪い意味じゃなくて……その……」
「アレだな、お前、女がバレるとかどうこうじゃなく、メディアではしゃべらない方が良いな。不思議キャラで通すにしても現場が混乱する」
「すみません……、あまり言葉を知らなくて……」
「良いよ、もう。とりあえず、アキの中では罵倒じゃないんだな?」
「ばっ、罵倒だなんて、そんな……!」
晶はまた腰を浮かせて声を上げた。
「落ち着け落ち着け。まぁ、座れ。まぁ、アキが言葉足らずなのはわかってるから。ちょっと俺も意地悪し過ぎた。気にしてねぇって」
晶の肩を軽く押して座らせ、ニィっと笑った。
「あとでコガさんに訳してもらうから」
そう言って、トレイの上に食器を乗せ、立ち上がった。




